Mome Wonderland


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(祝福をうたうトワイライト)
(水の音がした。さらさらと薄く、ちいさなちいさな滴の音。窓から差し込むひかりはあかるい。日照雨だ。起き上がらずともわかる。雨―――あのくにでは降ることのない、雨。帰ってきたんだ。現実へ。つぶやく声を認めるように、枕元のスマートフォンが起きろと鳴いた。)……、起きなくちゃ。(ふっと小さく息を吐き、むすめはおもむろにベッドから出る。白湯を飲んで、軽く柔軟、部屋着は洗濯機のなかへ。この浴室もひさしぶりだ――実際は1日ぶり、なのだけれど。熱いシャワーに瞳を閉じれば、じわじわと深まる実感。あのひとも無事に帰れただろうか。意識が向けばその途端、あまやかな声が脳裏に響いた。"僕のことだけ考えていてね"。まなうらに浮かぶ光景は、ひかりのなかで微笑む素顔と、それから――。ぱかりとまぶたを持ち上げると、むすめは頬に指先を這わせる。青年の残した約束を、その熱をそっとなぞるように。それから小さくくちびるを噛む。くやしくて、はずかしくて、だけどとびきり、こうふくだった。)

(これが後に舞台監督に"似鳥の孵化"と名付けられる、奇跡の一夜の顛末である。地味も凡才も変わらぬまま、けれどそのまなざしはただの一晩で、まったく新しい色に染まっていた。あるいは分厚い錆が落ち、本来の色に戻ったような。むすめはにっこり微笑むだけで、なにも話そうとはしない。それでも背筋を伸ばした彼女に、楽しくてたまらないといった表情で舞台を踏む彼女に、まわりの団員の態度も、少しずつ軟化してゆくのだった。そして―――)さむ……(帰還から2週間あまり経ったとある早朝、まもなく薄明を迎えようかという時間帯。人もまばらな都立公園に、似鳥湖雪は訪れていた。公演ポスターの撮影だ。美術担当曰く、この広場は地面から水が噴き出すタイプの噴水にぐるりと丸く囲まれていて、その中央で舞う画を撮りたいらしい。絶対明け方、衣装に裸足、多少は濡れるが我慢されたし。有無を言わさぬその口ぶりに、"役付き"は舞台の外でもいろいろ大変なのだなあと、むすめはしげしげおどろいていた。――あったかいもの買ってくるから、立ち位置とか確認しておいて。ひとり広場に残されたむすめは、黎明の空をすいと見上げる。紺碧に薔薇色をひとさじ溶かしこんだようなその色は、なるほど衣装によく映えるだろう。思うが早いかからだが疼き、気付けばコートを脱いでいた。スニーカーも傍らに残し、広場の中央へ歩いてゆく。あわい桜色が幾重にも重ねられた、ミモレのシフォンワンピース。フリルスリーブから覗く二の腕の冷たさも気にならないほど、気持ちがあかるく高揚していた。手にはおなじ素材のヴェール、この羽根をきれいに見せるには、どんなふうに踊ればいい? そっと爪先で地面をつつくと、あのほがらかな声がした。"楽しめばいいのさ"。 まぶたの裏で彼が笑えば、むすめの頬はやわらかく染まる。)………ジェスター、(やわらかなステップを刻みながら、記憶の彼に呼びかける。会いたいな。どこにいるの?わたし、夢に近付いてるよ。 約束交わした笑顔に焦がれ、むすめはしずかに朝を舞う。ふわりスカートが波打って、噴水のしずくが空へと跳ねた。)
似鳥湖雪 2020/02/25 (Tue) 21:41 No.5
(何かが振動する音がした。煩わしいノイズに薄く瞼を開ければ、全身が凍るような寒さに身震いをする。氷のように冷たい身体は節々が痛く、どこか硬い板張りの上に横たわっているようだった。おぼろげな視界に映るのは白き黎明。薄く棚引く紺青の雲を見止めて、記憶の糸が繋がってゆく。ここはワンダーランドでは無く、己が最後に意識を手放した場所だ。)……ぁー…。(淡く唇を開いて息を吐く。やけに粘着く口周りに不快感を抱きながら片手を着いて起きようとすれば、湖に浮かぶ不安定な足場がぐらりと揺れた。覚束ない動きでもう片方の手も床に着けば、ぬるりとした床面に手を滑らせそうになる。堪えるように指先を立てればごつごつとした粒状の何かが手に触れた。飲み込んだはずの睡眠薬だった。船床に拡がる睡眠薬だらけの吐瀉物に、口周りが粘着く理由を察して口端が歪む。酷い倦怠感に苛まれるのも得心がいった。然れど奇妙な程に胸のつかえが取れた心地がした。見仰ぐ空にはひとつきり瞬く星が見える。朝陽に霞み行くスピカへ向けて目を細めた後、漸く振動が止まないスマートフォンを手に取った。通話を受ければ己の仕事を管理していたマネージャーの声が轟く。”お前、今どこに居るんだ!無事なんだな!?”)……はは、(昼夜を問わず仕事に追われていた時でも、斯様にも切羽詰まった声は聞いたことが無い。思わず笑い声が溢れた。なさけなくて、ばかばかしくて、なのにとびきり、こうふくだった。)

(船着場で男を発見したマネージャー曰く、己が行方知れずだった期間は一日程度だという。二週間以上居なくなっていた筈では、と尋ねれば叱責と共に病院へ連行された。検査結果に主だった異常は無く、幸いな事に一時間程度の説教のみでお咎め無し。"また連絡するから必ず出るように"と念押しされた上で自室へ帰れば、床やベッドに散乱するPTP包装シートのみすぼらしさにいっそ可笑しくなった。換気の為に窓を開け、改めてスマートフォンを手にすると検索エンジンに文字を打つ。『Loki パクリ』ニュースサイトを筆頭に目新しさの無い誹謗中傷がずらりと並ぶ。『Loki 現在』例の記事が話題になって半年以上経つ。以来、メディアから姿を消した男の目撃情報らしき140字にも満たない噂が数件ヒットした。『にとりこゆき』人名として該当する検索結果は無い。はじめての主演を務めるむすめならまだ無名なのだろう。)……逢いたいな、コユキ。(よすがの星へと呼びかけて瞳を閉じる。胸の奥にまっすぐなひかりが宿っていることを確かめれば、眦から小さな安堵が流れ落ちていた。──そうして現に戻ってから二週間が経った。相変わらず仕事は無いが日に一度はマネージャーからの生存確認に応じ、少しずつ今後の方針を話し合い始めた頃。元より昼夜の無い仕事だった上に睡眠薬頼りの生活に浸っていた為、その日、陽が昇る前に目覚めたのは珍しい事だった。)……寒い。(黒のタートルネックとジーンズの上にネイビーのトレンチコートを羽織っただけでは未だ軽装に過ぎる気温だった。コンビニへ行くだけのつもりが、おとぎの世界で忘れて久しい肌感覚を実感していたくて宛ても無く歩き回っていた。気紛れに立ち寄った公園は早朝の静謐に満たされて清々しい。厭っていた筈の静寂が却って心地良く、人の気配が無い清廉な空気は懐かしき夢のようでもあった。)──…!(そう。だから、夢を見ているのかと思った。辿り着いた広場の中央、桜色の人影に目を瞠る。明けゆく黎明のひかりを浴びて柔らかな羽を広げる白鳥。しずくと戯れるように軽やかなステップで舞う一等星。瞼裏に思い描いた彼女の姿が、そこにあったのだから。)……コユキ。(祈るような想いで囁いた。男の姿は夢の装いとは異なり、髪も瞳も本来の黒色に戻っている。そもそも髪の長さとて襟足が多少長いだけのショートカットだ。震える声は舞台上なら響かぬだろうし、泣きそうに歪む瞳は仮面の下に秘していたもの。それでも、──それでも、気付いてくれるだろうか。君に逢えた喜びに染まる口許が、確かな微笑みを描いていると。)
黒木誠十郎 2020/02/26 (Wed) 12:54 No.9
(名前を聞いていなかったな、と気付いたのは、その日の昼、大学の講義室でのこと。半円形の広い教室、階段状に設置された座席の後方で、教授の熱弁を眺めていたときのことだった。授業から脱線しがちなところが、このおじいちゃん先生のかわいいところ。走らせていたペンを置いたなら、こころはしばし、彼のもとへ。)――…聞かなくてよかった。(思わずこぼれたちいさな声。ん?と聞き返す傍らの友人へ、なんでもないとひらり手を振る。よかった。聞かなくて。結論としてはそれに尽きた。手品、盗作、若い男性。得られた断片で検索すれば、もしかしたら見つけられたかもしれない。でも聞くなら彼から聞きたかったし、聞かなくても知っていると思った。きのう、わたしにほほ笑んだ彼が、いちばん真新しい彼で、これまでの彼のすべてだから。―――希求する焔と上手に付き合うことができたのは、講義と稽古に支配されためまぐるしい日々のおかげだろう。あと1時間余裕があれば、眠らず過ごせる夜があれば、泣いてしまっていたかもしれない。容赦なく先へ進む時間が、自然とこころを上向かせた。怯まず未来を見据えれば、想いは原動力になった。あのひとからでも見える星に。殻を破って、いま、白鳥に。勢いを増す水鞠が、透明な格子となって視界を覆う。ざぁざぁと響く水音、けれどそのさなかたったひとひら、焦がれた声が耳朶を撫でたなら、)―――……、(むすめはやおら動きを止め、揺れるりんどうで探すのだ。遊ぶしずくは弾けて消えて、指先離れた桜のヴェールも、ふわり音もなく地面に落ちる。)…………、ジェスター……?(広場に佇むそのひとは、すこし寒そうな格好をしていた。宵色のマントも羽織っていなければ、表情隠す仮面もない。でもどんなふうに変わっていたって、髪が短くたって嵌まる宝石が違くたって、聞き間違えるはずがない。わたしの夢を取り戻してくれた、この魔法使いの声だけは。ああ、あのひとが笑っている。)―――…!(予感がたしかな像を結んで、むすめは思わず駆けだしていた。せっかく巻いてもらった髪が、乱れてしまうのも構わずに。彼も走ってきてくれるだろうか。その場で待っていてくれるだろうか。そうしてふたりの距離が0になる、その数メートル手前。右足で強く踏み切って、)っ、ジェスター!(待ちきれないと言わんばかりに、その胸にまっすぐ飛び込んでしまおう。ほとんど衝突の勢いだから、彼はバランスを崩すかもしれない。彼がしっかり抱きとめてくれても、ふたり揃って倒れこんでも、むすめは楽しげに笑っていた。まるで子どもがブランコに乗り、風を切ってはしゃぐみたいに。そうして―――おたがいの息が整ったなら。はじめて出会う黒曜石を、やさしく見つめてうたうのだ。)―――…おかえりなさい!(よろこびに満ちた、この朝を。)
似鳥湖雪 2020/02/26 (Wed) 21:01 No.12
(差し込む陽光がひかりの雨となって、白鳥を輝かせるスポットライトになる。華やかに回る桜色の裾が清らかなしずくを誘い、ふわり舞い上がる羽根と共に天へ伸びゆく水流が、生まれたてのひかりを散らして朝を煌かせた。おとぎ話のように美しい光景に呼吸さえ忘れそうになる。然れど己が呼んだ名が彼女へ届いたなら、水格子が淡く崩れてりんどう色の貴石がこちらを向いたなら。途端にこころが騒ぎ出す。想いがからだに駆け巡り、一歩を踏み出すちからを生んだ。)……、コユキ!(花唇がなぞってくれた旋律は、おとぎ話が夢物語では無い証左だ。表舞台で名乗った芸名でも無く、今や名乗る事が少なくなった本名でも無く、幻の名を正確に紡ぐ事が出来るのは共にワンダーランドを渡ったひとだけだから。己を奮い立たせる様に、もう一度強く彼女の名を呼ぶ。けれど彼女が先に距離を詰める気配には、慌てて両手を広げて踏み止まった。)わ、っ!(飛び込む桜色を受け止めれば、バランスを崩しそうになって後方へ数cmのたたらを踏む。縺れかけた足で何とか堪えて、細い身体を抱き止める事が叶えば安堵の息がすうっと落ちた。息を吐いた喉は、焼けるように熱い。元々コンビニへ行こうとしたのは喉の渇きを覚えたからだった。けれど、もうそんな事はどうだって良い。軽やかに笑う気配を腕の中に感じて、ゆっくりとりんどう色の双眸を見下ろしたなら、捧げられた歓喜に仄かに眉根を下げて笑った。)──ぁ、……ただいま、コユキ。(「おかえり」と迎えられたのは何年振りだろう。そも、これまでの人生で何度聞いた言葉か。幼少期から数えても然程多くは無かった。だから何と応じるか、一瞬迷った後に掠れた声で答えて、これで合っているかと尋ねる様に首を傾ぐ。そうして間近で花の顔ばせを真っ直ぐに見つめれば、込み上げる感情が溢れた様に微かに熱い吐息を零していた。)……君はやっぱり踊ることが大好きなんだね。驚いたよ。あの時みたいに、本当に綺麗に踊っていたから。(満月から零れ落ちたむすめは、月光を浴びて穏やかに舞っていた。あの夜と同じでいて、あの夜以上に輝かしい彼女の姿に嬉しくなって小さな笑声が溢れる。然れど余りに眩しすぎて、微笑みは決して絶やさないが男の視界は薄っすらと滲んでいた。)……夢じゃなくて、良かった。ずっと、コユキのことばかり考えていたんだよ。(秘密を打ち明ける様に囁くといよいよ耐え切れなくなって、傍に居る事を確かめるように抱き止める腕へ力を籠めた。そのままなだらかな稜線を描く彼女の肩口へ、顔を埋めるように──しがみ付く様に抱き締める。)コユキ、……逢いたかった。逢って、ありがとうって、……ちゃんと生きているよって、伝えたかった。(胸の中へと閉じ込めてしまえば、君の耳に届くだろうか。どくんどくんと忙しなく響いて、歓びをうたういのちの音が。よろこびに満たされて今、永い夜が明けてゆく。)
黒木誠十郎 2020/02/27 (Thu) 08:19 No.19
(ほどけゆく水滴の残滓に、待ちわびていた笑顔が映る。脊髄反射でからだが動く。こゆき と空気が揺れたなら、足取りはさらに速くなった。こんな無鉄砲ができたのは、彼を信頼しているから。かならず受け止めてくれるって、かけらだって疑わないから。一瞬先に足を止め、かいなを広げる慌てた顔。ぎゅっと目をつぶり身を任せれば、うずめた胸のぬくもりは、やわらかな毛糸のにおいがした。ぐらぐら数歩前のめり、前髪揺らす安堵の吐息。そんなことすら楽しくて、碧い三日月たずさえたなら、見下ろす双眸をあかるく迎えた。―――もしも逢えたならなんて言おうか、最初はなにから話そうか。たくさん考えていたはずなのに、ひとりでに声がこぼれ落ちる。練習どおりにはいかないや。)うん。………おかえりなさい。(でもこの黒曜石のひかりに、いちばん似合うと思ったから。笑う青年の顔ばせに、むすめの双眸もあわくまたたく。すこし控えめな笑いかた、溌溂とした道化師の笑みと、似ているけれど違うそれ。彼が元来持つやさしさが、透けてにじむようなまなざしに、胸がじんわりあたたかくなった。首をかしいだ青年に、あってるよって頷いて、もう一度おなじ言葉を贈ろう。さっきよりもていねいに、心をこめて、手渡すように。優しい声音で紡がれる称賛は、はじまりのあの朝とおなじ、まっすぐ親身な響きをしている。瞳を伏せ、誇らしそうにはにかんだ。)うん。大好き。大好きだって、吹っ切れたんだ。気おくれしなくていい。思う存分、好きでいていいんだって。(“ジェスター”が、教えてくれたんだよ。 そっと睫毛を持ち上げたなら、あまやかな熱をしのばせささめく。まるで自分のことみたいに、人のさいわいをよろこべるひと。あなたがあまりに清廉だから、わたしはすこし心配になる。だれかに傷つけられやしないか、こころを砕いて疲弊しないか。守るちからが欲しいとも思う。この優しさを金輪際、悪意の贄にしたくないから。)―――……  、(ひめごとの質感で耳朶に触れる音。応じるくちびる開くよりはやく、強い衝動で抱きしめられた。肩をくすぐる彼の黒髪。たしかな重みや息苦しさが、早鐘を打つ鼓動の音が、ここにいるって教えている。逢いたかった。生きているよ。すぐ耳元で響いた声に、滲む視界は水彩に似ていた。彼の背中に両腕回し、ありったけの気持ちで抱きしめ返す。)―――…わたしも、逢いたかった。ありがとう。見つけてくれて。……生きて、いてくれて。(うれしい。かすれた声でつぶやけば、とうとうほろりと涙がこぼれ、やわらかなひと粒が頬を濡らした。―――…そうして。)ねえ。ちゃんと、呼んで。(想いを確かめあうやわらかな沈黙を破ったのは、つっけんどんな要求だった。むすめは両手で彼の胸を押すと、向き合うために距離を取る。怒ったみたいな仕草と台詞、そのくせ顔ばせに浮かぶのは、正反対であべこべなもの。呼んで。もういちど、くりかえす。)―――わたしの名前は、似鳥湖雪。湖に雪と書いて、湖雪。(純粋な恋慕をたっぷりとかした、とびきり素直なほほ笑みで。)
似鳥湖雪 2020/02/28 (Fri) 12:06 No.32
(危ういバランスではあったが、彼女に怪我をさせる訳にはいかないと踏み止まった両足を今だけは褒めてやりたい。穏やかでない男の内面など知る由も無く、無垢に響く幼子のような笑い声のなんとくすぐったい事か。至近距離で迎えてくれるりんどう色は朝陽を宿して明るく輝いていて、夢に見たひかりと現で向かい合っている、そんな実感が更に喉奥を熱くさせた。)……ただいま、それと、……君も、おかえり。(真心の籠った贈り物を受け取れば、言い慣れないたどたどしさも隠さずに彼女へも同じ歓びを贈る。けれど宝物を誇るような笑みを前にすれば、薄っすらと瞳を細めて感嘆の熱が漏れた。)──そうだね。大好きだって、楽しいって、幸せだって……そういう素敵なものが、コユキの顔にたくさん溢れてる。(可憐な唇が紡いだ”大好き”の四音で俄かに跳ねた鼓動に耐えた後、迷いを断った声を歓迎するように笑った。君の大切な宝石箱は、こんなにも眩しく輝いている。君の大好きが鮮やかに彩られている事が喜ばしくて、無邪気な声がふわりと浮かぶ。けれど、夢では無いともっと実感したい衝動が細い身体を抱き締めていた。現実へと戻って二週間、男のいのちを支えてくれたのは君の記憶に他ならない。現実では劇的な変化など起きず、膿んだ傷痕が一瞬で癒える事も無い。ひとりで耐えるには辛い夜も、逢いたい君を想う事で越えてきた。だから睦言めいたやさしい声に、居場所を見つけたような安堵で満たされて鼓動が一層速くなる。)全部、君のお陰だよ。……君に逢いたいから、生きたいって思えた。それに、コユキも逢いたいって思ってくれたから……見つけられたんだ。(噴水の水音も遠く感じる程、彼女の声にだけ耳を澄ませて柔らかな温もりを胸の中で感じていた。いつまでもこうしていられる、と素直な希求に身を委ねていた為、ぐっと距離を空けられれば急に毛布を剥ぎ取られたような、あどけなく丸められた黒曜石が彼女を見つめただろう。──でも、知っている。思わぬところで負けず嫌いになって、照れている時は全然素直にならない君。だけど世界で一番可愛いひと。思わず笑ってしまいながら、甘い低音を唇で震わせた。)湖雪。……湖雪。綺麗な名前だ。優しくて心を穏やかにしてくれるような、きらきら輝く音がする。(舌に馴染ませるように一度、そして飾らぬ想いを込めて二度。現のかたちを識った音を紡げば、薄く頬に赤みが差す。そうして、微かに背筋を伸ばせば今度は己の番だ。)僕は、黒木誠十郎……って、言います。誠実の誠に、数字の十。郎は……えっと。(妙に改まった言い方に、自分で可笑しくなって少し口端を下げて笑う。更には咄嗟に単語が浮かばず、指先で”郎”と宙に記した。どこか締まらないはじめましてに面映ゆくなりながらも、解ける笑みで君だけを見つめる。星の光のようにまっすぐで、何よりも輝いている笑顔。 嗚呼、やっぱり、)……怒ってる顔も拗ねてる顔も好きだけど、湖雪は笑っている顔が一番素敵だね。(笑うとは、心に暖かな灯りが宿るということだ。その灯りは歓喜や幸福といった素敵なものを照らす灯りだ。大切な灯りを持っている君の笑顔が、何よりも愛おしいと改めて想う。)
黒木誠十郎 2020/02/28 (Fri) 23:17 No.36
うん。………ただいま。(そっと贈られるおかえりを、噛みしめるように頷いた。むすめの開き直りを受け入れる声はあんまりにも素直で、無条件の肯定を惜しみなくそそいでくれるその顔ばせに、否定することなんてなかったんだよって教えてあげたくなる。いつかきっと伝えよう。あの夢のくにのあなたも、いまここにいるあなたも、おなじように優しかったよ、って。――君のおかげ。逢いたいから。こんなに素直な言葉をくれて、心をこめて抱きしめてくれて、それでも満足できないなんて、本当によくばりだ。それでもすこしも我慢しないで、笑われたって撤回しないで、まるで勝負を挑むみたいに、その双眸をじっと見つめた。)―――…、( 湖雪。 何度も呼ばれたはずなのに、みんなそうやって呼んでいるのに。どうしてこのひとの声だけが、こんなに胸を打つんだろう。朝露に濡れる薔薇のように、大聖堂の鐘の音のように、こころをふるわせるんだろう。りんどうが揺れる。鼻の奥がツンとして、むすめはそっとくちびるを噛んだ。呼ばれただけで泣いちゃうなんて、すごく好きみたいではずかしいから。)ふふっ、うん。ろうは、この字ね。……せいじゅうろう。誠十郎。誠十郎さん。………黒木さん。(苦戦するようすにくすくすと笑いながら、はじめましてを受け取る。一応は初対面の身、呼び捨てが落ち着かないのは性分だ。結局いちばん他人行儀な呼び方で、うんうんと納得するように頷く。この距離はまた埋めてゆけばいい。今度はすぐに、寄り添えるはずだから。)………わたしは、がっかりしてるときの顔かな。ああ!って、大袈裟に天を仰いでるやつ。(好き、とうたう青年の声に跳ねた鼓動は、かすかにふるえた睫毛で気付かれてしまうだろうか。それでも素知らぬふりをして、冗談めかした好きを返した。ねえその好きって、わたしの好きとおなじ好き?すぐにでも尋ねたかったけれど、立ち話でする内容じゃない。と―――そういえば彼は、どうしてここにいるのだろう?当然の疑問に、むすめはようやく思い至る。ジョギング…って格好じゃないし。超朝型とか?わたしだって撮影がなければこんなに早起きしないの に、  )……………。 あっ!!(突如悲鳴にも似た大声が、公園内に響き渡る。撮影、すっかり忘れてた。踊るのに夢中になっていたところへ、青年と再会までしてしまったものだから。いまや薄明のときは去り、すっかり太陽が昇っている。絶対明け方。何度も念を押された言葉がよぎって、そろりと視線を泳がせた。広場へ戻ってきていたカメラマンはけれど、ほくほくと嬉しそうな表情を浮かべていて。)―――もう撮った?!い、いつのまに、(つまりそれは、主演業に不慣れなむすめを気遣う彼女の戦略だったのであった。ひとりにすれば、湖雪はきっと踊りだす。そのほうが変に飾らない、自然な表情が撮れるから、と。「そしたら、ねえ?」。言外に青年との関係性を問う彼女の笑みに、ボッと頬が熱くなる。ふたりのところも撮ったな、あれは。どの写真を使うつもりなのか、きっちり確認しなくては。――ともあれ。)用事が終わっちゃった。………黒木さん、これから時間ある?朝ごはん食べに――っしゅん!(行かない?と続くはずの言葉を遮るくしゃみ。薄着で水に濡れたから、やっぱりすこし冷えたのだろう。むすめはモッズコートを羽織りなおし、数秒のあいだ逡巡してから、)…………うちに、来る?すぐ近くなの。黒木さんも濡れちゃってるし、シャワー浴びた方がいいよ。簡単でよければ、朝ごはんも作るし。(首をかしいで、問いかけた。それはすこしでもまたねを先延ばししたいむすめの、精一杯の甘え文句だ。)
似鳥湖雪 2020/02/29 (Sat) 19:00 No.44
(湖雪。彼女の存在を識って改めて唇に載せた音は、ミルキーウェイを溶かした飴より甘く舌に広がった。シャンデリアの下で男を撃ち抜いた時のように凛と眩いりんどう色が、いじらしく潤む様を目の当たりにすれば頬に宿る熱が増す。これから何度でも、こうして名前を呼び合いたい。たったそれだけの素朴な願いが、またひとつ心の中できらめいた。)……呼びやすいように、どうぞ。湖雪が呼んでくれるだけで、嬉しい。(慣れないはじめましてを笑われたなら、妙なくすぐったさを覚えて肩を竦めた。腕の中の彼女が繰り返し名を呼ぶならふわふわと足許が落ち着かない心地がするも、芸名の元でもある苗字へ落ち着く様子には、彼女らしい礼儀正しさを感じて微笑ましさに目尻が緩む。かと思えば、意外な表情を指摘されれば「……どういうこと?」とハの字に眉根を下げて困惑の色が隠せなかった。震えた睫毛の向こう側に潜む宝石を覗き込むように、ねえ、と小さく囁いて真意を問いかけようとした矢先。至近距離で響いた悲鳴に彼女を包む腕は驚いた様に力が籠ってしまった。一体どうしたのかと確かめるより先に、カメラを持つ第三者の姿が現れれば俄かに指先の温度が下がる。然れど彼女の知人と分かれば、両腕から彼女を解放しながらあわい吐息を零した。)……そ、っか、一人じゃ無かったんだね……。(彼女と知人の会話を聞いて、断片的な情報を集めて思案する。撮影。桜色の装いはその為かと納得するも、用件自体は終わっている事と彼女の頬が火がついたように赤くなっている事に気付けば、半歩だけ前に歩み出た。彼女を気遣っての事とはいえ、不意を狙った隠し撮りは好ましく思わない。例え善意に因るものだとしても。故に、赤らむ彼女を肩で庇って隠すように斜め前に立つ。)……あんまり、湖雪をいじめないであげて。ね?(人差し指を立てて己の唇に添える。小首を傾げながら請うた後、彼女の知人が立ち去ったなら改めて二人で向かい合うが──小さなくしゃみが響いたなら、きょとんと目を丸くした。)大丈夫?結構、身体を冷やしたんじゃないかい?……だめだよ、大事にしなきゃ。(今になって考えれば、噴水から駆けてきた彼女は裸足でもあった。コートを羽織り身支度を整える彼女を待てば、そうっと両手を伸ばして左右から彼女の両頬を包んでしまいたかった。男の素手とて冷たいけれど、少しでも暖めてやれたら良いと願って。続く申し出にはぱちりと黒曜を瞬かせた後に、心臓がきゅうと小さく鳴る心地に目の奥が少しだけ熱くなる。それから、小さく小さく頷いてみせた。)朝ごはん。いいな、誰かと一緒に食事なんて久しぶりだ。向こうでは毎日、そうだったのに。……行きたいな。僕が君に逢いたいと思った時、どこを訪ねたら良いのか教えてくれる?(夢の世界では己が案内する役だった。けれど此度は彼女に案内を頼んで、左手を柔らかく差し出した。夢のつづきを歩き出すなら、君と手を繋ぎながらが良い。)……僕は、ミネラルウォーターを買いに行くだけだったんだ。コンビニまで。……案外、近くに住んでたんだね。(あの騒動の後に転居したばかりの自宅は、暮らし始めてまだ半年も経っていない。以前は地方営業も頻繁に有り、元々商売道具以外には物を持たぬ男だが、部屋を片付ける事を秘かに決意する。心に浮かぶ事は、他にも沢山有った。)湖雪は、いつもは何をしてるの?レッスンとか、忙しい?あと……初主演のステージは、これからなんだね?(──不思議だった。消えてしまいたいとあんなに願った筈なのに、君が傍に居るだけで心がこんなにも暖かいなんて。少なくともこの半年間で、一番心が軽い朝だった。)
黒木誠十郎 2020/03/01 (Sun) 11:24 No.56
(とくべつの熱を宿して名前を呼べたらよかったのに、妙な真面目さでふりだしに戻ってしまった。そんなむすめでも青年は、優しいまなざしで見つめてくれる。呼んでくれるだけで嬉しい。おなじ気持ちを抱きながらも内緒にしていたむすめには、彼の純真さはまぶしいくらいだ。ようやく明かすことの叶った、ほんとうの名前。たくさん呼びたいし、たくさん呼んでほしい。こころに芽生えるちいさなねがいは、またひとつ彼女のよすがとなるだろう。)がっかりしてる黒木さん……あのときはジェスターだったけど。かわいかったんだもん。外国人みたい、で、(戸惑うようすに悪戯っぽく口角あげて、甘い動揺に崩れかけたすまし顔を煙に巻こうとする。けれど答えを求めるささめきが耳朶に触れ、その黒曜石がむすめを射抜いたなら――虹彩の奥に映る自分の顔まで見えそうなくらい、その顔ばせが寄せられたなら。そんな余裕はたちまちに溶け消え、さらにあまやかな動揺が、むすめの胸を締めつけるのだ。唐突に本題を思い出したのも、ある意味では逃避だったのだろう。あと数秒でもこの距離でいたら、のぼせてしまっていたかもしれない。)―――…黒木さん?(赤い頬膨らませてカメラマンに抗議していた視界が、彼の背中によって遮られる。不思議そうな顔で見上げたむすめは、続いた言葉にくるりと瞳をまるくした。――かばってくれてる?意図を理解したならば、頬がいっそう朱に染まる。不愉快な気持ちはなかったから、気にしてないよって場をとりなすこともできた。それを敢えて黙っていたのは、彼の気持ちが嬉しかったからだ。こころがざわざわとくすぐったかった。守るべき女の子みたいに扱ってくれるのは、このひとのほかにいないから。)………!く、ろきさんだって、寒そうな格好してるよ。 ………、うん。じゃあ、一緒に朝ごはん食べよう? あんなにかわいい場所じゃないし、毎日お茶会は開いていませんけど、ご案内させていただきます。(首元にスヌードをぐるぐると巻き、ワンピースの上からスウェット素材のパンツを履いて。装備を厚くしたむすめの両頬を、冷えた両手が包みこむ。大きなてのひら。跳ねた心臓に一瞬息が止まったけれど、負けじと軽装をたしなめた。朝ごはんを――いまの時刻を考えればなんらめずらしくない、ごくありふれた選択肢。けれど噛みしめるように頷く彼には、気軽でもあたりまえでもないのかもしれない。むすめはふわりとまなじり細め、やわらかな声でその黒曜を受けとめた。差し出された左手に右手を載せたなら、ゆっくりとした足取りで進もう。普段でもこの公園のまわりを走ったり、のんびり散歩したりする。もしかしたら知り合う前に、すれ違っていたのかも。そんなとりとめのない話を、ぽつりぽつりと重ねながら。)あ……わたし、大学生なの。19歳。だから昼間は大学で講義受けて、夕方から稽古のことが多いかな。ちなみに今日は、どっちもオフ。………うん。公演は来月あたまから。もちろん、観に来てくれるんだよね?(尋ねられた質問に、ひとつずつ答えを紡いでゆく。来場をねだる顔ばせにはほのかな自信が滲んでいて、むすめなりに稽古が順調に進んでいることが窺えるだろう。澄んだ空気に満ちた遊歩道を、ふたりほほ笑み交わして歩く。すこしずつ夜の濃度を薄めてゆく空、小鳥のさえずり、ほのかに匂い立つ梅の花――ああ、なんてあざやかなんだろう。むすめは瞳を閉じたなら、すうとひとつ深呼吸をした。そのからだいっぱいに、朝を吸いこむみたいな気持ちで。)ファンタスマゴリアは、すごく綺麗なところだったけど。(つないだ指先をもういちど、そっとやわらかく握りなおす。)………この世界だって、悪くないよね。黒木さん。
似鳥湖雪 2020/03/01 (Sun) 19:04 No.59
(夢の世界で呼び慣れていたとはいえ、初対面に近しいにも関わらず無遠慮に名を呼ぶ男を邪険にせず、穏やかな笑みで迎えてくれる彼女に安堵する。これから少しずつ、名前を呼ぶ回数を増やす事が出来れば良い。十四日間などという制約が無いこの世界で。)……かわいかったって、僕、そんな顔してない、……はず。(嘗ての記憶も一つ残らず胸に宿っている筈なのに、どこか楽しげにほくそ笑む彼女が指摘する表情をいつ浮かべていたか当人には分かる筈も無く。ねえ、とりんどう色を覗き込めば今は無きポニーテールの代わりに前髪がしょげる尻尾のように揺れた。黒曜石の曲面にりんどうの花姿を映した囁きは、彼女の悲鳴が無ければ初春には不似合いな温度を帯びたかもしれない。然れどカメラを携えた他者の存在には、仄暗い影に足首を掴まれるような恐怖が静かに男の心へ忍び寄る。杞憂だとは直ぐに知れたが、それでもむすめを庇ったのはこころない詮索が彼女を傷つけることの無いようにしたかった為。人差し指を立てた侭、不思議そうに響いた己の名には目線だけを流して小さく微笑んだ。思い過ごしだとしても、君を守ってあげたい。それは柔らかな両頬へ伸ばされた掌にも等しく籠められた願い。)うん?そうだね。ちょっとそこまで、のつもりだったから。でも湖雪が暖かめてくれるから大丈夫。……ありがとう。湖雪が作ってくれる朝ごはん、楽しみだな。嬉しい。あ、でも手土産も何も無いな、何かデザートでも買おうか。……マカロンでも、ムースでも。(小さな両頬は掌で包むには充分すぎて、余る指先は悪戯に彼女の耳朶にも触れただろう。熱を分け与える様に、押し潰さない程度の力で両頬を包み込む。マシュマロのような触れ心地に微かに眦を気持ちよく細めてみせた。ひとりじゃないから心が充分に暖かいのだと、そう答えたつもりの言葉が誤解を与える前に、朝食の誘いに応じて頬から手を離す。順風満帆な頃は意図的に寝食を忘れていたし、かの騒動以降は食欲不振と不眠に苛まれた。いつか彼女に語る日が来れば叱られてしまいそうな真相は未だ秘めた侭、ありふれた時間を共有できる喜びと共にしなやかな右手を優しく握り締める。一日の始まりを謳う薄明かりの下、照らされた微笑みの眩しさに淡く頬を緩ませた。)……大学生かぁ。ダンスと授業、両立させるのは大変でしょう。(19歳と確かな数字を耳にしたなら、若いなあ、とは、はくりと開いた口の中で飲み込んだ。告げてしまえば最後、時の流れを忘れていた夢の中で彼女に揶揄られた言葉が現実になってしまう。おじいちゃんと呼ばれるには、まだ早いと思いたい。)でも、良かった!湖雪の舞台、見に行けるんだね。絶対に行くよ。時間も、……今は沢山有るから。(自信に裏打ちされたおねだりを聞けば、無垢なこころで快諾する。彼女が焦がれた初主演を、憧れとしあわせが詰まった夢の舞台を、観ることが出来るなんて。これ以上無い喜びだった。──繋ぎ留めるような柔らかな指先に、ふと遊歩道を進む足が止まる。肯定も否定も音を成さず、りんどうの微笑みを見つめる黒曜は僅かに笑みを絶やして澄んだ朝の空気を震わせた。)ねえ、湖雪。この世界でも、僕は誰かを笑わせる事が出来るかな。……笑ってくれるひとが、居るかな。(19歳。高校卒業と同時に師匠の元を訪ねた男が、前座として初舞台を踏んだのも同じ歳だった。──もう一度、始められるだろうか。己に誰かを笑わせる事が、誰かの心に灯りをともす事が出来るだろうか。再びこの世界と向き合う事は未だ怖ろしくも有るけれど。繋いだ指先を頼りに、道を選んでゆけるだろうか。)
黒木誠十郎 2020/03/02 (Mon) 10:10 No.65
(そっと微笑む横顔の奥に、青年が抱える闇をむすめは知らない。カメラに怯んだ一瞬のこわばりも、気付くことはできなかった。いつかこの日の行動の意味を、むすめがただしく知ったなら、彼女は悔やみ、悲しんで、けれどきっと、その愛に泣く。心に巣食う恐怖にあらがい、むすめの風除けとなってくれた頼もしい背中が、それまで以上にいとおしく見えるのだろう。包みこまれた両頬が熱い。かすめた指先の刺激にむすめの耳朶は甘くしびれて、けれどすぐに解放されれば、名残惜しい気持ちにもなった。湖雪が温めてくれるから?その発言も気になるし、ああ、いろんな気持ちでめまぐるしい。)……あんまり期待されても、本当に簡単なのしか作れないんだけど……あ、いいね。コンビニ寄ろ。甘いの食べたい。……“黒木さん”も、甘いの好きなの? 朝は和食派?洋食派?(マカロン。ムース。どこにでもあるスイーツだけど、まるでないしょの合言葉みたい。おなじ記憶を懐かしんでいることが実感できて、はにかむ頬がほんのり染まった。となりを歩く青年は、髪や瞳の色も違うし、雰囲気もすこし夢とは違う。味覚は変化があるのだろうかと、好奇心宿した双眸で問いかける。)そう。今年ではたちの女子大生。両方ある日はてんてこまいだよ。でも大学ちゃんと卒業するっていうのが、入団するときの約束だから。(二言はない、ときりり眉。その顔は花の女子大生より、武士と呼ぶ方が似合いかもしれない。一瞬覗いた動揺を目ざとく見とめ、「黒木さんはいくつ?」なんてちゃっかり尋ねてみたりもして。――絶対に行くよ。迷わずそう言ってくれる青年の声が、どんな褒賞よりもずっと、むすめのこころを鼓舞する。客席に彼がいてくれるなら、あのスポットライトの下にだって、恐れずに駆けてゆけると思った。指先に感じる愛しいぬくもり。あなたがそばにいてくれるだけで、世界はこんなにうつくしく見える。あれほど怖いと思ったあしたが、待ちどおしくてたまらなくなる。ねえジェスター。黒木さん。この世界だって悪くないよね。問うたそれは確信でもあったし、はかない祈りでもあった。台本のない舞台だから、女王も夢魔もいないから。だからこそ毎日信じて、ねがって、たぐり寄せて、ゆくんだね。――どちらともなく立ち止まる。未来への焔滲んだ黒曜を、逸らさずまっすぐ受けとめる。)できるよ。(やわらかな声で断言すると、まるで教会で聖歌をうたうときのような、しんと静まりかえった気持ちがした。)絶対に大丈夫。きっとまたみんな、笑ってくれる。わたしも精一杯手伝うよ。“とびきり素敵な衣装”、探してくれるんでしょう?(それはあの晩に告げた言葉。冗談めかして紡いだなら、いたずらっぽく瞳を細めた。大丈夫。何回だって始められる。ゆっくり歩いてゆけばいい。ひとつずつ灯りをともせばいい。歌を歌って、花をつんで、でたらめなステップで踊りながら。もしも間違ってしまっても、反対の道に戻ればいい。大丈夫だよ。ひとりじゃないから。)……黒木さんなら、できるよ。あなたの“笑顔の魔法”を知ってる、このわたしが保証する。(つないだ手で、言葉で、笑顔で、前を向くその背を押してあげたい。ふたたび星を燃やしはじめた、そのこころを支えてあげたい。ここから歩きだそうとしている、あなたはとても強いひと。それでも直面する現実に、足が竦むこともあるだろう。消えてしまいたいほど苦しんだ過去も、すぐには断ち切れないだろう。だから――)………ひとつ、おまじないをしてあげる。(そうささめいて右手を引けば、その体勢を崩せるだろうか。こちらからもつま先立ちで顔を寄せたなら、すこし冷たいその頬へ、くちびるをそっと触れさせたい。)―――…時計台の、おかえし。(それは餞。祝福の、キス。どうかあなたも笑えますように。あなたがいちばん、笑えますように。)
似鳥湖雪 2020/03/02 (Mon) 22:27 No.72
(今はまだ、君は知らないままでいい。後悔も悲嘆も、君に与えたくはないのだから。然れど呼び合う名前と共に、想いを交わし合ういつかに流れる涙を拭うことが出来ればいい。代わりに今は、触れ合う温度で優しさを分け合おう。微かに触れた耳朶の弾力に胸が甘く弾む。頬と共に愛でる様に撫でてやりたい衝動を堪えて、名残惜しく話した掌はすぐに彼女の指先を焦がれた。繋いだ指先から、じわりと心まで熱が拡がる。ほらね、やっぱり君が暖めてくれるんだ。噛み締めるような淡い微笑みが、隣ではにかむ彼女へと向けられた。)そうしようか。コンビニで好きなの選んでいいよ、湖雪の好きなものが知りたい。……ああ、僕も甘いもの、好きだよ。チョコとかつい買っちゃうから……えっ、と……カップ麺って、どっちだと思う?(二人だけの記憶を懐かしめば、分け合う喜びに瞳を細める。けれど生活習慣を問われたなら不摂生を白状して、いたたまれない心地で頬を掻いた。「食べるのはどちらでも」と言い添えたのは、彼女が何を作ってくれるとしても、喜んで食べるという意思を伝えたくて。)約束は、ご両親と?偉いね、一生懸命がんばってるんだね。……君より、5つ上です。まぁ、大学生でまだ良かったかな……。(夢の為にと凛々しい顔を見せる様子は頼もしくも、微笑ましくもある。素直な賞賛を零しながらも、直球の質問には誤魔化せないとばかりに告白しよう。幾らしっかり者の彼女とはいえ、少なくともあと数ヶ月は未成年と知れば、おとぎの世界なら気にしなかった一切が脳裏を過ぎってくらりと眩むが、今更この手を離すつもりも無い。繋いだ指先に籠る温度が、少しだけ熱を増したような気がした。──憧れの舞台を見届けると約束を捧げて、りんどうの顔ばせを見つめながら少しだけ先の未来へ思いを馳せる。スポットライトの中心で、しなやかな手足を翼のように拡げて、誰よりも光り輝くエトワール。観客の誰もが見上げる一等星になる明日が、きっと君を待っている。ならば、自分は?自分も、彼女のように正面から向き合うことができるだろうか。儚い祈りを信じたいからこそ怖れてしまう。未来へと駆け出したいからこそ立ち止まってしまう。然れど愚かな迷いも、受け止めてくれるひとが居るから吐き出せると知る。)……うん。(”できるよ。”清浄な空気に溶けゆく誓言が、心を覆う暗雲を払ってくれる。真っ直ぐ見つめ合うりんどうの星へ、願いを託すような思いで柔く首肯しては支えてくれる声に耳を傾けた。ひとつ、またひとつと背中を押してくれる言葉は魔法のステップ。アン・ドゥ・トロワでこころが軽やかになれば、君と共に少しずつでも歩き出せる。ひとりじゃないから、歩き出せる。何より男を信じてくれる眩しい笑顔に、怖れを溶かすように柔く眦を緩めてみせた。)……おまじない?って、っ、(そうしてささめく甘声を問い返すより早く、手を引く力で二人の距離が縮まった。春を薫らせる梅花よりも柔らかな花弁が、男の硬い頬を掠めてゆく。擽るような触れ合いに目を瞬かせた直後──夢の世界に置き忘れた羞恥心が甦って、祝福が授けられた一点から熱が拡がる様に頬が赤く染まってゆく。)……湖雪。ああ、……もう、君ってひとは!(稚い笑顔がぱあっと咲いて、朗らかな声が高らかに響く。爪先立ちの顔ばせが離れゆく前に、込み上げる感情に突き動かされるように右腕を伸ばすと、男は半ば彼女に覆い被さるような勢いで抱き着いてしまおうとした。頬だけで無く全身が熱いのは、君がかけたおまじないのせい。けれど何より一番熱いのは、こころの奥で燃ゆる星なのだろう。)笑顔の魔法だなんて、なんて、素敵なことを言ってくれるんだろう!僕よりずっと、君の方がその魔法を使っているよ!(至近距離で見つめ合えば、黎明を映した黒曜がきらりとひかる。滲む光はエレクトリックブルーに煌いて、たったひとりを映していた。支えてくれる大切なひと。一緒に歩いてくれる、愛しいひとよ。)やってみるよ。誰かに笑ってもらえるように、多くの人を笑顔にできるように。でも一番”笑顔の魔法”をかけてあげたいのはね、君なんだ。……大好きだよ、湖雪。ずっと僕の傍で、笑っていて!(溢れて止まない至純を囁けば、額を触れ合わせて二人の距離を埋めてしまおう。柔らかく触れ重ねるのは、君にだけ捧げる笑顔の魔法。断ち切れぬ過去も、拭い去れない不安も、いつか乗り越えられるように。誓いを込めて口付けを贈ったなら、──いっしょに笑おう。君が僕を照らしてくれるように。笑おう。僕が君を照らせるように。そうすればきっと、二人の未来を祝福するように朝陽が輝き僕たちを照らし出すだろう。If you just smile, 僕も沢山笑えるから。)
黒木誠十郎 2020/03/04 (Wed) 22:52 No.79
本当?やった。「こなこな」シュークリームあるかな。レモンパイもいいかも。……よかった。じゃあ黒木さんも、一緒に食べようね。…………。カップ麺は、ジャンクフードっていうジャンルです。(チョコレートや飴なら稽古中につまみもするけれど、コンビニスイーツをゆっくり食べるなんてひさしぶりだ。ちょっと贅沢気分、と嬉しそうに両手を合わせ、あれこれ候補を挙げながら、あのお茶会で出会った仲間たちに思いを馳せた。けれど青年の歯切れの悪い返答を聞けば表情は一変、たっぷりの間のあとに短く告げて、くちびるをつんと尖らせる。――だからすこし、顔色が悪いの?ちゃんとしたごはん、食べてないから?引金となった“裏切り”が彼から食への関心すら失わせてしまったのかもしれないと思えば、いまここで笑いあえることの幸福に、胸がぎゅっと苦しくなった。具沢山のお味噌汁にしよう。どちらでもという声を聞いて、むすめは献立を組み立てる。お味噌汁と、卵焼きと、あったかいごはん。コンビニで鮭を買ってもいいな。お米は余分に炊いて、おにぎりにして持たせてあげよう。食べなくちゃ。わたしたち表現者は、からだが資本なんだから。むすめはひそかに張り切っている。やがて事件以前より食事を疎かにしがちだったことが判明したなら、その使命感はさらに燃え上がることだろう。)そう。手堅いんだ、父も母も。でも友だちもできたし、授業も結構おもしろいから、行ってよかったなって思ってるよ。5つ……じゃあ、24歳?数字で聞くとすごく離れてるかんじがするね。(ストレートに褒められるとくすぐったくて、照れくさそうに口角を上げる。開いた五指を順番に折り曲げ、たしかめるように首を傾げた。24歳。成人式もとっくに終えた、自分のちからで稼いでいる、おとな。彼が前を向いている隙にそっとその顔ばせを窺えば、あらためて知る年の差にすこしどきどきした。――信じている。ふたたび喝采が響く未来を、劇場が笑顔に満ちるいつかを、みんなに笑ってほしいと願う、あなたの清廉なたましいを信じている。想いをりんどうの瞳にこめて、むすめは勝気に微笑んだ。不安や迷いが生まれるのは、真剣に向き合っているからこそ。抱えこまずに打ち明けて。何度でも。いつだって。怖いときには怖いと言える、わたしはそういう場所でありたい。)――…、(短く、かすめるばかりの反撃。あの別れぎわの不意打ちを、根に持っていたと言ったら笑う? みるみる染まる頬を見つめる得意気なまなざしは、艶を帯びてあまやかにほころぶ。けれど青年の表情がおどろきから屈託のない笑顔に変わって、夢の世界とおなじ台詞を、現世の彼がうたったなら、)っ 、ひゃ……っ、(りんどう色をまあるく瞠り、思わず見惚れたその一瞬で、むすめは抱き寄せられていた。すぐそばでまたたく彼のひとみに、懐かしいエレクトリックブルーが滲む。子どもみたいに素直に笑って、むすめこそ魔法使いだと言う。嬉しそうだね、黒木さん。あなたが嬉しそうにしていると、わたしも嬉しいの。とても。)そうだよ。あなたのために覚えたの。黒木さんの魔法は、黒木さんにだけは効かないから。(かるく顎を引いて上目がちに、一世一代の秘密みたいに明かす。みんなに笑顔を配ってまわる、とびきり優しい魔法使い。与えてばかりで、それであなたは、だれから魔法をかけてもらうの?誰しも自分のことだけは、自分じゃ抱きしめることができない。だからわたしが魔法をあげるの。両手でぎゅっと抱きしめてあげる。あなたが、笑いそびれないように。――やってみるよ。決意を声に載せた青年のまなざしを、うん、うん、と頷きながら受けとめる。おだやかだった顔ばせはけれど、続けられた言葉を聞けば、くしゃりと不器用な泣き笑いに変わるのだった。大好きだよ。僕の傍で、笑っていて。耳朶をそうっと撫でる声に、碧の双眸がじわりとほころぶ。いつだってまっすぐな言葉をつむいで、惜しみなく愛をそそいでくれたくちびるが、むすめのくちびるに魔法を授ける。彼の胸元に這わせた左手の指が、あふれる感情を示すようにきゅ、とセーターを握りしめて、ふたたび青年の笑顔を映すひとみは、幸福と恋慕であわく濡れていた。朝露をまとい咲き誇る、高山の花によく似た碧。)――…うん。……うん……!わたしも、好き。黒木さんのことが、大好き。あのとき、わたしを見つけてくれたのが、黒木さんで本当によかった。――…ありがとう。これからも、よろしくね。…………誠十郎さん。(ためしに呼んでみたものの、どうしたってくすぐったい。ふふっと小さく笑みをこぼしたむすめは、「やっぱりしばらくは黒木さんで」とあっさり撤回するのだった。)

(善いものだけの世界じゃない。やさしい隣人ばかりじゃない。アルパカもリスも喋れやしないし、冷たい雨が降る日もある。それでもふたりでゆくのなら。笑顔の魔法を分けあえるなら。大丈夫、きっと生きてゆける。夢を燃やして、歩いてゆける。We're the light, わたしたちはひかり。あしたへ駆ける。きらきらひかる。)
似鳥湖雪 2020/03/06 (Fri) 21:24 No.85
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