Mome Wonderland

Naruka Yoshimoto
ルカ
ここでは、あなたたちみんなどうやって憂さ晴らしをするの?
お酒? 煙草? それとも、私みたいな女が必要?
お金で買えるものがないって、お金じゃなんにも買えないってことね。
性別 / 身長 / 年齢 / イメージカラー
女 / 155cm / 26歳 / exotic eyeshadow(#c6639e)
好きなもの / 嫌いなもの
テレビや雑誌、普通のもの / なし
真面目すぎた、と彼女は言う。一生懸命やりすぎた。もっと気を抜いて、手も抜けば良かった。ばかばかしい。――器用さの欠片も持たなかった大学時代、就職活動に失敗して、どっかの"ぽっち"がボキッと折れた。清廉潔白な優等生が一転、夜の世界へ飛び込むに至ったのは、単純に自暴自棄になっていたのと、あとは、多分、さみしかったからだろう。キャバクラでアルバイトを始めたばかりの頃、彼女はまだ二十一歳だった。それから五年。幸い両親は、いつまでも定職に就かない娘を、無闇やたらと責め立てたりはしなかった。そんな放任主義にほんの少し心を救われもする反面、また別のどこかでは、誰かが尻を叩いて叱ってくれるのを待っている。無論、店のケツ持ちの渡世人や、"お触り"が好きな殿方たちのことじゃあない。それでも、夜の世界で他人の脛の傷を目の当たりにするたび、安堵した。「私はこの人たちに比べれば、いくらもまし」と自分を庇う機会を恵んでくれる他人たちに、彼女はうんと親切に、優しく接する。店では、誰からも好かれた。必要とされていた。いつかはこんな仕事やめたいと宣っておいて、やめられなくする理由ばかり手繰っている。ゆらゆら、ふらふら、状況に流されるのは、とてもラクだった。艶やかに着飾り、淑やかに振る舞っていても、"真っ当な大人"から剥離していくのを止められない。そろそろしっかりしなきゃ、自立しなきゃ、と心の片隅に控えながらも、他人の煙草に火を点けるばかりで、自らの背を押すことだけはいつまで経ってもできないでいる。
♪ 吉本 成果(よしもと なるか)
♪ロールサンプル:B
(「また会いに来るよ」と言われると、夜の世界で磔に遭ったような心地がする。)ありがとう。でも、無理はなさらないでね。またいつか。(だから一匙の抵抗を蕩して、そう言い返すのだ。一見の客人にも、常連の客人にも、別れの挨拶は「またいつか」と告げる。――私、いつまでも"ここ"にいるとは限らないのよ。少しは疑って。 ささやかな忠告は、大抵伝わらない。生来の棘のない声質で告げたところで、言葉の裏を誰も読み解けはしない。思った通り、上等なスーツ姿の客人は鷹揚に手を振って、何も知らずに去っていく。スタンド式の電飾看板の傍ら、薄紫色の大判ストールを肩口に手繰り寄せながら、彼女は微笑む。妻子の待つ自宅へと帰っていく客人の背が、やがてネオン街の人混みに紛れて消えていく。店先で見送りを終える頃、時刻は午前零時を回ろうとしていた。ばっくりと開いたバストに、夜風がひどく堪えて、濃青色のマーメイドドレスの尾鰭を翻した。早足で店の硝子戸をくぐる。店の営業自体は、風営法を無視して午前三時頃まで続く。ただし、この日の彼女の勤務時間は零時までの予定で、フロアへ戻る前にレジ横のボーイから「ルカさん、お疲れ様です」の合図が掛かるだろう。「今日は早上がりなんですね?」)ええ。明日は、朝早くて。みんなまだ頑張ってるのに、私だけ先にごめんなさい。(嘘だった。最近疲れているから早く帰りたいというだけで、明日は昼近くまでベッドから出ないと堅く心に誓っていた。事情を突っ込まれたらこう答えようと、胸中に予め備えていた台本が役に立ってくれた。年端もいかないボーイを騙して、「送りの車回しましょうか」と気を遣わせても罪悪感を覚えなくなったのは、大人になった証拠というより、単に性格が屈曲してしまっただけかもしれない。)ううん、今日は平気よ。ありがとう。バックルームの冷蔵庫に、アイス買ってきてあるから。上がったらみんなで食べて。お疲れ様。(車は結構よ、と、それじゃあね、の二通りの合図に代わる片掌が、彼女の顔横でひらりと踊った。今日はもう、送迎車の運転手と二言、三言の会話を交わすことすら億劫だ。今日で何連勤目だったっけ、両手の指を順番に折り曲げていくのにも飽きてしまった。慢性的な人手不足に困り果てたオーナーから、妙に下手(したて)にシフトインを打診されると、いつも断り切れずに頷いてしまう。夜の世界で器用に立ち回るには、真面目でお人好しが過ぎるのだ。常連客の家庭の悩みや仕事の愚痴にも、あんまり神妙に耳を傾けすぎて、自分の方が気疲れしてしまう。会計係のボーイは尚、夜道は危ないから、ここのところ物騒だから、と定例文の優しい気配りを披露してくれたけれど、半ば無視する形で彼女はバックルームへと引っ込んでいくのだった。)――ふぅっ。……なにか、自分へのご褒美……買って帰ろうかな……。(フロアの華々しさから切り離された、無機質でそっけない空間。きっと、世界一有名なネズミが牛耳る夢と魔法の国も、スタッフルームはこんな感じなんだろう。溜め息を吐く。でも、"こっち"の方が落ち着く。 店から貸し付けられたドレスをハンガーラックに元通り収め、除菌と消臭を一手に引き受けてくれると謳うスプレー剤をツープッシュ。下着姿のまま手近なスツールを引き寄せ、腰掛けた。簪ひとつで纏め上げていた髪をほどけば、貰い物のシャネルのヘアミストが香る。消臭スプレーでそれも消える。バックルームでメイクもすっかり落としてから、自前の白いニットワンピースに着替える。そうしたらもう、現実だ。先立つものを蓄える通帳の残高は潤沢だけれど、今のところ就活面接の交通費に充てる目処は立っていない。せいぜい、帰りがけにコンビニに立ち寄って、スイーツやホットスナック、お酒、煙草を買うのに使うくらい。――コートを羽織り、店を出る。単なる呼吸か、それとも溜め息か、唇を湿らす水蒸気の色は白かった。細かな水の粒たちはクリーミングパウダーがコーヒーに溶けるみたいに霧散していく。クリーム系のなにかが食べたいな。両方の手指をコートの袖口へすっぽりと隠しながら、ネオン街を歩いて抜ける。シュークリームがいいなぁ、皮がちょっとゴツゴツしてて硬めで、粉糖がたっぷり降りかかったやつが好きなのだけれど、今日のところはファミマの窯焼きダブルクリームシューで我慢しよう。 ――ところが、ルカがその日、くたくたの体を引きずるようにしておうちのドアを開けることも、お腹まわりをちょっぴり気にして、せっかくのあまいあまいシュークリームを冷蔵庫の中へとしまっておいてしまうことも、ついぞなかったのです。)――……っだれ、……?(そのとき、どこからか、だれかが「たすけて」と言いました。少なくとも、ルカにはそう聞こえました――。咄嗟にヒールの踵を帰路のアスファルトの上に縫い留め、弾かれたように背後を振り返る。誰もいない。次に右を見て左を見て、最後にはくるりと元通り正面を向き直る。駅から離れた彼女の自宅は、閑静な住宅街の、それもうんと外れの方に位置している。周辺施設といえば、もう長いこと営業していない昔ながらの牛乳屋さんと、小さなコンビニが一軒建っているくらいのものだ。日付が変わって以降の時間帯はほとんど人通りのない、閑静を通り越して半ば過疎化した街だった。おかげで、幸いなことに、コートの前身頃を縒り合わせ、身体を縮こまらせてきょろきょろする挙動不審な様子を誰にも見られずに済む。そして不幸なことに、誰もいないはずなのに誰かの声がする、この状況はありがちなホラーだった。――こわくなったルカは、とにもかくにも早くおうちに帰りたくって仕方がありません。反射的に走り出そうとした、まさにその時でした――。 ……地面がない!) きっ 、ぃぃいやああああぁぁっ…………!(地面がない、よりも、"なにか"がある、という印象を強く受けた。それは、得体の知れないなにかだ。大脳のエマージェンシーコールを追い越し、我先にと引き攣った悲鳴が喉をこじ開ける。道の真ん中に忽然と現れた、一段数メートルもある高い高い段差から足を踏み外した。それか、突如目の前に穿たれた大きな大きな凹地に気付かず、踏み出してしまった。何物にも受け止められ損ねた重心が、心許なくずるりと傾く。落ちる。Down down down……Luca went down a big hole.この五年、万鈞を積むように二の足を踏んでいた重たい”一歩”のせいで、調子良く、ぐんぐんと落ちていく。)っ、っ、う、う、うそうそうそうそぉぉ~~~~(艶やかとか淑やかとか言ってらんないくらい取り乱していた。あられもない叫喚も吸い込まれていく。頭と爪先の位置がぐるん、と反転し、真っ逆さまになる。その時、穴の底が見えた。否、見えなかった。とにかく真っ暗闇だった。一面の無明に占拠され、何も見えない。自分自身の手指すらも。広いのか狭いのかも分からない空間中にたむろしていた風が、降ってきた異物の形を確認するかのように彼女の身体中にまとわりつく。腰まで伸びたウェーブロングの髪が、乱気流に巻き込まれて激しく波打つ。あああ、嘘、待って、来週は観たいテレビ番組があるし、隣駅のパンケーキ屋さんが雑誌で紹介されたから一回くらい食べに行ってみたいし、パソコンの中には好きな俳優の画像データフォルダが几帳面にカテゴリ分けした上で五つも保存されてる。ちょっとエッチなananの表紙画像を、遺品整理でお母さんやお父さんに死んでも見られたくない。見られたら死ぬ。見られなくても死ぬかもしれない。両手両足が宙を掻く。どこにもぶつからない。勢い余って、もう一度ぐるん、と身体の上下が入れ替わるだけだ。何にも触っていない空間に、こんなにも長い時間放り出されたのは生まれて初めてで、言い様もなく恐ろしかった。足の着かないプールに誤って飛び込んでしまった、子ども時代の恐怖体験を想起する。腰まで捲れ上がったバックプリーツコートの襞が乱れる感触に、必死に縋り付こうとする。融解している。は、っとした。砂時計の砂がオリフィスから少しずつ落ちていくように、彼女の足が――正しくは靴が――爪先からさらさらと崩れていく。コートの裾も、ストッキングも。そうして、凶暴なピンヒールが可愛らしいストラップシューズに、胸と腰のラインを強調するニットワンピースがガーリーなエプロンドレスに再構築されていくことに、彼女は気が付かない。ちょっとどうなっちゃってんのわけわかんない。 こわい。 自己防衛本能が、考えることを放棄しろと命令する。意識が朦朧としてきて、咲いた花が元通りのつぼみ状に萎むように、すうっと閉じていく。 ――じきに、ルカは眠りに就くのでしょう。次に目が覚めたとき、自分がワンダーランドにいるだなんてちっとも思わずに、深く、深く。夢も見ないほど深く? いいえ……もしかすると、ワンダーランドで”あなた”と過ごした時間は、はじめからぜ~んぶルカの夢だったのかもしれません――。)