(わたしを読んで――そう書かれた本の存在に気付いたのは陽が落ちかける頃合いだった。いつも小鳥たちとお話をする場所、ベッドサイドの窓辺のカーテンを夕暮れと共に閉めようとしたときのこと。ベッドの上にぽつり、ましろの海に横たわるその存在はドードーさんが置いたものではないことだけ理解していた。さっき見たときはなかったその不思議な本。躊躇うこと無く好奇心が赴くまま表紙に手をかけ、開く一ページ目にある挿絵を見た瞳はまんまるに見開かれることになる。これは、彼だ。そして、紛うこと無きこの世界の真実だった。)……妹の、在りし日を……なぞる。(その文字を捉えたとき肌が戦慄くほどにぞっとした。鏡の森で怖がったあの日よりもずっと恐ろしいと思った。時の止まった妹を、彼は、時の流れる世界で一人再現していたのだ。自分以外の誰にもなれやしないのに、それでも彼は誰かにならなければいけなかった。まして男の子が女の子を描かねばならなかったなんて。一体どんな痛みと苦しみをその心は抱え続けて時を重ねてきたのだろう。想像するだけでこんなにも心が痛いのに、それが当人となればきっとずっと。疲れ果てて眠ることを選んだ場面の彼の頬をましろはなぞる。泪を拭ってやるように、優しく。自分を殺しつづけることなんて生きることとは程遠い。誰も彼を見ちゃいない世界なんて心がすり切れてしまうのも無理はない。それに、今なら分かる。"ヒューは可愛いのは当然"という姿勢。それは自分を褒めて存在を認められる強さなのだとばかり思っていた。『彼女』を見る兄からの言葉なら――そう。)わたし、……なんにも知らないで…。(先日彼が言っていた「おれはただ、守りたいだけだよ」という言葉が今になって突き刺さる。私はなんて愚かだったんだろう。知らなかったとはいえ、後悔と罪悪感に震えだす指は静かに本を閉じた。此処は夢で、私だけでなく彼も現実に生きているのなら――余計にどうしてあげたらいいのか分からない。けれど彼はきっと言うんだろう。『約束だから』と。彼が辛くて捨ててしまいたいと願った現実へ、私を返すためにと私が願うことはどうしても出来ない。)どうしたらいいの……。(思考が纏まらず、ぽつりと表紙に一滴の迷子が落ちた。すると同時に、「メソメソと泣くでない」と叱責する幼さと凜々しさが同居する声が部屋へと届く。)女王様…、(月から迷い落ちてきた娘が尚もまた迷っていることを鑑みて女王は言う。足があるなら前へ進め、逃げるためにあるものではないのだからと。おまけに、お前だけにあの男の声が聞こえたのも運命なのではないかと。)……運…命……――……っ、私、行かなきゃ!約束したの、絶対彼の手を離さないって!だからっ…いってきます!(慌ただしく勢いのままに駆けだした咲夜の背が小さくなるまで女王は嫋やかな微笑みを浮かべて見送ってくれていた。)
(本を胸に抱き、咲夜麗花は夜を駆ける。彼がどこにいるかなんて見当つかなかったけれど、それでも駆けなきゃならなかった。自分にはなんにもないからといつの間にか自分自身に枷をつけていた私に、自信を持つことを教えてくれたあなた。そんなあなたに伝えなくちゃいけないことがたくさんある。)ヒューくん、私…ヒューくんのことが好き。あなたがこの不思議の国の人じゃないなら、私、現実であなたと生きていきたい。あなたが死のうと思った世界を、私が、変えたい。ヒューくん、……ううん、ヒューっていうのも、もしかしたら違うのかもしれないけどっ……それでもっ、(視界がゆらゆらと波打ち、焦る足取りが酸素を欲する。けれども必死に駆ける足を止めることはない。この世界の端から端まで走っても構わない、どんな場所に居たって絶対に探し出してみせる。だって、たすけてという心の叫びが私を呼んだ。ほんとうのあなたが呼んだ。だから――泪を手の甲で拭いながらそれでも咲夜は走ることを止めない。)ねえ、やっぱり私、ヒュー『くん』に会いにきたんだよ。(今度はあなたを見つけてちゃんとつかまえるから。私が、この手で導くから。)
(――わたしたちはふたりで、ひとつだから。)
レイカ 2020/02/18 (Tue) 23:57 No.16