Mome Wonderland


back


(I wish you success everywhere.)
(目覚めてより暫く、寒暖の定まらない空気に触れては“帰ってきた”のだと実感に至った。体感としてはおよそ二週間ぶりに、肌で感じる四季の存在。長らくの眠り――と感じていたのは当人ばかりで、現の世界はただ一度の終宵と夜明けを迎えたのみ。詰まるところ常通りに一晩眠っただけの身は当然ながら鈍ることもなく、業務に支障を来すこともなく。気付けばよく知る日常が、よく知る様相で廻り始めていた。可視的な変化といえば唯一、左手の薬指が空になっている一点くらいか。明らかに気付いていながら言及を避け、腫れ物に触るような友人の様子を見て取れば「なぁに気を遣っているの。もう良いかな?って思ったから外しただけよ」と軽やかに笑う一幕もあったことだろう。一指の装飾こそ失せていれど、身の内には確かな記憶が居座っていた。繋いだ手の温もりと、耳の奥で反響する愛しい声。まなうらに描く真摯な眸、陽光の笑顔。ひとりとひとりが、ふたりで互いを感じるには充分に鮮明な感覚として。誰とも共有できない追憶を、褪せぬ拠り所とする日々はまるで、――まるで、喪失を経てひとり帰郷したあの頃のようだと。我知らず昔日の感覚と重なりかける都度、己を律し叱咤してもいた。永別ではない、こころの行き場に迷ってはならないと、移ろいそうな思惟を幾度も諫め引き戻して。彼の前では常に保っていられた芯が、離れた途端に弱まりかけるなど情けないにも程がある。そうして月の裏側を秘め続けたまま幾週、あるいは幾月が過ぎた頃だろうか。しめやかな春の雨が去りゆき、身を震わせる花冷えも和らいだ弥生の下旬。その場所を訪れたのは偏に、記憶に結び付きやすい要素を追いかけたに過ぎぬのやも知れなかった。見目を愛でるブルースターと勿忘草は、花そのものの芳香が薄い。薔薇の季節は未だ遠く、抑も同じ花の園とて早々見つかりはしない。奇跡の花はそれこそ正しく夢想のほとり、うたかたの贈りものであったのだから。そんな半ば消去法に等しい形で選び訪われたとて、見頃に差し掛かった花の丘は誰をも拒まない。空と睦びそうな“愛し子の青い眸”が、彩を同じくするブルーアイズと斯くも清かに向き合ってくれていた。)……綺麗ね。(来訪者の大半は桜並木の方へ流れているのだろう、広大なる国営公園の中では比較的人影が控えめな丘の小径。白いワンピースのAラインシルエットがゆったりと歩むさなか、恰も誰かへ語り掛けるようなソプラノがひとひら落ちる。柔らかな薫りを吸い込み目を細めた、その刹那。)あっ、(吹き抜ける春風に亜麻色の髪が煽られ、日除けのラフィア帽子が攫われる。咄嗟に走って追い掛けた先、誰かの姿を見止めたならば先ずは面映ゆい笑みが咲くだろう。うたう声音もまた、いつもの明るさを保って。)ごめんなさい、風に飛ばされて――…(声も表情も、ものの数秒後に動きを止めることになろうとは露知らぬまま。)
月影璃亜 2020/02/25 (Tue) 13:41 No.2
俺は大したことはしてないよ。お前の実力だ。でもこれで終わりじゃないからな、最後まで頑張ろう。監督とプロデューサーの熱意に応えようじゃないか。(「今日はありがとうございました」と頭を下げたのは、男が転職先で面倒を見ている後輩だった。新卒採用である彼は、在籍期間としては先輩にあたる。だが社会人経験が幾らか長い男を彼は尊重し敬意を払ってくれるから、男も助力を惜しまなかった。購入型クラウドファンディング事業を手掛けている会社に入ったのは先月のこと。親友だった彼の一件をリークしてくれた大学時代のゼミの友人が、伝手を辿って紹介してくれたのが今の会社だった。独りぼっちだと思っていたが、他所に目を向ければ目をかけてくれる人はそれなりにいた。渉外能力のみならず仕事への誠実な姿勢を評価してもらえていたのは嬉しかった。誰かの笑顔に直結する仕事は男の性分に合っている。渡る世間の鬼だって四面を固めているわけではない。「チキさん今度飯行きましょ」なんて破顔する後輩の背を軽く叩き、)いいな、楽しみにしてる。今回の件、明日またスケジュール調整しような。(手をひらり上げて踵を返した。涼やかな風が、黒く短い髪を翻していく。特に用事もなく社用車は後輩が使うから、散歩も兼ねて適当にふらり歩くことにした。今日の仕事は午前でおしまい。先日の休日出勤の代休を取れとグループリーダーに厳命を受けたのだ。結構なワーカホリックである自覚はあるため、長閑な空気にそわそわする。ネクタイの根元に指を入れ寛げる。)別に休みなくてもいいんだけどな……。(晴れ渡る空を見上げて独り言つ。穏やかに瞳を細め、そこに静かに佇む白い月を見ていた。溶け入りそうなそれに過る面影を想う。月へ跳んだ夜に言葉にした通り、男はずっといとおしいたったひとりを探し続けている。友人から女の子を紹介されることもままあったものの、「好きな人いるから」と臆面もなく告げるのが当たり前になっていた。恋焦がれてはいるが、何故か焦燥はなかった。自分の中にしっかりと根付いている想いは決して薄れることはなく、迷いがなかった。現実に戻った今では不思議なくらい気持ちが凪ぎ、安定している。しかしそれでも想いが募れば胸の奥に熱が宿る。会いたいな。知らず吐息を零し、ふと視線を向けたのは国営公園への道程を示す立て看板だ。)あー、そういやここ……。(角を曲がる。ふたりで見た青を思い出して、惹かれるように歩いていった。春の空気を吸いながら青い花の海を渡る。丘の小径を進むうち、不意に何かが目の前を横切った。咄嗟に膝を折り拾う。風で攫われたか、そう思いながら帽子を手に顔を上げたところで息を呑む。運命の月を見つけた歓喜が男の胸を震わせる。)……璃亜!(思わず鞄を放ってしまう。駆け寄る。空いた手で彼女のすべらかな輪郭を辿り、存在を確かめようとする。嘗て城の中庭でそうしたように。)
千喜良直人 2020/02/25 (Tue) 21:31 No.4
(見つけ出すと約した言葉に嘘はみじんも無く、もう一度逢えるという確信もまた本物。されど世界は広く、比すれば我が身は随分と小さく、只その時を待つより他になかった。人混みの中にふと彼の姿を探しそうになって、そんな自分を一笑に付したこともあったか。夢も希望も容易く絶たれる現実世界に在ってしかし、奇跡は唐突におとずれた。気紛れな日の目のように、親しく微笑む友のように、繋いだ縁の糸を知っているかのように。奇跡の青薔薇ではなく、春先に毎年必ず咲き匂う花の中。いたずらな風は人の心など知る由もなく亜麻色を靡かせ、スカートの裾を揺らすばかりで春暖の中を駆け去っていった。ラフィア帽子のヴァニラ色を拾い上げる手、すらりとした立ち姿、艶やかな黒髪が掛かる面輪。ありがとうございますと、紡ぐはずの礼謝も遥か彼方。そのひとが明確にこちらを向くよりも早く、あおの双眸は疾うに動きを止めていた。ビジネスバッグが地面に落ちる音さえも何処か遠くに聞こえる。出来事に脳裡が追いつかず立ち尽くしていながら、駆けてくる足音に胸はどうしようもなく高鳴るのだから本能はとかく正直なもの。)……、……直人、(呼びたくて堪らなかった名前を、他の何よりも大切に紡いで。それきりくちびるが言葉を忘れ、一対の黒曜石と向き合うブルーに水膜が張る。張り詰めていた自覚などなかった絹糸が、逢いたかったひとを前にして俄に緩むのを感じた。色彩が違えど間違えようもない真っ直ぐな眸、蒼穹へ抜ける天つ風に似て自分を呼ぶ声を受けて、花ひらくのは笑みに相違ないのに。彼の前ではいつなりとも笑顔でいられた、意識せずとも自然に保っていられた芯がほろりと緩む。かのひとの纏うものと似た春日影の下だというのに、眸子の奥だけが炎陽を連れてきたかのような熱を持って。視界が潤んで青の近影にぼやけてゆくのを、押し留めるすべは持たなかった。意思と裏腹に感情がくしゃりと歪むなど随分久しく、若しかすると初めてのことであったから。)今度は、……夢では、ないのね?(疑問ではなく、確かめる響き。いつもの自分がそこに居たのなら、一体なにを問うているのかと笑ったやも知れない。さりとて舞踏会の宵とかさなる花色の海も、ふたりを包むやさしい香りもはじまりの春も、まるで、すべてが美しく誂えられた舞台のようだから。ともすれば夢の続きかと不安が鎌首を擡げかけ、瞬きさえも惜しむよう眼差しは想い人ひとりに縫い止められていた。いとけない問い掛けがちいさく喉を震わせるのと、懐かしい温もりが頬をなぞるのはどちらが先であったろう。両のまなじりから一粒ずつ、追いかけ合うように恋水がおちた。)あ、……(ごめんなさい、と咄嗟に口を突きかけた詫び言を呑み込んで。緩慢な動きで持ち上がった手は、涙を拭う代わりに彼の手の甲へそっと触れる。夢幻ではない、あなたもわたしも此処に居る。あの世界で幾度となく実感したはずの真実に、こうも改めて安堵するなど。可笑しくて、うれしくて、斯くも幸せな話だった。)
月影璃亜 2020/02/26 (Wed) 07:26 No.8
(亜麻色の長い髪が風に靡いていた。白いワンピースの裾も風に揺れ、ネモフィラの淡い色に囲まれた姿も相俟って、一幅の絵画を眺めているようだった。彼女はワンダーランドで逢った穏やかな佇まいのまま。けれどどことなく表情が翳っているように見えたのは思い上がりだろうか。それを確認する間もなく距離を詰めたのは己自身で、顔を覗き込む格好で傍に寄る。花脣が名を呼んでくれたならば心音が高く跳ねる。)璃亜。……璃亜。逢いたかった。(今日の空を彷彿とさせる晴れやかな笑みがほどける。指先で触れた彼女の頬の熱に、確かな存在の温度を知る。彼女にも自分にも、言い聞かせるような声になった。)夢じゃないよ。君も俺も此処に居る。何も心配なんていらない。(何時かの鏡の森で呈したものと似た語句だったが、今はより事実の提示という色を孕んでいる。再会出来たなら話したいことなど山ほどあったというのに、高揚する胸裏はせわしなく、碌に考えを纏めてくれそうにはなかった。声未満の吐息を弾ませては転がして、せめてもと眼差しに宿る愛しさだけは伝えられればと手向ける。)あ、(共鳴するように音が零れた。流れ落ちるそれを指先で拭う前に、抗えない衝動が男を急かした。帽子を持った片手は彼女の背に回し、もう片方の手で彼女の後ろ頭を支える。そのまま己が胸に引き寄せた。グレーのスーツが今だけはハンカチの代わりになればいい。腕の中にいるたったひとりの幸いに捧ぐ抱擁は、嘗て贈ったどの触れ方よりも熱が籠っている。涙も笑顔も独り占めしたい。男の武骨な指が彼女の髪を梳くように撫でる。肺を満たす空気の清々しさよ。そして、世界の美しさよ。)泣かないでって言いたいところだけど、……その涙も俺との再会を喜んでくれる証だってわかるから、嬉しくなってしまうのは悪趣味かな。(努めて軽妙な声音で言う。月の向こうから帰還した時に、己の時間が一日しか進んでいないことに驚いたのは事実だった。親友との示談のやり取りで憔悴していたことを知っていた友人たちからは、翳りの薄らいだ男の様子にひどく安堵された覚えがある。独りでは絶望の海で溺死するばかりだっただろう。だが夢の淵で彼女と逢った。ブラウンの娘に供してもらった紅茶と珈琲を囲んだ和やかな時間も、披露してくれたバレエのしなやかさも、鏡の森で共有させてくれた哀しみも、中庭の噴水に見守られていた思慕の重なりも、青薔薇の夜に想い通わせた奇跡もすべて。すべてが今、こうして前を見据えて歩き始められた男の糧となっていた。愛おしさのあまり頬を寄せ、はにかんだ顔貌は随分と甘ったるいに違いなかった。)本音で言うと離れがたいんだけど、璃亜の笑った顔見たいし、話したいこともあるし。(少しだけ顔を離して、視線を合わせながら尋ねる。)どっか座れるところ探そうか。時間平気?(とはいえ性急になるつもりもなく、彼女が落ち着けるまでゆっくりと待っていた。大丈夫そうであれば身を翻し、今更に「あ、鞄」と拾う姿もあったはず。)
千喜良直人 2020/02/26 (Wed) 21:04 No.13
私も、……ずっと、(逢いたかったと、そう確かに繋げるはずの言葉は音を伴うことなく涙に溶けた。ひとひらの断雲さえも押し流してしまえる程、明るく清々しく笑み栄ゆ面輪へ目映げに眸を細める。かのひとを前にしてなお確認の疑問符を投げ掛けてしまう程には、どうやら失くすことに恐れの残滓があったらしい己に遅れて笑ってしまう。眉尻をほのかに下げて、それでも優しい眼差しを受けては深い愛情を呈しながら。虹彩の色が変わっても、彼の双眸は変わらず月明を受け容れる海洋のままだった。)……本当、ね。直人はいつも、私を見つけて……、……っ(此処に居る、何もこわいことはないのだと。誠実に約してくれる音、待ち望んでいた彼の声に共鳴して、言い終える前にまた安堵の雫が転がり落ちる。伝えたいことも重ねたい談話も星の数ほどあったはずなのに、先程から言葉の出来損ないをぽろぽろと零してばかり。もどかしさと面映ゆさを覚えながら、それでも出逢えた幸いの方が勝るようで女の心臓もせわしない。空いた方の掌が泣き顔を隠そうと身動いだ頃には、既にすっかりと、温かな腕の中に収まった後だった。絵に描いたような麗日だというのに、恰もそれまで凍えていたかのような。忘れかけていた日の光にくるまれる冬月のような、心身の弛緩を覚えて一度ちいさく喉が痙攣する。軽やかな声付きが耳に届いては、冗談だと知れていても首を振って否と示していた。)泣きたい時は、泣いて、って。あなたが、教えてくれたから、……(ダンスの合間の抱擁より、幾らか怖ず怖ずの速度で動き出す両手。そうっと回されて、広い背へ触れる。折り目正しいビジネススーツを濡らしてしまうことに、胸中でのみ詫びながら淡く睫を伏せた。見知らぬ世界で何ら不安を抱かずいられたのも、連れられる庭園のうつくしさに感嘆できたのも、件の森で惑ったあとにひとつふたつの涙で収められたのも、玉響と思いながら思慕を通わせられたのも。理由を辿れば元々の性質もあろうが、何より、ひとりではなかったこと。確かに傍に居てくれた彼の存在が、心身を支え続けていたのだと知っていた。本当は、想いを自覚するずっと前から。髪を梳く指の優しさに、柔く寄せられる頬の感覚に、逢えないあいだ押し留めていた恋慕が募ってゆく。つたなく転ぶ息は苦しくも、じんわりと幸福を実感していた。)ふふっ、……そうね。私ももっと、声を聞きたい。直人と、向き合いたいもの……(園内には座して語らえるベンチも、簡易なカフェスペースもあった筈。待っていてくれる大らかさに甘えてひとしきり空知らぬ雨を降らせたあと、見上げる顔には笑みを湛えられているといい。視線を重ねる碧眼はやや赤みを帯び、涙痕の残る面貌には気恥ずかしさを残しながら、それでもとびきり幸せそうに。もう少しだけ、と今ひとたび身を寄せる我が侭を挟んでから、ゆっくりと身を離す。置き去られていた鞄に、くすりと笑み音を零せるくらいの余裕は戻っていた。輪郭を朧にした昼の月が、淡くも照る日と睦びながら成り行きを見守っている。)
月影璃亜 2020/02/27 (Thu) 06:46 No.17
璃亜が俺の声を聞いて、見つけてくれたからだよ。……璃亜はしゃんと背筋を伸ばしてる印象が強いけど、いつもそうじゃなきゃいけないわけじゃない。いちばんに璃亜の涙を拭う特権が欲しいな、俺は。(すぐ傍にいる彼女にだけ聞こえるちいさな声で囁く。勿論笑顔でいてくれることに越したことはないが、弱さも痛みも受け止めたいと本心から願っている。彼女が己の傷ごと受け止めてくれたように。どちらか片方が片方に依存し寄りかかるのではなく、互いが互いの支えになれることが嬉しい。だから吐息は沈鬱を含まず、再会の歓びが咲かせる甘さばかりが滲んでいる。そうしてゆっくり、ゆっくりと彼女の涙が収まるまで待っていた。柔く伏せた眼差しは彼女だけに注がれている。彼女の微笑みが胸元で綻んだことを認識すれば、今一度彼女の髪を優しく撫でた。不躾にならないように彼女の頭へラフィア帽子を戻そう。それから何の迷いも挟まず手を伸べた。)確かあっちのほうに落ち着けるところあったと思うよ。行こうか。(穏やかな春に抱かれて、何時かのようにアンダンテの速度で歩を進めようとする。青い薔薇の庭園を、共に歩いた時間を思い出す。あの時からかなりの日数が経過しているかのような錯覚もあるが、事実彼女と過ごした日々はたかだか十四日。なのに千年培ったような感慨が心裡で豊かに膨らんで、焦がれていた間の切なさが拭われ掠んで去って行く。叶っていれば指を絡めるように手を繋いでいただろうか。男が携え続けている想いが少しでも伝わればいい。幾らか歩いた後に木陰のベンチを見つけて、彼女を促して隣に腰掛けようとした。鏡の森を抜けた黄昏時を思わす木漏れ日がちかちかと光を弾くも、あの時とは違い澄み渡る青が葉と葉の間から覗いている。)あの世界で璃亜と出逢って、自分自身に向き合って、こうして戻って来て……不安がなかったわけじゃないけど、思ったより冷静に状況を見られているし、ちゃんと前を向いていられてるよ。(君が繋いでくれた今という光。男の声は震えや惑いを持ってはいない。湛えられたのは確かな感謝と愛情だった。ありがとう。何度でもそう伝えたい。笑みを噛む様さえ、彼女と今を共有する喜ばしさに心が踊っているのだと明け透けだ。)どうしよう。何から話せばいいかな……。ああ、そう。俺、ファンタスマゴリアで何年も暮らしてたように思ってたんだけど、全然そんなことなかったんだよな。俺だけが切り取られてたみたいに一日しか経ってなかった。(不可思議ではあれ憂いはなく、ただあたたかさばかりが揺蕩っている。よかれと思ってという傲慢が影を潜め、常に相手と真摯に向き合えているのは彼女のおかげだ。)一応前の会社のあれそれは整理がついてて、今は新しい職場で働いてる。璃亜は? 今はどんな感じ?(何気なしに彼女の左手薬指に視線が留まって、眦が赤くなる気配に咳払いをした。いい加減照れ隠しに咳払いをする癖がばれている自覚はある。)
千喜良直人 2020/02/27 (Thu) 21:32 No.23
(被せてもらった帽子の鍔を軽く摘まみ、同色のリボンが主と共に恥じらうよう風に揺れた。弱さもさみしさも晒してしまった唯一のひとに、行き場を見出したこころは再び芯を確固たらしめる。今度こそしゃんと姿勢を正し、春陽に似た誘いかけに笑顔で頷いた。伸べられる手の高さも、躊躇いなく預ける感覚すらも懐かしくて、その都度深まる笑みに幸いを感じながら。触れ合った指同士をするりと絡ませ、いわゆる恋人繋ぎへ持っていったのはどちらが先であっただろうか。重ねた日々は時間以上の絆を結び、一日千秋の心地も一歩ごとにほどけてゆく。並んで腰を落ち着かせる頃には高揚も恥じらいも穏やかに凪いで、ただ想いを通わせた再会の幸福感だけが互いを包む。奇跡の裾野を通り抜け出逢ったふたりに、万言は必要なくとも声を聴きたかった。耳を傾ける折はいつもそうしていたように、一言一言大切に頷きを送る。共に喫した紅茶に角砂糖が溶けてゆくような、ゆるやかな速度で胸に浸透させていった。)……良かった。(彼が視線を上げて現の路を歩んでいること、彼自身が自己をそのように判じていること。落ち着き払った語り口に、温かな希望が自然と携えられていること。曇りなく渡されるすべてに抱いた安堵が、柔らかな一言に集約されて春暖におちる。)長い夢を見ていたみたいに?……ううん、実際に“長い夢”ではあったのだけれど。私も目覚めたら一日しか経っていなくて、なんだか不思議な感覚だったのよ。(あの優しい世界で出逢った当初、何の違和感もなくワンダーランドの住民然としていた彼を想起する。そこから少しずつ、恐らくは本来の在りようが垣間見えるようになった日々のことも。幾星霜を詰め込んだような十四日間の記憶を、ただの夢と呼んでしまうのはあまりにも情緒を欠くように思えてならなかった。風が通る毎にきらきらと降り注ぐ木漏れ日の中、胸裡の端にあった憂いが取り払われればそっと笑む。装いから何となしに窺えていたが、彼が彼らしく息づける環境があるのなら何よりだと。)私は相変わらずよ。ずっと同じバレエ教室で、ちいさな天使ちゃん達と楽しく過ごしているわ。オフもそうね、特に変わったことは……(あるとすれば、一箇所のみだろうか。自力でそこへ思い至る前に、彼の変化を見て取ったブルーアイズが円らになる。ひと刷毛ぶん血色を透かして染まる眦、それから耳に覚えのある音にも瞬いた。想う相手の機微は殊更見つめて、意識せずとも心に留めてしまうもの。よってその癖が意味するところも何とはなしに察せられるようにはなっていれど、あえて明言することはなく微笑んでいた。ただ、)なあに?この場所は今のところお留守よ。誰か新しい子が来る予定もないわ。今のところは、ね。(その眼差しが向かう先を、つい追いかけ捕まえてしまうくらいは赦されたい。右手の人差し指がダンス-ズの爪先のように、左手薬指を舞台の一部と見做すように、とんとんと弾むリズムはどこか楽しげでもあっただろう。)
月影璃亜 2020/02/28 (Fri) 03:26 No.29
(時折涼風がネモフィラを擽り、男の前髪をかき混ぜていく。彼女の亜麻色の髪も撫でていく。ふたりの距離を隔てるものは今はない。周囲のざわめきもどこか遠い。浅く首肯した。)うん。実際夢だったって思わなくはないんだ。あそこには辛苦も悲哀もなかった。……俺がそういう場所を求めてたんじゃないかなって、漠然と感じてる。(僅かに目を眇める。逃避と言ってしまえばあまりに単純だ。あの時ワンダーランドへ赴くことがなければ、黄泉の国に至ったとて何の違和もなかった。事実消えてしまいたいと思っていた。だがファンタスマゴリアで確かにイディオは生きていた。住人たちの笑顔に囲まれ、そして何より彼女と出逢えた。奇縁と言うべきか運命と言うべきか。掛け替えのないさいわいを得た日々を、きっと男はずっと忘れることはないのだろう。彼女が微笑みを綻ばせたなら、つられるように頬を緩める。)そういえばバレエを教えてるって言ってたもんな。璃亜が何事もなく健やかに過ごしてるなら何よりだよ。(何時か教室でどんな風に教えているかも聞かせてもらえたらいい、そんな小さな願いが芽吹く。なだらかに流れるだけの時間だったはずの最中に、諧謔めいた響きが届けばぐっと息が詰まった。頬に集まる熱を抑えられない。何だかんだで彼女には敵わない。恐らくこれからもそんな気がする。)いや今のところじゃなくて、今後ともそうじゃないと俺が困るんだけど……俺は除外するって前提で。(昔友人に「チキは本命に対してだと途端に狼狽えるの何で?」と聞かれたことを思い出した。何でだろう。自分でもわからない。口許を手で隠し、気恥ずかしさを取り繕うのに必死だった。腹を括り意を決して向き直る。差し出した視線はひたむきに。)俺はさ、まだ璃亜について知らないことがたくさんある。逆も然りだ。あの世界じゃ璃亜の帰る方法を探すのが先決だったから。(勿論他愛無い会話もあったし、それは男が胸裏に戴く優しい記憶だ。けれどしっかりと目的意識が据えられていたのも確かで、何の気兼ねなくとは言いきれない。子供がクリスマスを待ち遠しく思うような所作で、指を折る。)好きな食べ物とか、好きな映画とか、好きな花とか。小さい頃の夢は何だったとか、出身地が何処かとか……。(そういえばあの時は年齢という概念も把握していなかったから、互いの年や誕生日さえ知らない。見目からして同年代だろうという予測はついたが、そういった些細なことも知りたいと願う。他ならぬ彼女だから。自分を見つけてくれた唯一だから。刷かれた笑みは幾分少年らしい快活さを湛えていた。)十四日じゃ全然足りない。これからも時間を作って会って、いろんな初めましてを重ねていきたいんだ。その証と言っては何だけど、贈りたいものがあって。……もらってくれる?(彼女が否を呈することはないと理解しながらも問うた。君と歩むこれからを、大切に繋いでいきたいという気持ちの表れだから。視線を傍らの鞄に流す。)
千喜良直人 2020/02/28 (Fri) 21:06 No.35
あのとき読んだ本には、こうも書いてあったわ。ナイトメアさんは、夢を介して人の心に触れる夢魔……残酷な記憶に蓋をして、楽しい夢の世界に避難させたのだって。きっと、あの日々自体が贈りものだったのね。(あまりにも優しい猶予期間を与えられた彼にとっても、彼に出逢えた自分にとっても。久々に名を口にした常夜の従者とて、真相を知れば存外お人好しだったのやも知れぬと振り返った。きっともう扉がひらかれることはない、けれど決して忘れ得ない。そんな夢がもたらした現に、今はただただ浸るばかり。)ええ。元々私の先生だった方が経営する教室で、今は一緒に働いて……そうだわ、連絡先も教えておいた方が良いわね。(むろん教室ではなく、プライベートの。休日仕様のミニショルダーバッグに手を掛けながら、女は今後も重ねてゆく未来を当たり前の顔で享受する気でいた。曲がりなりにも経験者だからなのか、生来の図太さなのかは量りかねるけれど。そんな自分の様相と並べば殊更、失礼とは知りつつ微笑ましく彼を見つめてしまう。嗚呼、なんて可愛いひとなのか。)ふふっ!その点については困らなくて大丈夫だけれど……ね、それは予約してもらったと捉えていいのかしら?(ささやかに距離を寄せ、上目に仰ぐブルーアイズは悪戯っぽく煌めいた。照れる様子にも愛おしさが溢れ出すけれど、隠しちゃいやよ、なんて言いたげに視線を注いだまま。だから真率な眼差しがこちらを見返してくれた折には、ブルーの眸に満足そうな光が宿るだろう。アドベント期間の楽しみを並列していくような、こころ弾む響きの一つ一つに心底からの同意を示して頷く。)そうね、私も直人のことをもっと知っていきたいわ。本当になにも知らないもの。お誕生日や年齢とか、休日の過ごし方とか、……恋愛は初めてですか?とか。(そろそろ大概にした方が良いかしらと、言い終わりにはすこし眉尻を下げて笑った。下手にからかう気は別段無かったものの、反応を楽しみ始めている自覚は多少あったものだから。)ちなみに一つだけお答えすると……花は何でも好きだけれど特に、舞踏会の夜に飾っていた子達はお気に入りよ。眺めていると優しい気持ちになれるの。(殿方がどれ程花に明るいかは察せられないから、飾っていた四種のうち幾つの名前と見目が一致するのかは曖昧だけれど。例示されたもの以外に、共に過ごすうちに知れてゆくことも多々あろう。今度は定められた猶予期間ではなく、末永くのびゆく路の道中に。恋うひとの笑顔が晴れやかに、明日やその先を照らすようだから尚のこと、すんなりと未来を信ぜられた。柔らかに目を細め、賛同の頷きをもうひとつ贈った刹那。)まあ、何かしら。気になるわね。(その切り出し方に想起するは夢の日々の中、淡くも優しい光を湛えて己を守ってくれた一粒。あの時に限らず彼の手で、声で、贈られるものが嬉しくなかった試しなどあっただろうか。過日とそっくり同じ音韻をなぞってイエスの意とし、想望だけを胸に待つ姿勢を整えた。)
月影璃亜 2020/02/29 (Sat) 10:36 No.42
(彼女の説明に伴い理解が胸裏に落ちてくる。夢魔による誘いなど、嘗ての男であれば一瞥もしなかっただろう。しかし過日の色彩は確かに男の芯で息衝いている。贈り物。そうかもしれない。恐らくもう二度と訪れることはないが、男はファンタスマゴリアという世界が好きだった。あの世界で生きた日々があったから痛みを抱えて歩むことも出来たし、彼女に出逢うことも出来た。口許に刷かれた笑みは柔らかだ。連絡先の交換にも当然否はない。続いた呟きに一瞬呆気に取られて空気を噛んだ。)……璃亜、それわかって言ってるだろ。(それでも反感はちっとも込み上げず、悪戯めいた瞳の輝きに絆されるのだから恋とは何とも恐ろしいものだ。「後でちゃんと言うよ」と告げ、降参とばかりに軽く肩を竦める。)そうそう、そういうの。って、俺どんな風に見られてるんだそれ。(複雑な感情を持て余して盛大なため息を吐いてしまう。今一度咳払いを挟み、少しだけ思索を巡らせた後、ありのままの事実を明け渡そうとする。)普通に彼女がいたこともあるよ。ただ会社を立ち上げてからは、だいたい「そんなに仕事が大事なの」って言われて振られてばかり。冷たくしてた心算はないけど、寂しい思いはさせてたのかな。……これからはそうしないようにって、思ってるけどね。(要するに他人との距離の測り方が下手くそだったのだろう。親友との確執を経た今では、仕事でもプライベートでも適切な距離を持つことを学んだ。ひとつに注力しては視野狭窄に陥り周囲が見えなくなる。一拍置いて、相手の意向を聞き、出来ることをしたいと心から願っている。舞踏会の夜に彼女を彩っていた花を思い描く。如何せん種類に詳しくはないが、あの時の彼女がとても美しかったことは記憶に新しい。)薔薇はわかるけど、他の花はどうだったかな……ああ、此処に咲いてるのがネモフィラっていうのは、さっき話してた仕事先の人に聞いたよ。『愛し子の青い瞳』とも呼ぶって。……何か、璃亜のことみたいだ。(笑顔を解けさせる。奇跡の青い月へ、噛み締めるように囁いた。青い花が風にそよぐ様を横目に、男の手がビジネスバッグに伸びる。取り出した白い手提げの紙袋は隅がやや傷んでいる。鞄にずっと入れていたのだとすぐに知れよう。そこから姿を現したのはリングケース。内側に瞬く、昼と宵のあわい。青に透け往く玻璃のきらめき。とっておきの秘密を打ち明けるように声を紡いだ。)今俺が働いてる会社、クラウドファンディングをやっててさ。最初に担当したのが老舗の宝飾店で。珍しい石があるからって教えてもらったらこれを見つけたんだ。……何時か璃亜に逢えたら贈ろうって思ってた。予約じゃなくて、一足飛びに本番と行きたいところなんだけどどう?(ブルーハイアライトオパールは、陽光を受けて澄み渡る。その細い指にはシルバーではなく、ホワイトゴールドの輝きが在って欲しかった。小さく笑う。)ただ前のめりに慌てて買ったから、サイズが合ってるかわからなくて。合わなかったら直しに行こう。(真直ぐに、たったひとりの幸いへ告ぐ。)好きなんだ。(以前と同じ、けれど違う、真心を籠めて愛を捧ぐ。)
千喜良直人 2020/02/29 (Sat) 20:28 No.45
(春つ方の空気をかみしめる音にも指摘にも、ふっくりとした笑みを浮かべたまま「なんのことかしら」と空惚けてみせる。白々しさは自覚すれど、溜息も一刺しも気を悪くさせたが故の反応ではないと伝わるから。求めた答えを存外律義に渡される間は、耳を傾ける月草の面貌も幾らか静かに凪いでいた。みなまで聞き終えて、数拍の間。自分とて過去に恋人が居た身、誰とも知らぬ相手に妬いたなんてことはある筈がなく。ただ単純にのんびりと、言葉を探るため設けた休符であった。)何故かしら。見てきた訳じゃないのに、なんとなく解るような気がするわ。……あ、悪い意味ではなくってね?ひとつのことに一途だったり真っ直ぐだったりすると、擦れ違いに気付かないパターンも侭あるでしょうから。(つまり彼ひとりに非があったとは一概に言い難いのだと、想像にとどまる身だからこその軽やかさで口付いた。友人にせよ恋人にせよ、名のある関係は双方で構築してゆくものであるために。殊勝な心掛けだと称すのはどうにも上から目線になる気がして、ただ温良な笑みを浮かべるに留めながら。)私も、不安や不満があったらすぐ言うようにするわ。あの時約束したものね、……心掛けなくても自然に、毎回そうしてしまう気がするけれど。(心的距離が近しい相手には、必要以上の気兼ねも遠慮もなしに意思を伝えてしまう方である――とは、夢で彼と重ねた日々が何とはなしに物語っていよう。名前そのものにメッセージ性が籠もる花、そして彼の胸元に飾ったサムシング・ブルーの一花については、これから重ねゆく日々のどこかで教えられれば良い。)そう、“baby blue eyes”ね。……あら。ふふっ、光栄です。(海外の血を思わせる眸が、彼のささめく声音ひとつで美質を増したような錯覚。その一対を円らにして瞬かせるのも、恋慕の輝きで満たすのも、また想い人の為せる業であった。恐らくはいつでも渡せるようにと常備してくれていた真心に、きゅうと疼く胸を何としよう。網膜をやさしく刺したグラスオパールの光に、懐かしくも鮮明に溢れる想いを何と呼ぼう。先程のやりとりを思えば、もはや既に予告されていたようなものであったのに。返事など決まり切っているのに、ただ幸福の吐息がまろぶばかり。役立たずになったくちびるに代えて、手を伸べた。エスコートを願い出るのと似通った所作で、甲を上に。)付けてくれる?(上がった語尾で問いの形こそ成してはいたけれど、声色に滲むのは自惚れにもひとしい期待。ひたむきな想いを、今も誠意とともに差し出してくれた彼が、この我が侭を叶えてくれない筈はないと。号数など教えていなかった指に、環の大きさが合おうとも合わずとも反応は変わらない。彼のお陰で泣き虫になりそうな双眸が、再びブルーの海に溺れる兆しを見せてしまいながら。それでもとびきり幸せそうに、陽光を受けて晴れやかに笑った。)ありがとう、直人。――…私も好きよ。大好き!(衝動のままに両手を伸ばして、叶うなら今ひとたびの抱擁を望む。愛しいひとの腕の中を、自分の居場所と確かめたくて。飾り気などひとつもない愛の言葉ごと、どうか受け止めてほしかった。)
月影璃亜 2020/02/29 (Sat) 23:17 No.48
(何時かの約束を思い返せば、安堵と思慕がない交ぜになったあたたかさが心裡を浸す。互いを尊重し合いながらも、思いのたけをきちんと伝える。責めるのではなく歩み寄る。そうしてふたりにしか培えないこれからを織り成していけますように。それが叶う人間としての信頼関係は、恋愛抜きにしても掛け替えのない絆に思えた。)ああ。不安や不満をきちんと受け止めて、どうすればいいかを一緒に考えていけたらいい。うれしいやしあわせや、ありがとうもたくさん伝える。……大切なんだ。そうやってずっと傍にいたいって、俺は思ってるんだ。(ひどく稚気を宿す響きになった。彼女が気兼ねなく意思を伝えてくれることが嬉しかった。ふたつの優しい天上の青を見つめる。そこに在るのが安寧であればいい。希望であればいい。さて今はどんな彩が満ちているか、どうであれ受け止めてくれることはわかっている。なのに些か緊張していたのは本当の話。彼女への想いが募るが故のこころの震えは、一片たりと嫌な感情ではなかった。伸べられた繊手を恭しく掬う。)もちろん。(幸せそのものみたいな顔貌で頷いた。ケースから取り出した白金の環は、真昼の月のきらめきを映している。ひかりのひとらみちみてり──かすかな虹を含む蛋白石は淡く瞬く。繊細な玻璃が傷付かぬよう丁寧に、慈しむように嵌めようとする。が、僅かに眉根を寄せてしまった。指先を環に滑らせると、ほんの少しだけ緩みが生じている。大幅にとはいかないもののぴったりとは言い難い。)うーん……やっぱりちょっと大きいかな。落とすほどじゃないだろうけど不安定っぽい。じゃあ、(間違っていても直せばいい。正しい在り方を望めばいい。それを恐れる必要はないと教えてくれたのは他ならぬ彼女であった。紺青を思わすひたむきな眼差しを、君に捧げよう。)直しに行こうか。それで、この指環が璃亜にずっと寄り添っていられたら嬉しい。ついでに言うなら、今日これからの時間を分けてくれないかな。俺、午後から休みなんだ。璃亜と一緒に過ごしたいよ。(素直に声が零れたのは、空虚を抱えた折の己には考えもつかないことだった。こんなに魂をも揺さぶる『大好き』を他に知らない。彼女の晴れやかな微笑みはまさに天上の歓喜に似て、世界中のどんな宝物を集めたとて敵いやしない。胸に飛び込んでくる愛おしいひとを受け止めて抱きしめて、こころの行き場が此処に在ると証明しよう。青く可憐な花々も、琥珀思わす木漏れ日も、弥生を馳せる春風も、全部ふたりの物語に添う額縁だ。迷わずに肩を並べて進めると心の底から思えるから、何の憂いもありはしなかった。)……璃亜。(大好きを噛み締めて腕の力を強める。不意に鼻腔を掠めた気がした甘くも清しい薫りは、彼女の為人を表すかのよう。エンドマークの続きを捲れないフェアリーテイルではなく、何時かは醒めてしまううたかたの夢ではなく、揺らぐことなく明日へと続く現実の話。ならば次の頁に伸ばすのは自分の指先でなければならない。彼女の白磁の頬に手を添える。耳の裏に指先を伸ばし入れ、微かに感じる髪の手触りすら逃さない。顔を寄せる。過日のように吐息が重なりそうな、睫毛が触れそうな、ふたりだけが共有する距離を零にする。)璃亜、好きだよ。(くちびるが溶け合う一秒前に、再び最愛の月の名を呼んだ。)
千喜良直人 2020/03/01 (Sun) 17:11 No.58
ええ、同じ気持ちよ。……受け止めるばっかりではなくて、直人もちゃんと教えてね?ひとりじゃないんだもの、蟠るものは全部分けてほしいの……って、これも前にお願いしたわね。(少年のように純粋な願いを受け取って、充足の笑みが満面に浮かぶ。こころの一致を素直に喜び、青薔薇の下で紡いだ望みをもう一度なぞる。此度も迎えに来てくれた青い花の海は、さしずめ安らけき虹の裾野。ワンダーランドではなくとも確かに、奇跡の輝石を恵む麓。委ねた指をまるで壊れもののよう、大切に扱うその手が導いたものだった。指根に合わせれば僅かに生じた環の緩みさえも、自分のために急き立てられた想いの証左と思えば愛おしくて。)ふふっ、そうね。でも綺麗。(今はすこし不格好な、いずれ永遠の環になる玉滴石を陽光と真昼の月に翳す。宝石の審美には疎くとも、白昼と小夜のあわいに溶けそうなラベンダーブルーが他の何より麗しく思えた。贈り主の真心と、互いに通わせる想いが殊更に光彩を増すようで。光の波、芳しく清き芳香、透き通った風がふたりの画をやさしく縁取る。遠くきこえるハミングバードの歌声さえも、祝福を唱っているように届くのだから恋心とはお目出度きもの。俄に少女めく面貌が、心躍る誘いにふわりと破顔した。)勿論、今日一日の時間はあなたに渡すつもりだったわ!それでね、もし良かったら……(嬉しいも幸せもありがとうも、不安も不満も伝え合いたい。そんな我欲のひとひらを、今この時にも渡したがった。)私からも、……あなたの指にも、光を贈らせてほしいなって。ずっと一緒の証、ひとりだけじゃ物足りないもの。だめ?(贈られるばかりではなく贈り合いたい、一方だけでなく双方から。そんな欲張りを明るみに出す声もまた、退けられる筈などないという自惚れ甚だしい鈴音を転がしていた。彼の肩上を過ぎる両のかいなは何のおそれも抱くことなく、夢ならぬ幸せの在処を躊躇いなく抱き締める。すれば必ず応えてくれる、此処がこころの行き場と教えてくれる温もりに、慕情は際限を知らず溢れるばかり。撫ぜる黒髪の感触も、短さの分だけ過日とは異なれど矢張り大好きで。自身のすべてを肯定し受け容れるように優しく、大切に名を紡ぐ声も慕わしい。かくも数多の大好きで象られた唯一の君と、共に歩める未来があること。当たり前のように出迎える奇跡を、この心身で幾度なりとも噛み締めようとした。)――はい。(物語の続きを手繰る指が、頬から耳裏へ滑りゆく感覚ひとつさえ心地良く。黄昏の木漏れ日がおちる楡の木の下、頬へ捧げた厚意。月の光をまとった宴の夜、瞼を介して贈られた憧憬。それから今。呈される愛を今一度音として贈り返す代わり、距離が縮まるにしたがって睫を伏せた。同時に眦から一粒、零れ落ちるは吹き残した至福の欠片。胸に収まりきらなかった思慕の情が、眸の海をあふれさせた。心とくちびるを重ねたまま、奇跡のパレットで描き出される一頁を綴じて幾許か。永遠のような刹那を経て、名残を惜しみながら面輪を離す。至近距離で今度は眼差しを絡ませ合い、いちばんに浮かぶ笑みには微かな面映ゆさを含んで。夢のおわりへ誘った時と同じよう、自分の方から手を伸べた。目的地の所在も知らないのに「行きましょう!」なんて、意気揚々と誘う様もまた件の宵を彷彿とさせようか。)
月影璃亜 2020/03/01 (Sun) 21:03 No.62
(彼女は言葉を惜しまず、真直ぐに心を手向けてくれる。これからの日々に於いて言葉足らずで傷付くことも傷付けることもないと信じられる今がどんなに得難く尊いことか。どうしたのと促す代わりに首を傾げる。彼女からも己が指へ光を贈りたいなんて可愛らしい我儘を、欲しているのは自分自身だ。)駄目なわけない。うれしい。……うれしいよ。一緒の証を身に着けるならひとりよりふたりがいい。(腕の中の愛おしいひとへ伝える言葉は、文字列にすればひどく単純だ。拙くも格好つかないとも思わなくはないけれど、それでもよかった。彼女と分かち合う空気そのものが何より愛おしく、身体の細胞全部が優しいぬくもりを受け容れている。溶け合う温度。刹那を思わす永遠がゆっくりと染み渡る。彼女の眦から滑り落ちる雫に気付いたのは僅かに間を置いた後で、輪郭を包んでいた手が名残を追いかける。指先で拭って、何気なく己の唇に刷いた。もうこの口から悔恨が溢れぬよう祈りめいた誓いを携える。刻まれる笑みは、雲一つない青空の如き鮮やかさ。身を離しベンチから立ち上がり、差し出された手を取った。「ああ行こうか」、屈託なくそう告げる。月の裏側の涯て、夢の先へと踏み出すのだ。春風は背を押し、瑠璃唐草は陽光にささめいている。世界がふたりを歓迎している。透き通る白い月は晴天の青と調和して、悠久を経て尚互いのこころの行き場となるのだろう。)

(それから幾つの季節が巡っただろう。絹の経糸に真珠と玉滴石を、緯糸に瑠璃と玻璃を通し、彼女と共にたくさんの想いを織り成した。幸せのテキスタイルを幾枚も重ねれば、どんなさみしさやかなしみも通り抜けて来やしない。今宵は仕事を早めに切り上げて合流し、同じ方向へ進む人の流れに乗り、とある映画館へと肩を並べ歩を進める。互いの指にはブルーハイアライトオパールのきらめきだけではなく、プラチナの輝きも重ねられていたかもしれない。向かう先に思い馳せ、懐かしむように男が口を開いた。)俺が転職したてで契約にこぎつけた案件がこんな風になるなんて思わなかったな。あの日帰り際に監督がさ、打ち合わせ場所の近くのネモフィラはとても綺麗だから見ていくといいって教えてくれたんだ。そうしたら璃亜と再会出来た。(今日はある映画の完成披露試写会。関係者席チケットが二枚、男の鞄で今か今かと出番を待っている。彼女に眼差しを贈りながら、噛み締めるように囁く。)でも思えばあの日だけが奇跡ってわけじゃないんだなって。璃亜と過ごす一瞬一瞬のすべてが奇跡だ。(実感と共に紡がれる声は揺るぎない。男が視線を流した先には今回の作品のポスターが貼られている。淡く青みを帯びた真昼の月の下、ネモフィラの花畑で見つめ合う男女の姿。ワンダーランドから帰還し彼女と再会した日に契約が交わされた、クラウドファンディングの案件。熱意ある監督とプロデューサーの言葉を載せた特設ページにて脚光を浴びたその企画は、多額の出資が集まり映画化が実現する。SNSでの宣伝で火が付き、人気の若手俳優らが出演するとあって公開前からヒットが期待される作品だ。キャッチコピーは『さみしいより、うれしいがいい』。当然ファンタスマゴリアでの出来事を他人に口外したことは一度もないから、映画のコンセプトを伝え聞いた時はこの世には何という偶然があるのかと目を剥いたのを覚えている。しかしその幸いの在処を誰より知っているが故に、男の双眸が青みがかった光を映し、細められる。)さ、行こう。どんなストーリーなのか楽しみだな。(タイトルは『ブルームーンの恋人』──それは知らないのに知っている、不思議の国の物語。あるふたりが繋ぎ紡いだ、青の裾野を迎えた先に広がっている、掛け替えのない奇跡の彩によく似ていた。)
千喜良直人 2020/03/02 (Mon) 20:52 No.70
ありがとう。……あのね。そう言ってくれると良いなって、すこし期待していたの。(つまりは“わかって言ってる”に類する問い掛けであったのだと、正直にささめいて明かしては「あなたの声で聞きたかったのよ、許してね」なんて恋衣に包まれた本音をもうひとひら。溢れ出した想いの欠片は確りと殿方のものと知れる指で、この上なく優しく拭い去られる。残滓ごと掬われるような感覚も、その愛しい指が向かう先も、所を変えて目映さを増した陽光の笑顔も。全てがくすぐったくて面映ゆくて、とびきり幸せなこれからの序奏であった。それは寒空めく宵の照明灯ではなく、麗天の陽光に潤む月の下で。帰泉の精霊が舞う舞台ではなく、生を息吹き踏みしめる地の上で。終章ではなく始まりを告げる瑠璃色が、言祝ぎのアラベスクを描き出した春日のこと。)

(春花秋月も共に愛でればいっそう美しく、暮色蒼然とした時節もふたりならば嶮しからず。人に言えば惚気だと笑われてしまいそうな、寧ろ自分でも笑ってしまう位に想いを育てている恋人との日常は、恙なくも鮮明に刻まれていった。奇跡のようなあたりまえの軌跡を描きながら、珠玉の日々を織り成すさなかに言の葉も数多重ねて。例えば、嗜好のこと。昼下がりのティーフーズが好きだと告げた折には、気紛れなお茶会を懐かしんで眸を和ませもしただろう。自分自身は出生も育ちも東京であるけれど、母の出身がとある暖かな異国の一島であること。今更ながら日本人離れした髪と双眸の色、名前の響きにも多少合点がゆくだろうか。画く夢は幼い頃から変わりなくひとつきり、ただ最近は未来の夢にのびゆく影がひとつ増えていること。誰なのか、なんて言わずもがな。足を向けるのは専らバレエをはじめとした舞台の客席のみで、思えば映画館にはあまり赴かないこと――なにげない事実が雑談に上るのと、試写会の話を聞くのは果たしてどちらが先であったか。柔らかに綻んだくちびるから、笑み音が軽やかに零れ落ちる。軽く指先を揃えて添えた手、指根のひとつには恋人と揃いの彩が今日も煌めいていよう。)うふふっ!それなら私は、たくさん感謝しないといけないわね。きれいなものをご存知だった監督さまにも、きれいに咲いてくれていたネモフィラにも。(勧めの通りに足を向けてくれた彼にも、若しかすると想い出のよすがを求めて赴いた自分自身にも。奇跡や夢の成就とは多分そういうものだと、疾うに知ってしまっていた。何でもないことのような顔をして、けれど確かに降り注いだ光の結晶。)知っているわ。初めて出逢った時から、……出逢う前から、よね。私を見つけてくれたのも、私が見つけ出したのも、はじめから全部ひとりだけだったもの。(見上げる眼差しは月明を受け容れた宵の色へ、次いでその一対が見遣る先へと緩やかに流れる。純粋な興味を惹くにも充分なその絵面は、しかし誰かと誰かを重ね合わせるなという方が無理な話であった。親しみやすい宣伝文句の一文にまで、いつか手向けられたものを彷彿とさせて懐かしさが滲むのだから。ひとときの幸せを永遠への階として、月草の眸子もまた恋人と共鳴するよう柔らかに細められる。目覚めの後こそ翳りを帯びていたものの彼と再会して以来、身に置いた芯が受容や諦めの方向へ傾いてしまうことはなかった。夢に住まう神さまよりずっと近しく、確かな場所で生きているから。時に逢えない日が続いたとて、寂寥も不安も生まれやしない。互いを信じる、幸福な愛とは成る程こういうことなのかと、腑に落ちるのもごく自然だった。)私の耳に届いたのが、直人の声で本当に良かった。……ね、きっと素敵な物語よ。心を籠めたものは、表紙を見ただけで解る気がするの。(奇跡の花。瑠璃の羽色を以て、幸福の在処を示した鶲。愛の夢はいつ如何なる時も、扉をひらいて待っている。優しいばかりでは決してない、然れど彼の存在だけでひときわ優しい彩を灯す、共に歩める現の世界で。稀なるブルームーンを見つけて、今宵も未来へ手を伸ばそう。――Not once upon a time, story start from here with you. 掛け替えのない物語の続きは、どうかふたりで。ハッピーエンドのその先へ、肩を並べて歩いてゆこう。)
月影璃亜 2020/03/06 (Fri) 02:08 No.84
Log Download