Mome Wonderland


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(星冷ゆ)
(―――帰らなくちゃ。 むすめの帰還への想いが確固たるものになったのは、あの幸福な夜があったからだ。主演の重圧、他人の評価、それ以上に深く根付いた自己否定。がんじがらめのいっさいから解き放たれて、はじめて踊った幼い日みたいに、ただひたすらに、しあわせだった。失くしたと思いこんでいた翼の在り処を教えてくれた、自由をたのしむ強さを知る、エレクトリック・ブルーのまなざし。”正しさ”にこだわり気おくれしたわたしの手を、でたらめでもいいと引っ張ってくれたあかるい笑顔。星の海を泳いでたどり着いた世界の中心、そのまばゆさが、灯火になった。帰らなくちゃ。わたしの夢へ。ようやく掴んだ一等星へ。ひとりのためだけに向けられる照明、ひとりだけ違う色彩で”特別”を示す衣装、いちばん最後に、たったひとりで、観客の前に立つカーテンコール。おそろしいと思っていたそれらと、正面から向き合ってみたい。二度と訪れぬその一瞬を、全身全霊で、たのしんでみたい。舞踏会の翌朝、顔を合わせるなりそんなふうに訴えたむすめに、青年はどんな顔をしただろう。一瞬でも、気のせいでも、その双眸にさみしさが滲んで見えたなら、すこしだけれど慰められる。)

(今日になるまで少しの手がかりも見つけられなかったのは、心のどこかでそれを望んだせいかもしれない。高飛車な発言に隠して国民を思いやる優しき女王に自分たちを手にかけるなんて真似はできないと、楽観的な信頼を抱いてもいた。とはいえ、月が消えるまで。最初の夜に告げられた期限は、もうすぐそこに迫っている。帰りたいのは本当で、離れたくないのも本当だから、どうしたらいいかわからない。まとまらない思考にぼんやりとしながら、鏡台に腰掛けてほどいた髪を梳いていた、そのときだった。)………?(鏡の向こうに映る景色に、紺碧の違和が引っかかった。ブラシを置いて立ち上がると、本棚の方へ歩み寄る。並んでいる本は、短くない滞在のあいだにくりかえし読んだものばかり。舞踊、花、紅茶にいたずら、マカロンの2匹がとっておきだと貸してくれた絵本。それらに交じって右端に収まるその姿に、むすめはまったく見覚えがない。わたしが外にいるあいだに、だれかが置いていってくれたのかな。さして疑問を抱かなければ、軽い気持ちで表紙に指をかけ―――かくして月から落ちてより、14日目の夜のこと。むすめはとうとう、この”猶予期間”の真相を知ったのだった。)―――……、………。(どういうこと? 青ざめたくちびるを、声未満の吐息が浅く撫でる。夢の世界。深いねむり。師の裏切り。笑顔を忘れた、”Jester”。短いものがたりだった。容易く理解できるものだった。けれどむすめはそれを拒んだ。だってこんなの、あんまりだ。頁の片隅に描かれた青年は、天を仰ぎくちびるを噛みしめている。その横顔を撫でるように、むすめはそうっと指先を這わせた。たすけて。今にもあぶくになって、消えてしまいそうな祈りだった。あれは、あの声は、あなただったの?)女王さま、……これ、(背中越しに赤薔薇の少女の声が響いたなら、自分よりもずっと小さな彼女に、すがるようなまなざしを向ける。誠実に詫びる姿を目の当たりにしてもまだ往生際悪く、大掛かりないたずらなんじゃないかって思いたがっていた。それでも―――。 戻るべき現実。 ”……エ……ル、” 前へ進むすべ。 ”……トワ……ル……!” 女王の言葉をくりかえすうちに、聞こえてくるのだ。  ”……コユキ、  ”  いつだって陽気で、やさしくて、けれど本当はだれよりもずっと、深い昏がりにいた青年の声が。)―――……!(途端、クリアになる思考。背中がサッと冷えたのがわかった。刻限は、月が消えるまで。月が消えたら――「二度と目覚めない」!)わたし、っ 行かなくちゃ……。――…女王さま。………元気でね。(ありがとう。さようなら。親切にしてくれた若き統治者。目線を合わせるように膝をつき、万感の気持ちを短い抱擁にこめて伝えたなら、むすめはやわく微笑んで、弾かれたように駆けだした。行かなくちゃ。月が消える前に。月明かりに目が眩んでいた死神が、彼を見つけて連れていってしまう前に。結いそびれた髪が風を切り、星の尾のように宵に流れる。あの日、わたしに笑顔の魔法をかけた君。背中をそっと抱き寄せて、幸福を閉じ込めてくれた君。場違いに快活な三拍子は、世界でいちばん自由だった。シャンデリアの真下で見上げた碧いひとみは、泣きたいくらい、いとおしかった。ジェスター、おねがい、いかないで。大丈夫だよ。まだ間に合う。あなたの星を守るため、わたしはここにやってきた。眠るあなたを追いかけて、月から落っこちてきたんだよ。 白菫まとう魔法の足で、むすめは夜を、渡ってゆく。)

(凍えゆく星を抱いていた。あなたもおなじ だったんだね。)
コユキ 2020/02/18 (Tue) 15:03 No.13
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