Mome Wonderland


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(モノクロームレッセンス)
(欠けゆく月と同じ速度でゆっくりと、ゆっくりと、世良の首も胴と分かたれてゆく。今は丁度、皮一枚でぶら下っているようなものだ。ひょっと躓きついでに日付を跨いでしまえば最後、生命活動はそこで終了。焦燥はもちろんある。けれどこんな崖っぷちに立たされてどうしてか、酷く心が和いでいた。異世界のものを口にしてゆくうちに身体が異世界のものにすり替わってしまっていて、元居た世界に戻れなくなる──そんな話がどこかにあった。だとすれば世良はもう元居た世界の住人としては認められなくて、だけど此処の世界の住人としても異物が過ぎる。なんでもない日、お誕生日じゃない日のティーパーティには終ぞ足を向けられぬまま、自室で淹れる作法もへったくれもないお湯で煮出しただけの紅茶に口を付ける。温度なんか知ったこっちゃないし蒸らすなんてこともしない即席のストレート。湯を沸かしたキッチンからもくもくと湯気を立てるマグカップ片手にリビングダイニングへと出て、テーブルの一点に目を止めた。はて、先ほどまでこんなところに本なんてあっただろうか。ごん、と陶器の音を落として、両手に持った一冊の本にはまるでおとぎ話のように私を読んでと書かれている。表紙を捲る指先にはなんら躊躇はなくて、だけど二頁目、三頁目を捲る指は、先ほどまで温かい紅茶を持っていたはずなのに震えるほど悴んでいた。)──……ぁ……、なただった。 エセル、だった……。(はじめて出会ったあの日。あなたがわたしを呼んだの、と、そう問いかけた世良に彼は何と言ったのだっけ。どうにも彼じゃないと知り、落胆したのは確かだ。それでも彼だった。彼だったのだと今ならわかる。最後の最後に刻まれた“あなたに、懸かっています”の文字を指の腹で撫でると同時、テーブルに置かれたマグカップから立ち上る湯気がゆらりと揺れ、徐に赤の女王が現れる。思わぬ殊勝な態度には目を剥くなどしたが、高尚な唇から語られる真実を聞く最中、何故だか意識が吸い寄せられてゆくのは窓辺に飾られた花瓶だった。活けられているのは昏い赤色をしたダリア。それから赤と白の薔薇にカスミソウ。彼がくれたブーケは貰ったときそのままの姿とは言えないが、割合綺麗なままに世良を見つめ返していた。「行かなくちゃ」と世良が呟いたのと、赤の女王が背を押したのでは、どちらが先だったろう。ろくに口を付けられもしなかった可哀想な紅茶を見下ろして、赤の女王はさて何を思っただろうか。不味そうだとか、勿体ないだとか、なんて下手くそなんだとか。手にしていた本はテーブルに投げ置いて、ミモレ丈の真っ白なワンピースと身体一つで星空の下を駆けだした。あの今にも消えてしまいそうな月があなた。あなたの花園じゃない噴水を横切って、教えてもらった道の真ん中でただがむしゃらに右足と左足を交互に振り動かす。星の明かりがある以外は、昏い、昏い夜だ。こんなにも闇に紛れていては切ないだろう。切れ掛かる酸素を肺の淵まで取り込んで、大きく吐き出す。花園が近づくころ、前進する速度が緩やかになるのと引き換えに微かに震えた喉は、この二週間余りで随分と聞きなれてしまったひとつの旋律をなぞった。下手くそでも、あなたのうるうが此処にある証として。)
ジュン 2020/02/18 (Tue) 03:37 No.11
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