(ワンダーランドで出会ったのは、はれやかで爽やかで優しい、生まれたての太陽を連れた新しい朝のような人でした。――だからこそ、あの夜に彼から溢された言葉が、涙が、くちづけが、心からも身体からもひとときも離れない。そのひとつひとつが熱くひりつくようであり、しずかに寄り添うようでもあり。恋って、たしかに魔法なのだ。そう知ってしまえばこそ、月の消えそうな夜になっても“アリス”は分からないままだった。帰れるのか、帰れないのか――帰りたいのか、そうでないのか。だってこんなのはじめてだ、こんなに誰かを愛おしく思うなんて。さよならそのものを先延ばしにするように“お土産”の話も出来ないままだけど、分かってはいるの、呪いのほどけた私自身で歩むためにはきっと帰らなくちゃ、添えられた“なんて、ね。”を汲まなくちゃ、だけどその世界に、彼は?……ひとくち飲んだミルクティーでも濁せやしない現実が、彼女らしい真っ直ぐな潔さを鈍らせた。溜息といっしょにゆっくりと落とした瞬きは、魔法の合図だったのだろうか。瞳を開ければ、ふと目に留まった深い夜の色。指を伸ばせば、もっともっと、と星色が呼ぶものだから、素直にその表紙を開いた。ファンタスマゴリアではふしぎに身を委ねてもこわくないということだって、あなたのとなりだから知れたことなのだ。そんな優しいワンダーランドの隠した真実――これは、あなたの物語?)――……、……エース……?(信じがたいような筋書き、迫るような文体。声に出してしまえばそれらがいよいよほんとうになってしまうようで、それでもあまりにもはっきりと記されたその名前をおそるおそる呼んだ。『いのちを棄ててしまいたい』『死んでしまいたいと希うほどに残酷だった、現実世界の記憶にひととき蓋をして』?――さ、とすべてが冷え切る身体を背後から射たのは、いたいけな赤い声。)っ……何を、言って……(見開いた瞳で振り返った先の女王に警戒心が無かったといえば嘘になる、おごそかな語りを聞く視線は少しの間、責めるようなそれであったかもしれない。理解を拒んでしまいそうな頭をどうにか動かして、震えそうな手足に力を込めて、強くあろうと努めているのが目に見える様相で、“ほんとうの目的”まで、辿り着いたなら。)…………一緒に、帰る?私が、彼と……?(元の世界に帰ることが出来て、そこに愛しい彼も居て。それは望んだ幸福のはずだったのに、どうだろう、胸中に広がり始める感情は甘くない。おそれ、ためらい、苦いそれらを見つめるように、ふ――と長く息を吐いたなら、こころを組み立てていくために、ぽつ、ぽつ、と声を落とす。)……エースに……“彼”に、何があったのか、私、何も分からないのよ?……きっとあっちじゃ、ひとつも繋がりの無かった人同士、魔法もなんにもない、何ができるか分からないのに、……目を醒まさせていいの?(周りまで明るくする笑顔と言葉、寄り添ってくれる大きなからだ、愛され呼ばれる“エース”の名。私の知る彼のすべては、私の知らない彼が眠りについている間のほんの少しの夢だったらしい。――だけど、夢の中にいる筈のあなたの声が、あの日、たしかに聞こえた。そうしてやって来た世界で、名前も中身も知らないよそものの私に、彼はどうしてくれたんだっけ。栗色を揺らして顔を上げたなら、まっすぐな琥珀で祈るようにあかいろを見つめる。声も、からだも、どうか震えないで。――今、他でもない自分が、しっかりしなくてどうするの。)――それでも私は、彼を救える?(ぎゅう、と紺色の物語を胸に抱き締めたなら、王笏が背を押すように傾いた。「絶対に探すから、待ってて!」強く澄んだ声の向く先は、赤い女王か、それとも彼か。救われてばかりのお姫様じゃいられない、おとぎ話ではなくって目の前の話。あなたが王子様でなくたって、騎士でなくたって、“ファンタスマゴリアのエース”でなくたって。そのからだに、こころに、恋をした。触れたかった。守りたいし、救いたかった。いつかと同じましろのワンピースひとつ、何度だってその名を呼びながら、あなたのもとまで夜を駆けよう。)
ミコト 2020/02/18 (Tue) 20:57 No.15