Mome Wonderland


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(Once in a Blue Moon)
…………………あ。(肺を軋ませる音に気付いて、伏せていた面を上げる。先程より空の藍色が増している。周囲に視線を流せば、今この場が城内でないことを理解した。星影が瞬く、青薔薇の庭。女王の城の裏門から出て道なりに進めばすぐ辿り着く場所ではあったが、ここまで我知らずに歩いてきてしまったということか。どれだけ呆けていたのかと、苦さが口の端で歪んだ。その一方で理解もしていた。城のあの廊下は光が差さず、とても暗かった。暗い場所は苦手だ。あの夜の孤独と悲嘆が肺腑を食い破ってくるからだ。故に自ずと離れようとしたのだろう。ファンタスマゴリアで生活するようになってからも、空が白み始める頃には起きて動き出し、日が沈んでからはカンテラの灯を欠かしたことはなかった。今は──今は、月のやわらかな光を知っているから、怯えなくていい。怜悧な理性がそう訴えてくるのに、自然と眉根が寄せられてしまった。)わかってる。……わかってるんだ。(弱々しい声は薔薇を揺らさない。薔薇園の片隅、四阿にて男は独り。パールホワイトの石畳に他の人間の影は落ちていない。耳を癒す旋律は今はない。傍に在るのは胸骨のうちがわを満たす芳しい匂いだけ。残された猶予はごく僅かであるというのに、男は一歩を踏み出すことが出来ずにいる。)何をやっているんだ、俺は……。(空白を抱える手を見つめる。大切なものを両手でやさしく掬った心算でも、力加減がわからなくて、潰してしまうかもしれない。嫌だった。大切なひとを傷付けてしまうことも、大切なひとが目の前からいなくなってしまうことも、耐えられなかった。それならば自分が壊れてしまうほうが余程ましだった。重く沈殿する心裡とは裏腹に、追い立てる時間の足音も理解していた。急がなければ。「方法さえ教えればすぐにも帰ることは叶った」と言っていたから、宵闇の従者は帰る方法を知っている。赤の女王も知っているのかもしれない。引き返して確認して、彼女にも伝えなければ。彼女が元いた場所に帰って、幸せになれるように。そこまで考えたところで目の前が再び滲む。四阿の柱に額を押しつけて瞼を強く瞑る。)……わかってるんだ。(か細い声で繰り返す。胸裏に思い描くのはいとしい彼女の姿だけ。知らず男が自嘲めいた言い回しをしただけで窘めたような彼女だ。今更男が弱いところを見せたところで、詰るようなひとではない。彼女を信頼していないわけではない。やはり、男は自分自身を信じられずにいた。彼女を大切に出来るだろうか。傷付けずにいられるだろうか。彼女だけを送り出すのではなく、一緒に現実に帰ろうと言えるだろうか。不安を溶かした憂慮がしっかりと根を下ろして蔓延って、雁字搦めで動けない。)リア。(急がなければならないのに。何度も迷いを噛み砕く。焦燥だけが踵を浮かせていた。)
イディオ 2020/02/19 (Wed) 20:30 No.8
(「よく広場でお仕事なさっている、やさしい商人さんを知りませんか」――行き会う親切な住民達へ、居場所を訊いて回る面輪にはどうしたって焦燥が浮かんでいた。その間もまるで意地のよう、この世界でかのひとが名乗る名は断固として紡ぐことなく。王城へ向かったと情報が得られれば、一旦はそちらへ向かいもした。城や街中を走るお行儀の悪さは知らぬ振りして、伝聞に出てきた場所を順繰りに廻ってゆく。駆けるだけの脚力も体力も、職業柄それなりには備わっている気でいた。ただ舞うに特化しただけの脚は急く程にもどかしく、全力疾走に慣れない視界は襲いくる眩暈に明滅し、捩れる臓器の熱に悔しさが滲むけれど。いずれをも叱咤し奮い立たせながら、無我夢中でひた走る女の眸に迷いは一縷もなかった。そうして辿り着く、しんと静まりかえる奇跡の花園。幸福な夢のほとりに咲く花は、夜のとばりの中で殊更に芳しい。速度を弛める兆しなど終ぞなく、白いワンピースの裾が幾度目に翻った時だろうか。常ならば人々が憩うであろうガゼボの内側、一見すればがらんどうかと空目しそうな闇のなかに、みつけた。出逢えた安堵はすぐ、締め付けられる心臓の痛みに取って代わられる。最たる原因は消耗に非ずと、誰より女が自覚していた。表情の見えない後ろ姿が、あまりにも哀切を帯びて映ったから。舞踏会に纏ったサッシュと同じ色の石畳、いつか共に歩んだ路。ひとりぶんの靴音は、しじまの中で否応なしに響んでしまったやも知れない。探し求めたひとの像がクリアになると共に、確認する意味合いで落ちる速度はアッチェレランドの心音と反比例。彼とは反対側、四阿の一角をなす柱に手を添えて立ち止まる。)……、っ(一度の乾咳で動悸が全身に響き渡るけれど、自分より遥かに苦しむひとを前に何の泣き言も零す気はない。崩れそうになる脚を突き動かし、意思と裏腹に床へ落ちかけた視線を引き上げて。息切れの残滓は多少無理にでも呑み込んで、叶う限りに柔らかな声を送り出そうとする。)――はい。(名を呼ばれたから応えたのだと、もし問われたなら女は答えるだろう。あなたも、わたしも、此処に居るから。彼が振り返ってくれたとしても、未だ背を向けた侭であっても、確かな歩みは一歩ずつ距離を縮めてゆく。場違いであろうと何であろうと、穏やかな笑みを湛えたまま。そうして彼の眼前に、必要ならば回り込んで、一粒のきらめきを差し出した。紺碧の空色が地に墜ちたままであっても、ちゃんと自分の掌ごと映り込むように高さを合わせて。)……落としものよ。(存在を知らしめるよう、大切に重ねて差し伸べる両の手。そこに収まるはホワイトゴールドの鎖に繋がれた、月明かりに映える青色輝石のアミュレット。持ち主ではなくきっと、誰かの幸福を希うための。)ごめんね。……ごめんなさい。お待たせ、してしまって……。あの時も、いまも……。……呼んでくれて、ありがとう、(夢の世界において、得た物品はきっと何の意味も成さない。届けたかったのはただ、尽きせぬ想いひとつであった。)
リア 2020/02/19 (Wed) 21:12 No.9
(呼吸音が頭蓋の裏で反響する。大理石の柱は最初こそ冷えていたのに、男の熱を吸ってぬるくなる。喉に、痛みを伴う圧迫感が競り上がってくる。愚か者は追憶に浸ることさえもう出来ない。贖罪の場はない。結局代理人であるところの弁護士とはやり取りをしたが、彼とは会うどころか言葉を交わす機会さえなかった。今後もないだろう。睫毛が湿る。けれどそれを流すことなど許されまいと必死に耐えた。悔やんだところで時計の針は逆戻らない。心臓を宥め、行こう、もう行こうと幾度目かに繰り返した時だった。)   え……。(言葉になり損ねた音が漏れる。虚ろな眼差しが在処を探す。身を翻した時、随分と酷い顔をしていたと思う。床に落ちた滴の正体を男は知らない。)……リア……。(思い描いていた彼女の姿がそこに在る。そういえば此処は夢の国だったか。夢だから、都合のいいものばかりが見えるのだろうか。頬を抓ったら痛くないのかもしれない。だが指は頬には向かわず、身体の横で下ろされていたままだった。)どうして、ここ、(言いかけて唇が硬直した。)……それ、(己が上着の表面を辿れば、指先で微かに認識出来る輪郭がなくなっていたことに今更気付いた。城の廊下で自分を見失った時、拾わずに置いてきてしまったのか。彼女の掌できらめく、ささやかな幸せの祈り。自分では幸せに出来ないから、せめて、せめて願うことだけは許されたかった。続いた言葉にかぶりを振る。声は硬い。いっそ鋭い。)リアが謝ることなんてひとつもない。(ファンタスマゴリアで呈していた道化めいた口振りは鳴りを潜め、本来の男自身の言葉遣いが露呈している。剥がれたものは上辺か虚勢か建前か。手巻きのオルゴールが最初に戻った時のように繰り返す。)あの時……?(随分とたどたどしい口吻だ。ありがとうという響きが腫れた痛みに沁みていく。唾を呑み込み、星の欠片を拾おうとする。)呼んで、……ああ、うん。呼んだ、な。呼んでしまった。リアのことを考えていたから、……、……。(誠実でありたかった。目を逸らしたくなかった。その一心で声を絞り出した。)さっき、ナイトメアに会ったよ。リア(と自分、という言葉を意図せず省略する。)の帰り方、わかっていたみたいなんだ。ただごめん、詳細を聞きそびれてしまって……もう一度城に戻って確かめたら、まだ間に合うと思うんだ。(喋りながら徐々に思考が纏まっていく。一方で散漫になっていく。磁石によって流れを変える砂鉄みたいだ。それすらも白く蒸発していく。鼻を軽く啜って、改めて向き直ろうとする。)……リアは大丈夫だよ。ちゃんと帰って、幸せになれる。何にも心配いらないんだ。(完全に己を鑑みる視点が欠落していたから、浮かべた笑みが引き攣ったことにさえ思い至れない。駄目だ。絶対に駄目だ。彼女だけは、彼女だけは損なわれてはならない。)大丈夫だよ。(もはや誰に言い聞かせているのかも、ちっともわかっていなかった。)
イディオ 2020/02/19 (Wed) 23:51 No.16
初めは、住民の皆さまに居場所を聞いて……でも、分からなくて。ここに来たのは、ただの直感だったの。もしかしたら、って……。……居てくれて、本当に良かった……(声の断片を拾って、説き明らめるソプラノに安堵が滲む。実の所、此処であればと無意識に願う心があったのやも知れなかった。早鐘の余波が消えない胸に手を当て、情けなくも乱れた呼吸をゆっくりと整える。同時に彼と、彼なるひとと確り向き合う姿勢も整えるつもりで。恐らくは、記憶の蓋を外されたのだろう。ちいさな陛下から明確な解を得た訳ではないが、何とはなしに窺い知れる。ずっと彼を見てきたからこそ、悄然とした表情や硬質な声音に言葉遣い、かたち成すものの差は明らかで。それぞれに事が起こっていたために、当然生まれ得る認識の差異も感じ取った。戻る方法、ふたりの行く末。先ずはどこから埋めたものかと、説明の順序を選ろうとするあいだにも想い人の声は続いてゆく。引き絞るような音に痛ましさは覚えれど、制止をかけることはせず。すべてに耳を傾けるさなか、月草の笑みは静かに収められていた。)お城には戻らなくていいわ。だから、(願い星の煌めきを持ち主に返し、空になった両の手は彼のかいなをそっと取る。四阿の内側に設置された、柱と同素材のベンチを指し示して。)ちょっとそこにお座りなさい。(誘い文句でもお願いでもなく、まるで説教の先触れか何かのような命令口調でぴしゃりと落とした。意の通りに腰掛けて貰えたにせよ、互いにいつもの身長差で向き合うにせよ、まっすぐ見据えるブルーアイズは変わらない。真正面に立って、彼のほうへ伸びる両手もまた。叶うなら両頬を包むように触れ、じかに体温を分けたかった。)言わなくちゃいけないこと、教えてあげたいこと、色々あるのだけれど……まず。自分の幸せから目を背けているひとが、相手の幸せに向かって「大丈夫」なんて言葉を使うものじゃありません。そんな顔で、そんな声で何を約束されたって、ひとつも安心なんてできないわよ?(ことりと首を傾け、亜麻色の髪が肩から流れ落ちる程度の一呼吸を置く。謂わば手向けた音の葉が、相手に浸透するのを待つための間。幼い生徒のひとりを呼び出し、落ち着いて説諭する折にもよく行うことであった。ただ、諭す立場でいられたのはそこまで。続く言葉にはとても“先生”たりえぬ直情が織り込まれ、率直な不満にくちびるを尖らせもしてしまう。懸想の念ゆえにどうしても、叱責というよりは拗ねているような雰囲気に近しくなろうけれど。)なんにも心配いらない、ですって?私が今いちばん心配なのは、目の前にいる誰かさんよ。馬鹿じゃないくせに、馬鹿なことを言わないでちょうだい、……(いつもの呼称を紡ぎかけて開いたくちびるが、一旦噤まれる。「ねえ、」神さまの名も確かに、今日まで間違いではなかったけれど。今は、願わくは。わがままと知っていても、彼のほんとうに触れたかった。)……あなたの、まことの名前はなあに?
リア 2020/02/20 (Thu) 02:03 No.17
(沸騰する困惑に、彼女の声が真直ぐに落ちてくる。そこに否を出す理由もなく、言われるがままにベンチに腰を下ろす。状況を把握する前に、差し出された温度が頬を包んだ。黒く塗り潰された世界に輝く清廉たる月。甘やかすのではなく、厳しくもひたむきに、くすんだ陰に注ぐあたたかな光。諭すようで、慈しむようで、優しい声だった。捩じれた認知を据えてしまった自分でも、きちんと向き合ってくれていることくらい嫌でもわかった。彷徨っていた目の焦点がようやく結ばれる。理知の光を取り戻す。紺碧の瞳の中で、彼女の輪郭がぼやける。)…………ごめん。(随分と素直な声音が口から滑り出る。)ごめん。独りよがりは、よくないな。……よくないな。(同じ失敗を繰り返してはいけない。大切なひとを、己の浅慮で傷付けるのはもう嫌だ。その情動だけが男の背を駆り立てていた。感情を力づくで宥めれば息は深く吐き出される。細かく瞬きを繰り返す。痛みを堪えるように奥歯を噛んで、逸る心音を落ち着かせようと試みた。傾斜のある断崖で踏みとどまる様に似ている。彼女の言の葉ひとつひとつを受け取って、咀嚼しようとする。少しずつ染み渡る安堵が表情を緩めていくのは、今まで強張っていたからだ。穏やかさとは遠くとも、人としての体温を取り戻しつつある面差しをしていた。それでも崩れそうな弱さが表出してしまっていることには変わりなく、それを彼女に見せることを厭わない程度には、有りの儘の自分でいようと努めていた。)名前……。(名前。個人を識別する文字列と音韻。それも欠損し、愚者である実感だけが腹の底に横たわっていた。誰に名付けられたでもなく、何時からかイディオと名乗っていた。間を置いたのは思い出すためというより、心裡の引き出しから取り出して、自分に認識させるための手管だった。)千喜良直人。数字の千に、喜ぶと良いって繋げてちきら。直すに人でなおと。呼び方は好きにしてくれて構わないよ。(そういえば彼女の名前はどのように書くのだろう。苗字は月影で良いのだろうが、リアという名前自体は日本人には珍しい響きのように思う。後で教えてもらおうか。そこまで頭の中で整理し、混濁する思考を濯ごうとした。しかしそればかりに時間を費やしてはいられないから、泡立つ胸裏のままに問う。)……俺のこと、幾らかわかってるみたいだけど、何処まで知ってる?(追及ではなく、事実の確認という色だった。彼女の言い回しからして、己が一気に記憶を取り戻したように、何らかの働きかけが彼女にもあったと考えるのが自然だ。必要であればすべて詳らかにする心算でいる。正直やはり自分は信じられない。相変わらず末梢神経は凍えていて、どう歩けばいいかわからない。けれど彼女のことは信じていると、真摯な声で伝えることが出来たらいい。彼女に本当の意味で『大丈夫』だと言えるようにと、不躾なほどに彼女を見つめていた。)
イディオ 2020/02/20 (Thu) 18:07 No.21
たいへん素直でよろしい。……なんてね。(くすりと意識的に、けれど嘘のない笑みを零す。頬に添う手はそのまま、こつりと額同士を合わせた。記憶の交換は叶わずとも、抱えるものを幾らか分かつくらいは試みたくて。いっそ持ちうる温もりを、すべて渡しても構わなかった。お願い。どうか私の愛しいひとを、とこしえの沼にいざなわないで――せつなる懇願を捧ぐ相手は非情なるミルタではなく、横暴なふりをして優しかった赤の女王でもなく。崩落しそうになりながらも懸命に、際疾いところで己を保たんとする、さらばこそ慕情が尽きせぬ彼自身にほかならない。弱くたっていいじゃないと、中庭のしじまに響かせた本意はいまも、光を失うことなく女の胸にとどまっている。なにげない問い掛けの形をした願いが叶えられたのなら、綻んだくちびるの動きだけで一度、六つの字を大切になぞった。まるでずっと昔から知っているかのように、ひどく懐かしく。不思議に睦まじく、いとおしい響きだった。)直人……。嗚呼、確かにあなたの名前だわ。――…ありがとう。(はじめての折とは異なり、幾度も紡いで慣れさせる必要もない程に。ひとたび呼ぶだけで、すんなりと心にも舌にも馴染んだ。千の良き喜びをもたらす、まっすぐなひと。ひたむきなひと。とびきり素敵な初めましてを、あらためて受け取ったような心地に礼謝を添える。同時に、ふたたび痛感する内実が胸を締めもした。かように見合った名前ごと靄をかけて闇に鎖し、恐らくはあの文面通り“愚者と貶めてしまった”経緯。もはや知る前には戻れやしない事実を、脳裡に過ぎらせずにはいられなくて。宵の風に攫われそうな頼りなさで、それでも確かに微笑む。真摯に見つめてくる眼差しに、応えない理由などいずこに存在しようか。するりと頬をすべって離れゆく手は当たり前に、存在ごと離れようとした訳では決してなく。腰を据えて真実を伝えるべく、必要であれば傾聴する姿勢で、白い裾をふわりと揺らして隣に掛けた。おなじ宵の空を眸に映し、肩を並べて語らえる距離。)部屋にね、見覚えのない本が置いてあったの。……、……“たった一度、ただ一度だけ。夢を分かち合い友情を築いていた、少なくとも彼はそう信じていた友の裏切りにより、すべてを絶たれてしまいます”。……そんな風に、書かれていたわ。生きる意味を見失った、と……(一読で覚えてしまった内容の引用には、どうしても躊躇いの間が生まれてしまった。代わり、隣へ伸べようとする手には一縷の迷いもない。迅走の名残で常より熱を持っていそうな己が手を、彼のそれに重ねようとした。)ここへ迷い込む前、誰かの呼ぶ声が聞こえたって言ったことを憶えているかしら。……直人の声だったわ。初めから、……ぜんぶ、あなただった。なのに私は、気付けなかったの。(重ねた手の指にかすか力を込める。悔恨を滲ますことは簡単で、だからこそ今は今の彼に想いを注ぎたくて。包むには大きさが足りないけれど、存在の証左には事足りる。何があろうと傍を離れはしないと、ひとりではないのだと。彼がそう、幾度も示してくれたように。)
リア 2020/02/20 (Thu) 20:19 No.22
(先程まで柱に押しつけて熱を追いやっていた額が、再びあたたかさを取り戻す。一度生を手放した身だった。ナイトメアとの邂逅の時、問いに不穏は感じず、平坦な声で「それでもいい」と答えた。空虚だけが自分の構成要素だった。それすら蓋をして過ごしていた。大きく息を吸えば、酸素が全身に沁みる心地がする。最初にこの庭で歩いた時と同じだ。彼女の傍らはやはり呼吸がしやすかった。彼女がいてくれるだけで凝り固まった胸裏が徐々に解されていくのを感じる。男の眦は仄かに和らぎを萌そうとしている。彼女のやさしい声で己の名前が模られたら、昏い水底に沈んだレーゾンデートルがようやく見出される。)……そうか。(紡がれた本の内容には得心だけが齎される。そこに嘘偽りは何もなかったから、特に動揺する様子は見られなかっただろう。睫毛を伏せたまま、ぽつり、ぽつりと語り始める。)さっきも言ったけど、リアが謝ることなんてひとつもない。……俺は呼んでたのかな。そうだとしてもどうやって呼びかけたのか、正直よく覚えてないんだ。(絶望さえも養分として消費したならば、残ったのはただの空白だ。なのに往生際悪く何を宣ったのか、事実何も記憶にない。重ねた手から伝わる彼女のぬくもりだけをよすがに、男は嘗てを振り返ろうとする。──薔薇の下では秘密の話をするという。四阿の屋根にも青薔薇は咲いているから、今だけは、彼女だけに届く大きさの声で囁こう。)俺には親友がいた。少なくとも俺は、そう思ってた。(傷口をガーゼでなぞるような感覚。それでも彼女がそれと向き合ってくれるなら。男は柔く目を細める。)大学の入学式で出逢って、意気投合してさ。俺は地方から東京に出てたから、あまり馴染みの人間もいなくて。何をやるにも一緒だった。控えめだけど穏やかで懐の広い奴だった。(きっと今、小さな頃のアルバムを捲るような顔貌になっている気がする。大事に大事に掌で撫でるような、そんな。)経営学の授業で、一緒のグループになって起業のプランニングをしてね。その時教授に評価してもらえて、在学中に会社を立ち上げたんだ。そいつと一緒に。モバイル決済専門のマーケティングの会社。自分で言うのもなんだけど結構業績が良くて。少人数だけど他に社員も雇って、……順風満帆だって、勘違いしてたんだよな。(一拍置いた。薔薇が風でさざめく音がした。彼女の手の下で、指先が強張る。紺青に薄く水の膜が張る気配がする。かろうじて堰き止めて、続けた声は僅かに掠れた。)……ある日事務所に帰ったらさ、事務所に誰もいなかった。備品も什器も取り払われてて、……静かで真っ暗だった。(胸に痛みが迸る。表情が一気に歪む。過るのは憎悪ではない。自分への不信だ。)俺が親友だって信じてたそいつが、他者に会社の基幹システムを売却しようとしてたことがわかった。社員も引き抜かれてた。……いつの間にか、俺が背信行為を行ったって訴えられてた。(苦しげなかんばせとは裏腹に、口吻はただ淡々としている。)
イディオ 2020/02/20 (Thu) 23:55 No.29
(雨音に似て降る内緒話に、柔く相槌を打ちながら耳を傾ける。それはクピドが他言を禁じた情事より余程、やるせない真実の一片であった。件の書帙で、不粋にも結末だけは知らしめられていた女のこと。如何に優しい筆致ではじまっても、どれほど希望に満ちた音律が流れても、やがて辿り着く着地点は明らか。ゆえに確りと承知し覚悟していた、筈であるのに。彼の信じてきたものが瓦解するくだりで、こころは勝手に軋んで震えを帯びる。星夜を見つめるブルーの湖面が揺れる、しなやかな指の強張りを感じれば殊更に。起伏のない声音を受けて隣を向けば、想い慕うひとの横顔にきゅっと愁眉を寄せてしまった。さながら常闇の中をひとりきり、痛みに耐えてきた少年のような。落涙をじかに見るより余程、筆舌に尽くしがたい痛苦に心付いてしまったから。いまだ話の中途であったなら、そのまま黙して聴いていよう。レチタティーヴォの終わりを感じ取ったなら、月草のくちびるはゆっくりと笑みを結んでひらく。かような時にも、かような時だからこそ。はじめに選ぶ言葉は決まり切っている。)聞かせてくれて、ありがとう。(穏やかな夜風が吹き抜ける数拍を、みずからの感情を整理するための幕間に充てる。嗟嘆めいた胸の痛み方ではあれど、顧慮や憐憫とは違う。以前たまわった言葉をそのまま借りるならば、嘆く権利があるのは彼だけだ。では痛憤かと自問すれば、それもまた違う。あまりにも理不尽だと湧き上がる本音はあれど、見も知らぬ人間や世間相手に腹立たしさを覚えるのも筋違いであろう。然らば今、胸裡を内側から引っ掻くように苛む感情の名は。)……解っているの。その時の私が、直人と何ら関わりのない誰かだったことくらい。(悔しさと呼ぶのかと、音にして漸く自覚する。きっと助けを求める声に、すぐ応えられなかったと知った瞬間と同じ類の。ワンダーランドの邂逅を迎えるまで、自分の存在は彼の世界とあまりにも無関係で。手の施しようはおろか知る術すらなかった、どうしようもないと一括りに出来てしまう、そんな現実がただ口惜しいのだと惟た。)それでも思ってしまうのよ。どうして私は、あなたが一番辛い時に寄り添えなかったのかしらって。傍に居たかった、支えたかった……なんて、願ってしまうの。馬鹿みたいよね。(自嘲ではなく、幼く拙劣な恋慕を一笑に付してしまう口振り。自己否定を良しとしない性分だとて、流石に途方もない話をしていると自覚は及ぶから。薔薇の香りと睦んだ空気を、ひとたび静かに吸って吐く。切り替えるには、その一小節で充分であった。大理石から腰を浮かせ、両のかいなは大切なひとへと伸べられる。赦されるなら、その背と黒髪に触れて抱き寄せようとした。嘗ての彼を救えないのなら、せめて今の彼を存在ごと包み込んでしまいたくて。静けさの中で、いのちの音が明確に届くように――どうか、我が胸へ。)そんなにも哀しい出来事と、直人はひとりで向き合っていたのね。大切なものが、遠のいていたのを知って……受け止めるのは、どんなにか重たかったことでしょう。どんなにか……(撫ぜる手も、労る声音も、やさしく在りたいに満ちていた。)
リア 2020/02/21 (Fri) 02:51 No.31
(胸の中に溜まった石をひとつずつ取り出すように、包み隠さずすべてを打ち明けた。些細な平穏、綺羅星の軌跡、信頼の在処。そうして崩壊。交友関係こそ広いものの浅くもあったが故に、喪失の衝撃はあまりに深かった。信を置く社員たちの離反も堪えた。彼についていったということは、誰もが彼の言い分に一理あると考えたからに違いない。終わった後なら冷静に分析出来るのに、どうして盲目でいられたのだろう。話すうちに落としてしまっていた視線が、弾けるように彼女へ向かう。)…………リア。(まさかありがとうなんて言われるとは思っていなかった。揺れるネイビーブルーの眸に彼女の姿が映り込む。思惟に染み渡る光。ゆっくりと噛み砕くうちに、彼女が真直ぐに手向けてくれる想いが降り積もる。)でも、……いや、そう思ってもらえるだけで、俺は……。(傷痕が震えていた。乾いた地に慈雨が注がれるように、小さな隙間が潤されていく感覚だった。それを扱いあぐねて戸惑っていると、不意に視界が翳っていることに気付く。彼女が距離を詰めたがためだと気付かないうちに、やさしいぬくもりに包まれていた。いのちの音がした。彼女が確かに此処にいてくれるという証左にも思えた。冬に凍えて膝を抱えていた心臓が、澄んだ春暖の温度を知る。)俺は、(麗らかな陽光に惹かれて、堅い地面から芽が出た。額を彼女に預けたまま、漸う声が漏れ出でる。それこそ今更に過ぎるのだろうが、受け止めてくれるとわかっているから。)……情けない話だけど、聞いてもらえるかな。(大切なひとを失っただけなら惜しむことが出来た。他人に裏切られただけなら割り切ることが出来た。だが大切なひとを傷付けて追い込んで、失ってしまった。己の愚行が、磨いたアイスピックのような鋭さで心臓を何度も穿つ。呻いて、喘いで、苦く呟く。)俺は、裏切られたって思ってないんだ。嫌いになんかなってない。ただ、悲しいだけなんだ。……あいつと二度と笑い合うことが出来ないのが、たまらなく、さみしいんだ……。(きつく目を瞑る。その代わり唇が開く。行きつく先が地獄でも悪夢でも構わないと手放した、他の誰にも言えなかった本音だった。)そんな風に思う自分が嫌なんだ。この期に及んで、あいつの気持ちに寄り添えていない。自分が溺れないようにするので精一杯だ。結局自分のことしか考えてない。……そんな愚かな俺を、俺はもう信じられない。(話すたびに自分の想いを再認識する。自分はそう考えていたのだと、追懐を伴い実感する。決壊するように、眦から涙があふれた。嗚咽も上げず、ただ静かに雫を流した。時折呼吸が苦しくなる。吐息が熱を孕んで重い。こうしているのだって甘えでしかなくて、それでもどうしても、独りでは立っていられなかった。他ならぬ彼女の傍でなければ、生きている意味がなかった。)俺は怖い。また大切なひとを傷付けて失ってしまうんじゃないかって、どうしようもなく、こわくてたまらないんだ。
イディオ 2020/02/21 (Fri) 20:17 No.38
うん。……うん、そうね。とっても、さみしいわね。(静寧なる声で同意を示し、背に添えた手をそっと行き来させる。呼吸を労るようにゆっくりと、穏やかな一定のリズムで。涙を止めようとする意はなく、寧ろもう堪えることはないのだと促すように。こころに堰き止めていた本懐の懸河なら、それが春光に溢れ出した雪解け水なら尚更。自分の傍に在る今だからこそ全て、流し濯いでしまえば良いと思った。)なにも情けなくなんてないわ。あなたのこころが沢山、たくさん頑張っていただけよ。自分で思っている以上に……ねえ、直人。私はやっぱり、あなたが好き。……楽しかった想い出を、みずから曇らせてしまわないあなたが好きよ。惜しめるのも、哀しめるのも、ちゃんと憶えている証でしょう?(笑い合った日々をまやかしだったと無に帰すことも、敵と糾弾し恨むことだって、選択肢としては持ち得られた筈。宵闇よりも昏い現実を目の当たりにして尚、それを裏切りとは呼ばない彼が。信じられない対象を、相手ではなく自身に据えてしまう彼こそが。己の目には誰よりも、弓張り月の光明よりも、ずっと正直で清廉に見えた。苛む寂寥さえも罪の意識に変えてしまう、ひたむきさ故の不器用さが同時に堪らなく哀しくもあって。だからこその愛おしさが今も募って、抱き寄せる手に淡くもたしかな力が籠もる。)でも、ひとりで抱えてしまわないで。もしもこの先怖い思いをすることがあったら……どうか隠さないで、全部教えて。今みたいに、あなたのほんとうを私に聞かせて。……痛いも辛いも不安も全部、分けてほしいの。だって、……だって、ひとりじゃないんだもの。(“大切”。月下で想いを伝え合った夜、確かに受け止め憶えていた一語。瓜二つの音韻をとらえた今宵、すこしくらい傲慢にもなってみせようと思った。そう、この言葉を舌上に躍らせられるくらいには。)大丈夫、――…“大丈夫”よ。直人はひとりじゃない。ひとりになんて、私がさせない。居なくなったりしないもの。あなたの傍に、ずっと居るもの。(鏡の奥から救い出してくれた日。頼もしく繰り返された確約は、彼こそが真に求めて止まなかったものなのやも知れない――もともと我がことには楽観的ゆえ、対象が自分ならば幾らでも断言できた。けれど他者に充てるのは無責任だと、その都度慮る胸に仕舞っていた一語。不思議なほどに臆せず紡げたのは、これも彼相手だからこそなのだと解る。なんの屈託もなくただ一途に、心の底から信じているひと。)もし自分を信じられないのなら、それでもいいの。私がふたりぶん信じるから。……なんて決意にしなくても元々ね、あなたを疑うなんて私には無理なのよ。今日までずっと、幸せばかりを受け取ってきたものだから。(ふと思い当たって加える「それに、」の続きもまた、正直な見解に相違ない。)直人が私を傷付けるなんて、だから絶対に有り得ないと思っているけれど……例えば、ちょっと不満が生まれたとして。私の場合、多分すぐ言ってしまうと思わない?さっきみたいに。(つい今し方の行いを示唆する笑み声は、かのひとの耳許で軽やかな囀りとなった。)
リア 2020/02/22 (Sat) 01:47 No.43
(時間にして数分にも至らない静寂が、薔薇に隠れてさざめいていた。哀しみの滂沱に晒された先、彼女が贈ってくれる抱擁のあわいに浸る。青い花の薫りがした。薔薇だろうか、ネモフィラだろうか、勿忘草だろうか。嗅覚は五感の中で最も記憶に結びつきやすい感覚だという。想起すれば胸が疼いた。彼女がポケットチーフに添えてくれた、咲き初めのやわらかな水色を思い出す。彼女のあたたかさを思い出す。あの時確かに紡がれていた願いがあった。それは今に至るまで連綿と続いていて、途切れていないと知る。認識する。巣食った氷が融ける音がする。)…………。(耳朶を揺らすやさしい字句のひとつひとつが、花々が咲き溢れる小径を描いていく。それは十四の日々に築かれたふたりの軌跡であり、これからを祈る奇跡のかたちでもあった。不可思議な感慨がゆっくりと満ちていく。)……ありがとう。(声はか細くはあったが、震えてはいなかった。これからをふたりで歩んで行きたいと、偽らざる実直な気持ちが根差した。たったひとりの光を見つけた。いとおしい温度を確かめるように囁く。)君がそう言うと、本当にひとりじゃないって思える。おかしいな。何でだろうな。一番近しい自分だって信じられないのに……君だけじゃなくその言葉だって、迷いなく信じられるんだ。(理解を得れば、苦悶に顰められるだけだった表情が微かに綻んだ。ようやく悟る。真っ暗な夜を迎えた時、世界で独りぼっちになったと感じていたのだ。視野が狭められ、何の光明も見出せずにいた孤独の闇。けれど──宙を見仰げば、月がいた。翼を失い地に墜ちてしまったとしても、澄んだ輝きがずっと傍にいてくれる。目尻から流れ落ちる滴は透き通るばかりで、涼風に晒されきらめきを帯びる。小さく笑ったなら涙の痕が渇きかけて突っ張るような感覚があった。)はは、……そうだな。不満とか、困惑とか、苛立ちとか。何でもいい。……そういうのを、打ち明けて欲しいんだ。知らないままで苦しめるより、きちんと向き合って越えていきたい。(相手を理解するための努力を厭わずにいようと、思った。現状に思い馳せず信じるだけではただの思考停止だ。喜んでもらいたい、喜びを分かち合いたい。幸せになって欲しい、一緒に幸せになりたい。ならば考え続けよう。最善を追い求めよう。憶病になっていた自我が顔を出して、緩慢ながら確かな一歩を踏み出そうとする。ひどく幼い声音で、至極単純な希望を差し出した。)俺は、りあのこころの行き場になりたい。(夢のあわいの妖精ではなく、背筋を伸ばして現に生きる彼女の名前を呼んだ。──赦しを乞うことなんてなにもない。城の中庭で告げてくれた真直ぐな響きが、月暈の如く胸裏に広がる。庇護するでもなくされるでもなく、肩を並べて同じ方向を見つめていたい。)俺が一緒にいたいって思うのは、一緒にいて欲しいって思うのは、さみしいからじゃないよ。(痛みを消し去ることが出来ぬのなら、せめて抱えて生きて行こう。)ふたりで繋ぐなら、さみしいじゃなくてうれしいがいい。しあわせならもっといい。俺は、そう思うよ。(腕を伸ばし、彼女の華奢な背に回す。男の不器用な五指が、支えられるばかりではなく支えたいと冀っていた。)
イディオ 2020/02/22 (Sat) 22:24 No.52
(胸に抱き込んでいる今は表情こそ見えずとも、穏やかな声音や笑み声がこころの動きを伝えてくる。互いを信じて、幸福な愛の蕾をひらかせている現今が深く染み入った。この手から僅かでも光を渡せたのだとすれば、それは彼の慈光を返しているのみだと伝えたがるように声を送り出す。)それならなにも問題ないわね、今まで通りにしていれば良いのだもの。私は直人に阿って嘘をついたことも、隠し事をしたことだって一度もないわ。……少なくとも、あの森に迷い込んだ日からはずっと。(正直でいたいと、そう思わせたのも他ならぬひとりであった。背に触れる温もりが、他の何よりも心強く我が身を支える。夢の中に在って、かのひとが生きている証左を示されている心地にもなる。光の在処を示すような、飾り気のない願いと共に紡がれた名。それが今までと音の並びこそ同じでも、ずっと特別な響き方をするものだから尚更。)……うれしい。(朝焼けに月の雫がこぼれるような、あえかに澄んだ形容詞ひとつ。喪失のくるしみを識ってしまっていたこころが、迷う必要などないと実感して安堵する音であった。未来を共に歩めること、未来に伸びゆく影がひとつではないこと。確かな幸福を噛み締めながら、その階となる手立てを共有する。)あのね……部屋で見た本に、目覚める方法もちゃんと書いてあったの。“目が覚めたら一番逢いたい人”の顔を思い浮かべながら、この国で一番高い場所……時計台の上から、月へ向かって跳ぶこと。ですって。(ふたり一緒に為してこそ意味があるのだと、また夢の終わりには希望が不可欠なのだと、そう知らしめるような方法だと思った。故になんの疑いもなく“大丈夫”だと信ぜられた。月の向こう側に待つ未来を、共に見つめていられる今ならば――それはそれとして体温が心地良くて離れがたい、なんて。ほんのり矛盾して見え隠れする本音に、まだ時間はあるからと内心の言い訳を添えて。彼の耳許にくちびるを寄せ、内緒話のような淡さでささめきを落とす。夜明けを急くことのない月夕の中、彼にだけ教えたいことがもうひとつ。)それからね、私の名前。“月影”はそのまま月の姿、“璃亜”は……玻璃と白亜の、それぞれふたつめを貰った字なの。だから、……ふふっ、すこし吃驚したわ。あなたに貰ったこの石、グラスオパールとも呼ぶらしいと知って。(やや間が空いてしまったけれど、先程教えられた事柄の返礼として。玻璃、すなわち透き通った硝子や水晶。今だからこそ我が身に煌めきもつめたさも感じていられる輝石の、ちいさな奇跡に言い及ぶ。夢幻のおわりへ向かっているからこそ、彼に贈られた光のひとつを想い出に留めたがった。やさしい温度を惜しむよう今一度きゅうと大切に抱き締めてから、ゆっくりと少しずつ抱擁を解いてゆく。青年の頬に残る落涙の跡を愛おしげに撫でたのち、その手を真っ直ぐに差し出そう。ひとりとひとりが、ふたりで互いを確かめるための誘いかけとして。)帰りましょう。理不尽も不条理も溢れかえっていて、この優しい世界よりずっと生き難くて……けれど、あなたが居る。あなたには私が待っている、現の世界へ。ふたりで幸せを繋げられる居場所へ。
リア 2020/02/23 (Sun) 03:50 No.57
(月の雫が胸裏に落ちた。胸裏の湖面に澄み渡る。美しい円を描く。広がる。呼応するように頬に朱が奔った。目を瞠ってしまった。身体中の細胞が瑞々しさを取り戻す。随分とわかりやすい輩だと、自分自身に呆れてしまう。好いた相手の『うれしい』は、男が失い諦めていた歓びそのものだったから。くすぐったさが抱えきれず、僅かに開いた脣から零れそう。)参ったな……。(口許を手の甲で覆い視線を流して誤魔化そうとする。いっそ感動に似た何かが、自分の中にまだ存在していると知る。人間らしいやわらかい感情。夜の底で迷子になっていた道行きが、月光によって照らされている。彼女の指し示す帰途への標に頷いた後、軽く咳払いをしたのは平静を取り戻そうとする悪あがきだ。)この国で一番高い……といえば、城の時計台かな。少し階段はきついけど道はわかるよ。(伏し目がちに思い描くは夢の世界。男が無意識のうちに縋った、争いも諍いもない束の間の平穏。そこから一歩踏み出した向こう側、『目が覚めたら一番逢いたい人』なんて決まりきっている。そう思えた自分に心底安堵した。まだ生きていていいんだと、赦された心地だった。まだ傷痕は真新しくて、触れれば血のにおいがするだろう。けれど──けれど、何時か瘡蓋になって剥がれて、垢となり流れて消えることが出来たらいい。痣は残るかもしれないが、それを厭わぬ彼女がいてくれる。齎された響きがふっくらと蕾を宿す。)……ああ。(訊きたいと思っていた花の名前。月影璃亜。月のあかりに透く、日々を重ねた硝子のきらめき。ひとつひとつの音を唇で辿る。不思議なくらいに馴染む音律。)璃亜。(やさしい彩を戴く真珠を、丁寧に絹糸に連ねるように音を繋ぐ。焦がれる想いに背を押され、慈しみを籠めて呼んだ。)璃亜。……よかった。ずっと呼びたかった。いや、呼んでたんだけど、何て言えばいいかな。(夢のとばりでふたりを繋いだ輝きと、彼女の顔を交互に見遣った。今更ながらに気恥ずかしさが面を撫でて、恋を知ったばかりの少年のように紺碧を細める。)やっと璃亜に逢えた。(それは夢物語ではなく、未来に続く階だ。風が一陣流れて、青薔薇を淡く薫らせる。命の息吹を魂に馴染ませる。君がいる。俺がいる。たったそれっぽっちの尊い奇跡の裾野を、迎えに行こう。)行こうか。(落ち着いた声になった。差し出された手に己が手を重ねる。優しく潤んだ瑠璃色の闇を渡ろう。細くなった月も時が経てば満ちていく。花は散っても来年咲く。巡り廻りて、辿り着く何時かを夢見る。足取りは未だに軽妙とはいかず、影の名残を引き摺っているのは事実だ。しかし男は踵を返すことはなかった。踏みとどまろうともしなかった。ふたりの足音が城の螺旋階段を上り、最上階の扉を開ければ突風が吹く。男の青いひと房の髪を翻す。思わず目を瞑るも、ゆっくりと前を見据えれば、霞みかかるも静かに佇む三日月が待っていた。)……帰った時、何処に璃亜がいるかはわからないけど。(流石に打ち合わせていては月が完全に消えてしまう。時間はない。それでも夢で終わらせたくはないと望むことが出来たから、改めて彼女に向き直る。)璃亜を見つけるよ。探して逢いに行く。だから、璃亜にも俺を見つけて欲しい。(願うことを恐れなくてもいいと教えてくれた、大切なひとへ。眩しい宝物を見つめながら、はにかむようにそう告げた。)
イディオ 2020/02/23 (Sun) 22:12 No.65
(その静かでありながら鮮明な表情の変化に、まるで困っているかの如く零れた声に、愛らしさを感じたとあっては殿方の矜恃を傷付けるだろうか。横合いに視線を逸らされたことは以前にもあれど、理由が異なればこちらの胸奥に響く音も全く異なって。はたりと瞬いたあとに零れかける“可愛い”の一語は寸での所で押し留めたものの、面はときめきと微笑ましさにふんわりと綻んでしまった。やさしく丁寧に、宝物を慈しむよう紡がれた二音もまた、春先の木漏れ日に似て温かな心地を萌させる。深く刻まれてしまった彼の傷痕は未だ癒えきらぬだろうけれど、見て取れるこころの動きが純粋にうれしくて、喜ばしくて。)ええ。大丈夫、解るつもりよ。……やっと呼んでもらえて、私もあなたを呼べて、うれしい。出逢ってくれてありがとう、直人。(吹き抜ける風がひとひら花弁を舞わせ、青薔薇の芳香が髪をそよがせる。同じ庭園に陽だまりが注いでいた過日、追憶に苛まれた後の夕間暮れ、そして愛おしさを分かち合った宴の夜。思えば伸べられるエスコートに重ねるばかりであった手を、自分から差し出す意思も彼への想いから芽生えたもの。すっかりと馴染み始めていた街並みの中、夢のおわりを刻む場所へと共に歩もう。幾度となく肩を並べて散策した、十四の日々の記憶よりもどこか沈々と、重々しげに靴音が響く。そこに恐れをはらんだ覚悟をも感じ取り、階を上るあいだも繋がる指をそっと握り返した。吹き込んだ一陣の風に亜麻色が靡き、一瞬だけ伏してひらいた視界に広がる月天。消えゆく輪郭に急かされる現在、住所や職場といったフィジカルな擦り合わせが叶わないのは明らかで。世界の広さを知ればこそ、現実の無常さを肌で感じればこそ、不安が一欠片もなかった訳ではない。それでも今は、胸を張っていられた。愛しの君と対峙して目映げに細める露草色は、まるで鏡のよう。ひとときの幸せで終わりやしないと約してくれる、いつとて自分を見つけ出してくれたひとに、頷き以外のなにを選べようか。)いつか言ってくれたわよね、私には月みたいな澄んだきらめきがあるって。(あらためて音にすれば流石に過大評価と自覚はあるもので、面映ゆさにくすくすと笑ってしまうけれど。揃いの想いを通わせ合い、背筋を伸ばして微笑んでみせる。今も夜明けの向こう側も、きっと“大丈夫”だと示すように。宵の漆黒よりやさしく、晴天の青より深く、月明を受け容れた海洋が如き彩――そんな眸の色も、若しかすると夢の中でこそ向き合えたものなのやも知れない。然れど彼が彼であるならば、心を同じくするのなら、なにも憂うことなどなかった。今の姿を目に焼き付けながら、もう一度訪れる邂逅に楽しみをひとつ増やすのみで。)月が輝いていられるのは、太陽の光を映しているからなのよ。私が、私の太陽を……あなたを見失う訳がない。どんなに沢山の光の中でも、時に陰ることがあっても、きっと見つけてみせるわ。(彼の存在そのものが、何よりのしるべとなる。互いを信じて結ぶ手の先、想いを結んだ唯一無二を思い描くまま、世界の天辺を蹴って飛び立とう。ちいさな天使達にグラン・ジュテを教える折のよう、ちょっぴり幼い「せーの」なんて合図もお供に。Once in a Blue Moon――滅多に起こり得ぬ奇跡だって、ひとりではなくふたりなら。あなたと共に、新たなはじまりを描けると信じて。)
リア 2020/02/24 (Mon) 03:11 No.68
(彼女の微笑みに何となく察するところもあったが、否定出来る要素がないので押し黙るしかない。どうせ未だ頬は赤いままだろうし、己の情動に偽りはないのだから、再びわざとらしい咳払いをするくらいは見逃して欲しい。彼女の嬉しそうな表情に見惚れることも、また同様に。視界の隅で星が流れた時に不意に思い出す。)ここへ迷い込む前、俺の呼ぶ声が聞こえたって言ってたっけ。(物語のはじまりの話。思考が白に塗り潰されていた時、自分が誰かを呼んだということが正直不思議だった。感慨をゆっくりと噛み締める。他者との繋がりを作ることに怯えたくせに、他者との繋がりに焦がれていたということか。その資格がないと思い知って尚求めただなんて、自分に呆れがないと言えば嘘になる。つい頭を掻いてしまった。)本当に全然憶えてないんだけど……でも、(ファンタスマゴリアの夜風は優しかった。今も頬を撫でて去って行く。それを味わうのももうおしまい。)俺の声が届いたのが、聞いてくれたのが璃亜でよかった。(この世界で商人として生活していた折も、人当たりはよかっただろうが、懐の深いところに踏み入らせたことは一度もない。拒絶というよりは敬遠というのが正しい。それでも手と手で結ばれているさいわいが存在する今を知ったのなら、離れることなんて出来なかった。そのさいわいをこれからも紡いでいこう。手繰り方が拙いとしても、彼女がいてくれる。ぬくもりが胸裏を仄かに照らすのを感じながら歩いた。たかだか十四日のうちに隣を歩く速度が見についている上に、それがあまりに自然だった。青薔薇の庭園を抜け、城への街道を進んだ時も。城内にて、先程と同じく薄暗い廊下を往く時も。繋いだ手に力を籠めて時計台に辿り着いた時には、男の横顔は神妙ではあったが、哀しみに浸ってはいなかった。彼女の声が真直ぐに響いてくる。首肯を返す。)……そうか。(彼女は何度でも、己を貶める必要はないと伝えてくれる。同じ空にあって、互いを映し時には重なり、存在を確かめ合いながら生きていく。翳りを落とさずに微笑んだのは、彼女が望んでくれるに値する男になりたかったためだ。)そうだったらいい。沈んでも昇って、確かに此処にいるって言えるようになりたい。……なんて、まだ言いきれないのが情けないけど。(携えるのは気後れではなく意思表示だ。豊かに満ちていく君を一番傍で見ていたい。君が一等綺麗に輝くなら、己もそれに相応しくありたい。故に言いきる声に迷いはない。)どんなに星が瞬いていても、昼の空色に薄らいでいたとしても、俺の月に手を伸ばすよ。絶対に逢いに行く。……そう思わせてくれて、ありがとう。(何度でもうれしいとしあわせとありがとうを織り成そう。太陽は自分がどんな光を戴いているのかもわからない。黒点の正体も見い出せない。けれど淡くも清らかな月が、そのセレスティアル・ブルーを煌かせていてくれる。だから──大丈夫。それは祈念ではなく、確信だった。ファンタスマゴリアで最も空に近い場所なら月の裏側にだって手が届く。昏くとも、そこからはじまる明日に踏み出そう。「せーの」なんて声を揃えれば高く跳べる。人生で稀にしか起こり得ないたったひとつの奇跡を、他でもない君と一緒に掴まえるんだ。)
イディオ 2020/02/24 (Mon) 21:26 No.74
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