Mome Wonderland


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(総て弱ぼらしきは人の心なり。)
(日々に順応しているからといって、彼の忠言を忘れた訳では決してなかった。否、寧ろきちんと覚えていたからこそ見過ごせなかった――などとは言い訳にもなりやしない話。花園で歓談していた幼い少女が、街外れの森へ向かって駆け出した瞬間。「待って!」声を張れど届かなかったと知るや否や、気付けば後を追っていたのである。少女にとっては勝手知ったる森、戻り方とて心得ているやも知れない、そんな可能性を考えるよりも早く。結果としてこの有様なのだから、いっそ誰かに笑ってほしい位。)……、どうしましょう。困ったわね。(ゆるりと首を傾けての独り言。口調ばかりは呑気さを保てても、実際喜ばしくない状況にあるのは事実であった。見知らぬ森の中、地図を持たない日に限って、あろうことか自分が帰路を見失うなど。このままではあの少女にも、三つ編みの彼女にも心配を掛けてしまう――所在なく移ろった視線の先で、樹の一本が光を揺らめかせた。ほどなく結んだ像に、当惑したのは一瞬。相対するは、刻み込まれた在りし日の佇まいであった。白い天井、白いベッド、人工的なしじまに響く幾つもの靴音。生と死を共に抱き、果てに希望を潰えさせた白の空間。ましろの煉獄に身を横たえるは、果敢なき永遠を誓ったあの人。)――…っ!(元々有していた記憶より鮮やかに、恰も眼前の出来事のように。容赦なく視界を、脳裡を刺す映像に息を呑む。刹那のあいだ、呼吸の仕方さえ忘れかけて。)や、 ……嫌、(悲痛に蒼褪めた顔色と同様、血の気が失せたくちびるから弱々しくも拒絶を紡がんとする。反射的に一歩退けど、鏡の幻影が遠ざかることはなく。無機質な単一の電子音は一層音量を増し、宣告のように鼓膜を劈いた。恐ろしさに支配された本能はその場から逃れようと身を動かせど、縺れる脚は数歩も進まぬうちに膝から崩れる。勝手に落ちる重心にかすかな悲鳴が零れ、呆気なく鏡の地面へ頽れる様の、嗚呼なんと情けないこと。バレエ講師が聞いて呆れる程に、リアは甚く無力だった。)  、(限界を目前にした声帯の震えが、渇き切った咽喉からこぼれる呼び掛けが、森の空気に音として響いたか否かも判然としない。為す術もなく座り込んでいる癖して、現実を直視できない瞳はきゅっと固く閉じられたまま。冷え切った両の手指は、無意味と知らしめられながら往生際悪く耳を塞ぐばかり。皮肉にもいつか演じた村娘の想い、こころの均衡が壊れかける感覚を肌身で痛感しながら――それでも目蓋の裏へ光を見出そうとするのは、謂わばせめてもの抵抗やも知れなかった。うつくしい紺碧の空色に、陽光を纏った笑顔。理屈ではなく今、一番に想起する日影の姿を。意思と裏腹にちいさな震えが止まらない身体、苛まれ続ける心。いま拠り所を見失えばいずれも、このまま歯車が砕けてしまうことは目に見えていた。)
リア 2020/02/01 (Sat) 02:36 No.4
(ブラウンの娘から居場所を聞いて、顔を見てから住処へ帰ろうとした夕暮れ時のことだった。花園に彼女の姿はない。)ん? どうしたんだ。今日はリアと此処で遊んでるって聞いたが。(黄昏が宵を引き寄せるように、茜空が鴇色を帯びた頃合い。アクアマリンのような涙で頬を濡らす少女に、ハンカチを差し伸べて拭いてやる。男は膝を屈め目の高さを少女と同じくらいに留めて、泣き止むのを辛抱強く待つ。花蝶のハンカチが一段色を深める最中、少女がぽつりぽつりと嗚咽交じりで呟く声を拾う。鏡の森の近くに咲く珍しい花を彼女に見せようとしたこと。道を間違えて鏡の森に迷い込んでしまったこと。悲しい記憶を呼び起こされてとても怖い思いをしたこと。困惑しながら何とか鏡の森を抜け出して花園に戻った時には彼女の姿が消えていたこと。彼女が少女を探してくるとこの場を後にして、未だに帰ってきていないということ。一部始終を見届けていた人語を解すルリビタキの証言と繋ぎ合わせ、事実を咀嚼する。少女の頭に手を乗せてそっと撫でてやる。努めて穏やかな声で労わる。)怖かっただろうに、よく頑張って戻ってきたな。リアは俺が探しに行くから、お前はここで待っているといい。その代わり笑顔で出迎えてくれよ?(「心配しなくていい。大丈夫だよ」と優しく告げたなら、少女も泣きながらではあるが頷いた。それを見届けて立ち上がる。)この子と一緒にいてあげてくれないか。俺はリアを迎えに行ってくるよ。すぐ戻る。(ルリビタキが涼しげな声で鳴く。同意を汲み取って男は地を蹴った。鏡の森。ファンタスマゴリアの住人であれば誰しも知る場所。憂いとは遠い世界であっても完全に悲哀がないわけではなく、そういった負の感情から離れて暮らしているから尚の事、住人たちはその存在を厭うているようにも思う。その点自分はそれに類する記憶がないのだから、向かう人選としては適切だろう。程なくして到着した鋭い光戴く森。鏡面の葉を横切るように踏み入った。彼女の柔らかい心が傷付けられているかと思えば、知らぬうちに口の端を噛んでしまう。視線を巡らせる。道筋を見極めて歩を進める。どこにいるだろう。神経を研ぎ澄ますそんな時、どこかで何かが物音を立てた。まるで人が倒れた時のようなそんな。方角を特定し一足飛びで馳せる。その間にも震えた痛みが耳朶を揺らした気がした。聞き逃さない。絶対に。翳りを増す森の奥、鏡の欠片を靴底で砕き、見出した月の名前を呼んだ。)リア!(駆け寄る。鏡の地面に膝を落とす。力なく倒れ伏す華奢な身体に腕を回し、その背を支えようとした。──我が腕に来たれ。)イディオだ。俺は此処に居る。リアも此処に居る。だから大丈夫だよ。(小さな声だ。存在証明を差し出すような、そんな響きになった。彼女が話せずにいるなら静かに反応を待ち、声を出せるようなら「怪我はないかい?」と尋ねただろう。)
イディオ 2020/02/01 (Sat) 20:22 No.14
(嗚呼、あの無垢な少女は無事に森を抜けられたのだろうか。絶え間なく押し寄せる記憶の合間に、当初の懸念が顔を出す。本来ならば惜しみなく砕くべきであった思いはされど再び、モノクロの追憶に絡め取られて沈んでゆく。ワンダーランドには存在し得ないらしい、ひとつの終焉を描く場所。――ここは優しい世界だと、その一点さえ理解すれば溶け込むのは早かった。惑っても楽しんでも状況が変わらないのであれば、何も掴めない内は後者の方が余程有意義に決まっている。それ位開き直った精神であったから、未知への恐怖は無きに等しくて。だから、きっと。襲い掛かったものが現実から程遠い何か、例えば件の詩に登場するジャバウォックのような怪異の類であったなら、恐らくは却って冷静でいられたのだろう。されど突き付けられるは自身に根差した記憶、心の最も柔らかな部分を貫く針。斯くも容赦なく苛まれれば、所詮は無力なひとりの人間。必死に己を叱咤し拮抗しながら、正直な所いつまで持ち堪えられるか知れたものではなくて。いっそ意識を失ってしまえたらと希うも、引っ切り無しに届く音はそれさえも赦してくれないらしい。ベルの音、慌ただしい靴音、まるで知らぬ場所のように手招く白の空間。それから、)……?(ひとすじの光明が差すように、雲を晴らす一陣の風のように。すべてを突き抜けて届く声は、確かに自分の名を呼んだ。怯え切った心には一瞬、それすらも都合の良い幻聴かと不安の薄雲が過りかけるけれど。不意に背へ感じる体温が、なにより如実に存在を知らしめてきた。強く耳を塞いでいた指は動かそうとすると関節が軋む感覚を覚え、震えを伴いながら怖々と離して聴覚を解放する。紙のように血の気が引いた顔を上げる所作共々、発条仕掛けの人形のようにぎこちなくなったのは、どうか見逃して頂けまいか。寄る辺なく彷徨っていたブルーアイズが、焦点を定めて緩慢に瞬く。)……、……ディオ……?(不規則な動悸に呼吸を阻害されながら、それでも逢いたかったひとの呼称をやっと紡ぐ。肩越しに見える光景や耳を刺す音に今一度びくりと身体を震わせるも、ひとりで耐えていた時より余程心強いのは確かで。そう――無意識にせよ意識的にせよ、逢いたかった。逢えて微かな安堵が生まれもした、けれど。惜しむらくは、かように見苦しい姿を晒してしまったこと。)…… 、(何かを言おうとして開きかけた口はただ、浅い呼吸を幾度か繰り返すのみ。優しい問い掛けには辛うじて頷きを送り、消えそうに淡くも笑みを象ってみせる。ほどなく睫を伏せてしまうのは恥じ入るためか、単純に真実の記憶をこれ以上映したくなかったためか。頼もしい腕に、或いは広い胸郭に。ともかく手探りで一番に触れる箇所に、添える力は弱々しくも縋るような風合いを持ってしまうだろう。あなたも、わたしも、此処にいる。呈してくれた事実を、自分の指先で確かめるように。)
リア 2020/02/02 (Sun) 00:09 No.19
(距離を詰めたのは、彼女のセレスティアル・ブルーの瞳に鏡が映らないようにするためだ。その視界を己が体躯で埋めようとした。鏡面を覗かなければ憂いは遠い。既に胸裏を食い潰すものはあるかもしれないが、それ以上深くならなければいい。彼女の後頭部に手を回して胸に引き寄せる。自然と抱きしめるような格好になった。仄かに花の香りがしたような気がした。彼女の儚げな微笑みに心臓が締め付けられる。元々彼女は清廉で礼儀正しい性質だ。たとえ何かしらの辛い記憶に苛まれていたとしても喚き散らすような真似はしないと、ここ数日のやり取りで理解している。だからこそひとりで抱え込んでしまわぬように、柔らかい声で呼びかけた。)無理はしなくていいんだよ。ゆっくり呼吸をしてごらん。そう、メアリーはちゃんと花園に戻って来ていたよ。ルリビタキと一緒にリアの帰りを待っている。何も心配はいらないさ。(先程泣いていた少女の名を挙げる。肩をぽんぽんと叩いて、安心させるよう試みた。彼女の頷きを見止めれば、純粋な安堵で眦が緩む。)怪我をしていないならよかった。もうすぐ日が暮れてしまうから帰ろう。今日はドードーが七色きのこのシチューを作るって言ってたから、冷めないうちに向かわないとな。(急かすことのないようにゆっくりと、ある種場違いなくらいな長閑な声で言う。鏡の破片で彼女がこれ以上害されないうちに抜け出そう。僅かな逡巡を挟み、それから意を決して短く告げる。)このまま捕まっていてくれよ。(身を屈めた状態で、片腕は彼女の肩を支え直す。もう片方の腕を彼女の膝裏に滑らせ、横抱きの状態で立ち上がった。日頃抱えている小麦粉の大袋よりは随分軽いように思える。だから男は涼しい顔で言ってのける。)疲れたなら目を閉じているといい。……大丈夫さ、リア。何もこわいものなんてない。(常の明朗さは控えめな柔らかさに取って代わり、宥めるように繰り返す。彼女が否を呈さなければ、来た道を戻り始めるだろう。揺れてしまわないように、アンダンテの速度で。乱反射で昏く影が交錯する森を抜ければ視界が拓ける。暮れなずむファンタスマゴリアの情景。太陽が沈みきるまではまだ時間があるようだ、なればあまり焦ることもないだろう。メアリーは彼女の無事を確かめなければ安心出来ないだろうから、せめて顔だけは見せに行こう。ルリビタキや灰色猫がメアリーと一緒にいてくれるし、少女が帰途につくまではもうしばらく時間がある。視線を巡らせれば楡の木があったから、その木陰で丁寧に彼女を下ろした。互いに身を屈めたような格好だ。このまま己が腕に寄りかかってもらってもいいし、憚られるのであれば木に背を預けてもいい。)少し休憩してから戻ろうか。慌てることはないさ、ほら、気を楽にして。(彼女の心の錘を少しでも軽く出来るように笑顔を差し出そう。風が一筋流れて、ふたりの髪を靡かせる。)
イディオ 2020/02/02 (Sun) 18:49 No.27
(“ずっと笑顔でいる”――それはふたりの定めでも約束事でもなく、単に自分が表明したのみに過ぎない。それでも弱りきった態を見せてしまったこと、足労を掛けさせたこと、双方への申し訳なさが胸を締めていた。情けなくも自らのことばかりで疲弊しきった心へ、彼への懸念が新たに鎌首を擡げたのも束の間。視界は冷えた心身ごと、ぬくもりの暗幕に覆われていた。じかに体温と心音が伝い、知らず固くしていたらしい身の弛緩を覚える。ここに居る、生きている、確かに傍に。かなしい記憶の音色は変わらず耳奥に木霊するけれど、その都度、程近くの声が重なっては恐怖の戒めをすんなりと解いてくる。穏やかな音に促されるまま数度、細く緩やかに酸素を食んだ。過程で少女の無事も知れば、未だ鼓動の落ち着かない胸にひとつ安堵が落ちる。彼の言葉だけを聴いていれば良いのだと、そう優しく訓えるような響きに、聴覚のすべてを集中させて。ふと耳を打った明確な指示に、はたりと睫を上下させる。)っ、!(意味を解する前に、力の抜けた肢体は軽々と抱き上げられていた。パ・ド・ドゥのリフトとは違い此方からはなんの力添えも叶わず、ただ委ねきるばかりの現状に数度瞬いて。されど立ち上がるだけの余裕が戻りきらない今、遠慮を口にする余地すらなかったのは事実。せめて言われた通り、また彼の歩みの妨げにもならないよう、両の手は広い肩に寄り添わせたまま目を閉じた。鼓膜を直接刺してきたノイズもやがて薄れ、完全に鳴りを潜めた所で、森を抜けたのだと知る。目蓋の奥に響いた鈍痛が和らいでから、ゆっくりと視界に光を灯す。見慣れた、いつもの、短い日数でそう呼べるようになった夕さりつ方の光景。面から憂慮の残滓は消えずとも、震えはいつしか止まっていた。)……あ、……(鏡のそれとは違う、緑の葉を茂らせた樹木の根元。壊れ物のよう丁重に下ろされる先もまた、何の変哲もない草の地面。そんな当然の事実にまで有難さを覚える程、彼の言う通り休息を要する疲れ方をしていたらしいと自覚する。それでも穏やかな風に吹かれる中、発した一音は弱くも確かに空気を震わせる。全幅の信頼を寄せるかいなに寄りかかる形のまま、そっと紺碧を見仰いだ。温もりに満ちた笑顔が、どうしようもなく安心感を齎してくる。正しさを取り戻しつつある呼吸で、初めに送り出すべき音の葉は決まりきっていた。)……ありがとう、……(悪夢のような、現実の泥濘から救い出してくれたこと。一言では到底足りない感謝を、今は一言に集約するより他なくて。)…………探して、くれたの……?(復旧し始めたばかりの思考は、きわめて緩慢な移ろい方をする。共に居た少女への言及からしても、森に踏み入った経緯は既に知られているのだろう。先程の出来事に関して問うべき、或いは語るべき事柄に思い至るのは、もう少しばかり余裕を取り戻してからとなろう。)
リア 2020/02/02 (Sun) 20:52 No.28
探したよ。リアに何かあったらって気が気じゃなかった。でもこうして此処に居てくれるんだからそれで十分さ。(熟した果実をバターナイフで塗りつけたような空だった。その中で浮かび上がる彼女の輪郭にそっと指先を伸ばした。叶うならその頬に触れて温度を確かめようとする。逆に言えば自分の体温も伝わるといい。此処に居る。鏡の奥に囚われてはいない。哀しみに溺れて沈んでしまわないでと冀うような眼差しになっていただろう。未だに揺蕩うばかりの様子を追い詰めるつもりはない。ゆっくりと息を吸い、吐いた。鏡の森で彼女が何と直面してしまったのかは測れない。測れないが、だからこそ男は真摯に言葉を紡いだ。)──俺は、何を見たのかは聞かないよ。勿論聞かせてくれるならしっかり聞こう。だが、無理をしてまで話さなくたっていい。(出来ているかはわからないが、適切な距離感を持とうとした。表情を和らげて、視線を逸らさずに続ける。)これは悪い意味じゃなくて、リアの抱えた記憶はリアだけのものだ。嘆く権利があるのもリアだけだし、『どうしたの何があったの、話してごらんなさい』なんて言い方、憐れむみたいで失礼だろう。こうして苦しんで呻いてしまうような記憶、俺には想像もつかないから尚更だ。(彼女を受け止めた体勢のままで男も根元に腰掛ける。遅れて思考が追い付いて、秘密を打ち上げる落ち着いた声で告げた。睫毛を伏せたことに他意はない。)……俺は覚えていないんだ。俺は何処で生まれたのか。そもそもファンタスマゴリアに最初から存在していたのか、あるいはどうやってこの世界に来たのか。前に言った「俺はずっと前からイディオであって、それ以上でも以下でもない」っていうのは、そういう意味でもあるんだ。(唐突な口吻であったやもしれず、彼女の様子と反応を窺おう。もし男の話を聞ける状態でなければいったん口を噤むものの、子守唄とでも思ってくれたらいいという気楽さで口許を綻ばせる。)ただそれで何か困ったわけじゃない。疑問に思ったことはあるが、不便を感じたりはしていない。……だから、そんな俺が言うのは烏滸がましいかもしれないが、(静寂が落ちた。楡の葉が擦れる音だけがやけに鮮明だ。宵の気配に呑まれず届けばいい。世界が橙に覆われる中で、ふたりぼっちになったみたいだ。隙間を埋めるように手を伸ばすように声も贈ろう。)リアがつらい思いをしているなら、俺はそれを幾らかでも引き受けたいよ。笑顔が見たい。ひとりで涙に濡れたりはしないで欲しい。単なる俺の我儘だけどな。(努めて飄々と嘯いて、男の武骨な指先が再び彼女の頬を撫でる。)大丈夫だよ。リアはひとりじゃない。それだけはどうか忘れないでくれないか?
イディオ 2020/02/02 (Sun) 23:36 No.34
(気温の影響でなく冷えた頬に、じんわりと伝わる掌の体温が心地良い。真っ直ぐ手向けられるすべてに対し、自分も息を落ち着かせて廉直に心と耳を傾けた。そうして知る、世界の一端。森に映り込んだもの達に、苛まれていたのが己のみであったこと。迎えに来てくれた彼はなぜ平気だったのか、その解もまた求める前に得られて。打ち明けられた折は僅かに目を瞠り、思うこともまた多々あった。その中で暫し、伝える言の葉と順序を選ったのち。膝上に置いていた左手を、ささやかに斜陽へ翳す。)この指環を贈ってくれた、……贈り合った人がね。二度と逢えない場所へ、旅立った日の夢を見たの。(端的に告げて、一旦口を噤んだのは言葉を探す間を得るため。“その”概念が存在しないらしい世界において、婉曲や比喩表現はきっと相応しくない。)夢じゃないわね。森で見たものは幻でも、あれは現実の出来事だわ。……私はこの目で、いのちの終わりを見ていたの。(ふたり見つめる先の落日は、不変の日々を謳っている。強要せず置いてくれた距離感に甘え、沈黙を選ぶこととて叶った筈。それでも尚静かな口調で続ける内容は、ただ自分の意思で語っているに過ぎなかった。)別にね、引き摺っているつもりなんてなかったのよ。もう二度と恋はしないとか、私の心臓が代わりに壊れれば良かったのにとか、そんな風にだって一度も……。……いえ、ふたつめは正直、すこーしだけ思ったけれど。(舞台上で演じはしても、本人がジゼルにはなれなかった事実。皆まで隠さず告げてしまったのは、彼の前で誤魔化しは選びたくなかったから。さりとて悲哀にも自力で折り合いを付けられる程、ひとりで昇華してきたこともまた伝わるだろうか。哀切に染まってしまわぬよう努め続けた結果、喪失の日よりは少しずつ、穏やかな想い出になりつつあると。)海の向こうで出逢った人だったから、帰国したら当然彼のことを誰も知らなくて。まるで初めから居なかった、重ねた日々も夢だったみたいに錯覚してしまいそうで――…それが一番、さみしかった。だから私は、憶えていたかったの。この子と一緒に。(示す先は夕陽に反射して煌めいている、喪服代わりのシルバーリング。在るべき記憶を持たぬ相手に対し、ともすれば無神経にもなり得ない本音とは自覚していた。)でも、酷いわよねえ。楽しい想い出だって沢山あるのに、いちばん辛い部分だけを切り取って見せつけるだなんて。もしかして、あの森はそういう場所なの?(いつもの表情を模らんとして鈴鳴る笑み音は、然して通る風と睦びそうな淡さにしかならない。夕景から伏せた睫は暫しの静寂を齎して、ゆっくりと隣を、ひとりじゃないと訓えてくれた彼を見上げる。微笑みを保つ眸の水面は、かすかに波紋のような揺らぎを見せていようか。)無理をするつもりなんてなかったの。ただ、……ディオの前では、ずっと笑顔でいたかった。これは、私の我儘よ。
リア 2020/02/03 (Mon) 10:36 No.39
(夕映えにあって尚輪郭を顕わにする銀輪。彼女の細い指にきらめく光の在処を知る。初めて聞いた話なのにひどく納得していた。贈り合った人。つまり一方通行ではなく、想い通わせた人だろう。その往く先も自然と理解が及んでしまって、「そうか」と吐息にも満たない音量で囁いた。少なくとも今現在に於いて男は死を知らない。書物で読んだ知識でしかない。手を滑らせて硝子のカップを割ってしまったことはあるが、比較対象にすらならないことは想定出来る。大切な誰かが手の届かない場所に行ってしまう切なさとはどんなものだろう。実感が伴っているわけではないが、触れたところから彼女の哀しみが伝わってくる気がした。浅く頷いて続きを促そうとする。きちんと聞いているよと示すように。)……そんな喪失を繰り返し見せられるのは、いい気がしないな。(困ったような苦笑になった。この世界はあたたかなものばかりで織り成されているが、鏡の森はどうしてそんなものを映し出すようになってしまったのだろう。ナイトメアにでも聞いたら教えてくれるだろうか──なんて詮無きことは今は横に置いておく。わかったところで彼女の憂慮は拭えない。)うん、(彼女は気丈であろうとする。その気高さと、それでも惑わずにいられなかった繊細さに、淡い何かが萌したような気がした。しかしそれは姿を現す前に沈んでいく。今はまだ。波打った湖が鎮まる姿に似ている。過去を想い出として徐々に受け入れようとしている背中を支えたくて、だからこそ身動ぎもせず聞いている。)わかったような口を利くのも何だが、その人も憶えていてもらえて嬉しいんじゃないか。築いた信頼も愛情もなくなったわけじゃなくて、リアのところにちゃんと残っている。抱えていることが出来る。……それってすごく、素敵なことだ。それでいいんだ。それに、憶えていてあげて欲しいって俺も思ったよ。好いた人に忘れられてしまうのはきっと寂しいから。(脳裏に焦げるような何かが過った、が、男はそれを瞬きひとつ挟んで逃す。男は彼女に語るような記憶は持ち合わせていないし、彼女の喪失の苦しみを本質的なところでわかっているわけではないのだろう。けれど寄り添おうとした。そうありたいと思った。優しくありたかった。それだけだった。「確かに」という同意は気負いなく注がれる。)察しはついていると思うけど、鏡の森は、記憶を引き摺り出す映す魔法の鏡で出来ている。迷い込んだ人間が抱えている記憶をね。幸せなものが映るならいいんだが、どうにもつらいとか悲しいとか、あまり反芻したくない記憶ばかりが想起されるみたいだ。伝聞だけどね。(まったく悪趣味にも程がある。一蹴出来ればいいが、そう出来ないのが人間というものなのだろう。今一度彼女の頬を撫でた。)笑顔でいて欲しいって言ったけど、無理をさせたいわけじゃないさ。……泣きたい時は、泣いてくれよ。
イディオ 2020/02/03 (Mon) 20:55 No.44
(決して明るからぬ話を音として大気にのせる、その躊躇いは彼が容易く取り去ってくれた。かように一方的な語り口へ、頷きを送ってくれるひと。傾聴の姿勢を、自分にも見えるよう示してくれるひと。視線を重ねれば応えてくれる、重ねずとも同じ方向を見ていられる。その事実に、共にする時間に、ふと胸裡を灼く感情の内実は何であるのか。克明に記憶の扉をこじ開けられた直後だから、惑いと嗟嘆の名残を香らせた心だからと言い訳して、今はそのやさしさに寄り掛かっていた。)ふふ、……そうだったら嬉しいな。憶えているのは、素敵なことだって……あなたもそう思っていてくれるのなら、私ひとりの空回りじゃなくなるもの。(それでいいと、赦しの一言が恵みの水のように染み渡る。受け取った言の葉をひとひらずつ仕舞ってゆけば、ソプラノで紡ぐ応えは存外いとけないものとなった。本当はずっとこうして、誰かに知っていてほしかったのかも知れない――とは、自分の声で辿ることをして初めて得た気付き。現実世界で近しい人間に切り出したとしても、故人の想い出語りに対する反応など恐らく、おおよそ決まり切っている。彼の言う“憐れみ”に類するものは確かに、微塵も求めてなどいなかったから。)そうだったのね。……ディオの心が無事で良かった、とは心底思うけれど……記憶が無くて良かったとは思わないわ。憶えていないのはやっぱり、とてもさみしいことに思えるから。何か手掛かりがあれば良いのに、私には何もできないのかしら。(脳裡に破られた頁があるのなら見つけ出したい、と。儚かった声はどうしてだか、彼に関することに言及すればするほど芯を確固とさせてゆく。終いには戻る方法云々よりそちらが重要だとばかり、立場にも臆せず断言してしまった。なんともお節介かつ勝手な言い分とは我ながら知覚する所で、眉尻を下げて可笑しげに笑う。)忘れていい記憶なんて、ひとつもないって信じているから。信じたいから、……あなたも。過去のことは思い出せなくても、私のことは憶えていてくれるでしょう?(冀望ではなく決定事項のように、図々しい言い方を選ってしまう。抜けた頁は埋められずとも、新たに書き加えることなら自分にも叶う筈だと。)泣きたいなんて、思っていたつもりはないのに。……ふしぎね。ディオはいつも、私のことを見つけてくれる。(月夕の舞姿を、記憶の雨に凍える迷い子を。意識の外でブルーアイズは細められ、対峙する笑みはひときわ深まる。やさしく撫ぜる手が離れゆく前に、そっと身動いで傍に留めたがった。触れれば確かに殿方のものと解る甲へ、自分の両手を柔らかに重ねて。そのまま体温に懐くよう、軽く頬を傾けて目蓋を落とす。すれば密に縁取る睫の合間から、音もなく流れ落ちる透徹の一粒があった。落涙と呼ぶには随分とゆるやかな感情のほぐれを以て、水色のロングスリーブに弾け飛んだ袖の雫。)
リア 2020/02/03 (Mon) 23:24 No.48
(彼女が柔く言葉を重ねるたび、男の表情にも安堵の彩が刷かれる。過去を置き去りに出来ないのなら、想い出として抱えていけたらいい。彼女の重荷を整理する手助けをしたいと願うなんて、傲慢だろうか。微かに過る何かは引け目だろうか。しかし彼女の笑顔を見たいと思う気持ちばかりが背を急かす。愚者の振舞いやもしれぬ。そんな思索を世界は置いていく。吹き抜ける風は穏やかで、沈む夕日は平和の国をあたたかく染め上げていく。紡がれるソプラノは耳に優しく、その心持ちもまた。)……そうかい? どうだろうな、俺の記憶が良いものだったのかそうでなかったのかもわからないから、取り戻そうとも考えたことがなかったんだ。(空いたほうの手、親指の腹で己が鳩尾を押す。)俺の真ん中に空白があるのかもしれなくて、でも其処に何が置かれていたのか、そのかたちがどんなものだったのかも想像出来なくて。でもリアがそうして慮ってくれるのは嬉しいよ、ありがとう。(男の語り口は些か幼い色を孕む。彼女の気遣いを厭うているわけでなく、迷惑など微塵も感じてはいない。ただ単純に嘗ての時間を思い描けないだけなのだ。もし心の隅に名残でも、残滓でも、あるいは影のひとつくらいでも存在していたら、そこから手繰ることも叶おう。それがない。男がファンタスマゴリアに存在している理由と同様に、記憶の在処の心当たりはなかった。それでも自らを差し置いて此方を思い遣ってくれるその清しさに、自然と紺青の双眸は緩むばかりだ。彼女と過ごしていると呼吸がし易い。不思議な感覚だった。)忘れられる気がしないな。……憶えているよ。リアがこうして俺と向き合ってくれていることを、なかったことにはしないさ。リアも俺のことを忘れずにいてくれるかい? それこそ帰り方が見つかって、元の世界に戻ったとしても。(彼女が月夜に降り立った姿、青薔薇の庭で踊っていた姿。そしてこうして傷を抱えて尚ひたむきに生きようとする姿。脳裏に焼き付いて離れないし、失くそうとも思わなかった。日頃から他者の笑顔を重んじている男にしては幾分珍しい、自分自身が抱いた願いの欠片。彼女がその繊手で己が手を繋ぎ止めてくれるなら、そのままぬくもりに包まれていよう。彼女の頬を滑る雫が、今まで商ったどんな宝石よりも美しく見えた。哀しみは弾けて霞んでいけばいい。)見つけるし、手を伸ばすよ。リアが持つ月みたいな澄んだきらめきを、曇らせたくないって思うんだ、……変な感じだな。初めて会ってからたかだか五日くらいしか経ってないっていうのに、そういう風に思うのが当たり前みたいに感じられる。はは、自分でも驚いてしまうよ。(からりと笑った。この黄昏の一幕を和らげようとしたというよりは、自然と湧き上がったものだった。落日に視線を向ければ眼が灼ける。)少しでも前を向けたらいいな。リアは視線を上げて歩く姿がよく似合うよ。
イディオ 2020/02/04 (Tue) 21:21 No.59
きっとね、これも私のわがままなの。それか欲張りだわ。初めて出逢ったときの「あなたのことをもっと知りたい」が、……もっと大きくて、勝手なものになっているのよ。(彼は朝焼けの天光に似て爽やかに、午后の陽射しの如く照らしながら、吹き渡る風のように曇りを晴らす。弱った心には静謐の安らぎを以て、傍に居ると示してくれる。通る声が耳に快く、心強い優しさが肌身に温かく、隣の空気は居心地良い。そんな在りようが何に根差しているのか、如何なる路を歩んで形作られたのか。見透かしたがる女の心には、いつしか小さな意思の灯りが点っていた。日頃の知的好奇心とは異なる、慮りと呼べるほど殊勝でもない、至って自己本位な想いに起因する光。何と呼ぶが相応しいかなど疾うに知っていながら、今はまだ胸奥に収めるまま。ただ黄昏色に染まる世界を、二対の青が見つめていた。)哀しいことがあったら、それまでよりも誰かに優しくなれるわ。失う辛さも、傷付く苦しみも……痛いくらいに感じられるのは、心が生きている証だもの。なんて、持論だけれどね。(記憶の空白に何が隠されていたとしても、それが良かろうと悪かろうと、無駄な頁はない筈と信じたがる口振り。なんの根拠もないと知るから、本音である割に口調は柔い軽やかさを保とうとした。)嬉しい。……私だって、忘れてなんてあげないんだから。(月がきらめきを放てるのは、太陽の光を反射するため。誰もが知る自然のことわりを、不思議と甚く実感していた。嘘偽りなく手向けられる言の葉は斯くもくすぐったく、せつなさを内包すれど喜ばしくて。とりわけ結びに告げられた希望が、今の自分には至上の賞賛として響いた。優しさのたなごころを静かに解放しながら、呼応するように笑う。はらりと落ちた溜め涙の欠片もまた、自分の指で掬って夕陽色へ舞わせた。)大丈夫よ。今までよりずっと、前を向いて歩けるわ。私はひとりじゃないのでしょう?(銀輪を以て喪に服している間は、吹っ切れた気でいても何処か囚われていたのやも知れない。自らが歩むべきは耽美なウィリの世界でもなければ、ファンタスマゴリアの地でもない――後者の事実に関してのみ“でも今だけは”と、虚勢にも似た言い訳で痛みを埋めようとしながら。)視線を上げて、おなじものを見て歩きたいの。今は誰より、ディオと一緒に。――…ありがとう。(並び立つよりも近く感じる面輪を見上げ、常の力がすこし戻った腰をそっと浮かせる。そして青年の頬へ、夕風の如き柔らかさでくちびるを触れさせた。何のことはない、学びに赴いた海の向こうでは当たり前に行われる“感謝”の挨拶。西洋の風情を多分に漂わせているワンダーランドにおいて、果たして真っ当なお国柄の行いとなるかは定かでないけれど。)……さてと。私はもう平気だから、そろそろ行きましょうか? メアリーちゃんも心配しているのなら、早く顔を見せてあげないと。
リア 2020/02/05 (Wed) 11:10 No.64
(息を呑めば、自然と喉仏が上下した。同時に理解が腹へ落ちて来る。──「あなたのことをもっと知りたい」と、自分もそう思っているのか。自分はそんな風に感じていたのかと。曖昧な輪郭を持っていた朧な認識に、透明絵具を薄く広げたような心地だった。彩度が高く目に痛い色ではなく、重ねて尚優しく深みを増す色をしていた。瞠目というにはやや控えめに見開かれた瞳が、柔く微笑みを模るまでにさして時間はかからない。営業用のにこやかなものではなく、イディオという個人が持ちうる有りの儘のはにかむような笑みだった。)確かにそうかもしれないな。悲しい思い、苦しい思いをしたことがなければ、誰かの苦悩に思い至ることも出来ないのかもしれない。人間なんて他人の気持ちは本質的に理解は出来ないと俺は思っててさ。でも相手の気持ちを知ろうとして、その上で尊重しようと努めることを、思い遣りって言うんじゃないかな。これこそ持論だ。(意図せずして実感を孕んだような声になったのが自分でも不思議だった。優しくありたいと願っている。逆説的に言えば、そう心がけていなければ些か情に欠ける性質だと自己分析していた。心遣いをしたくないわけではないが、他人のことを自分のことのように感じて泣いたり笑ったりという経験があまりない。自分本位で薄情なのかもしれない。僅かに口許が引き攣って、それでも穏やかな表情であろうとして頬を上げた。そう、優しくありたいと、本心から願っている。)ひとりじゃないよ。俺が此処に居る。いなくなったりしないさ。(縁という糸を紡いで、互いを繋げることが出来ればいい。彼女の眦に今一度涙が宿る気配がないと知れば、勝手に胸を撫で下ろす。その直後だ。)……え、(花弁を撫でた時のように柔い感触。咄嗟に反応出来なかった。花脣が触れた部分を指先で辿ってしまったのは無意識だった。挨拶でベーゼを交わす人間はファンタスマゴリアにもいる。ただそれは主に貴族階級や名家の人間がほとんどで、普段の男には縁遠いもの。くすぐったさが解けて、それを誤魔化すように勢いをつけて立ち上がる。楡の木の下で、手を貸すべく指を伸べる。頬に仄かに朱が差したのは、夕焼けのせいではなかった。)ああ。行こうか。メアリーもきっと喜ぶよ。(帰途につこう。肩を並べて歩き出そう。橙に包まれる世界に於いて何処までも道は続いていて、ふたつの長い影が街道に伸びていく。)

(彼女が鏡の森に迷い込んだ二日後のことだ。今日は北方の市場にて商いをすることになっている。馬に荷車を引かせて向かう折、その前に彼女の家へと立ち寄った。扉に響くノックは二回。彼女が姿を現してくれれば軽く片手を上げて笑みを刻んだ。)おはようリア! 実はいいものを仕入れてね。よければリアに贈りたいと思っているんだが構わないかい?(何の翳りもなく爽やかな朝のこと。何気ない日常に、掬おうとした小さなきらめきがあった。)
イディオ 2020/02/05 (Wed) 21:20 No.69
(ブルーアイズに映り込む、妙なる光景の中心にあるもの。それは楡の葉からふる木漏れ日に似て、柔らかくも目映い笑顔だった。そんな風にも笑うのねと、少年のようだと感ずるのはこれが二度目だったか。快晴の空かと思えば朝朗の光と、その都度異なる色をのせてくるものだから。常に不意を打たれているような心地で、今もそうだった。正しい鼓動を取り戻していた筈の心臓が、とくりと一音だけ響むような心音を奏でる。)……だから、なのね。あなたのすべてが、……言葉も眼差しも、声も笑顔も。手も、やさしく在りたいに満ちているのは。(湛えた微笑の下で、何かが静かに腑に落ちる感覚があった。常日頃の淀みない言辞達、スマートで器用な振る舞いが彼の全てではないこと。周囲に与える印象よりずっと、ひたむきで真っ直ぐなひとなのかも知れないこと。思えばもうひとつ、胸が芽生えを知覚して。先程彼がそうしてくれていたのと同じよう、一語ごとに相槌を打ちながら耳を傾けた。)私も今は、此処にいるわ。……いなくなったとしても、消えやしないの。憶えておくのは得意だから。(現に、もう憶えてしまった。距離を縮めた折に届く彼の香りも、てのひらに指を預ける安心感も、触れ合った箇所から広がる温もりも。――入り日色をひと刷毛加えたような、はじめて映す表情も。)ええ。ちゃんと助けてもらったから大丈夫よーって、安心させてあげたいわね。(速度はゆるやかでも恐怖の残滓など何一つなく、自分の脚で歩み始めた。世界の一部にはなれずとも、彼の隣を歩いていたい。その後は律義に待ち続けてくれていた少女の、嬉し涙ともそぞろ涙ともつかぬ稚い雫を拭って抱きしめたり。一部始終を見守っていた青い鳥の尾羽に、労うような柔い触れ方をして謝辞を述べたり。世界のあたたかさに触れながら今日も、すこしの変化を受け容れながら、黄昏は至極平和に更けていった。)

なんだかもう、好みはすっかり熟知されているみたいね? 流石ドードーちゃん、敵わないわ!(すっかり親しくなった――と勝手に思っている丸眼鏡の娘と、食事の仕度から終わりまでを共にしていた朝。彼女が誂えてくれたハイウエストのレースワンピースを身に纏い、はにかむ様子を見て笑声混じりにうたう一言であった。ネモフィラのような淡い青は、初日に着ていた私服と同系統の彩。廻ればふわりと広がるサーキュラーの裾を靡かせて、ノッカーの音に応じようと駆け寄る足取りは今日も今日とて軽やかだった。朝の来客が誰であるのか、無意識のうちに期待混じりの予想を付けていたから。扉をひらくと同時に「ごきげんよう」と、当人が誰よりごきげんそうな笑みを咲かせたのは当たり前の話。)これからお仕事?……まあ、何かしら。気になるわね。(彼が見せてくれたもの、連れ出してくれた場所。すべてが例外なく女のこころを弾ませてきたものだから、此度も興味津々といった具合で見上げていよう。)
リア 2020/02/06 (Thu) 00:56 No.75
(今朝のファンタスマゴリアも平穏だ。常通り陽光は燦然と大地を照らし、肌馴染みの良いあたたかさは絶えることがない。けれど、今現在、彼女がいる。何時から存在しているかもわからない男の日々に訪れた異邦人。変化ではあれど違和ではなかった。むしろ慕わしくすらあった。澄み渡る美しさを戴く彼女に向き合う。自然と寛いだ空気を纏い、頑なさの予兆すら抱かぬ風情で男は笑う。)おや、今日の装いはいつもと違うんじゃないか。綺麗だし、とても似合っているよ。ああ、当然社交辞令じゃないよ。(文字列にしてしまえば軽薄とも取られかねない言い回し。だが声音には偽りや世辞の色は含まれていない。紺青の双眸も、眩しそうに細められている。彼女の後ろ、様子を窺う丸眼鏡の娘には軽く手を振り「長居はしないよ」と視線で伝えた。改めて彼女へと眼差しを向ける。目は逸らさない。つい見つめてしまっていたのが正直なところだが、男自身そこに自覚は及んでいなかった。提げていた革の鞄に手を伸ばす。)珍しい装飾品を細工師から仕入れたんだ。せっかくだからどこぞの貴婦人に献上しようかとも思ったんだが……リアに似合うと思ってさ。(男の商う品物は多種多様だ。贈り物に相応しい上等なものから、日常使いにも役立つものまで。昨日偶然仕入れが叶ったものは前者だ。胸の奥にこそばゆい何かが焦げているのは、こうして誰かに贈り物をすること自体がひどく久し振りだったからだ。誰かの笑顔のために奔走しても、己の笑顔の作り方を説明出来ない、そういう男であった。)さて御照覧。(男が取り出したのは、銀のリボンで飾られた白く細長い箱。蓋を開ければ、そこに佇んでいるのはネックレスだった。華奢な金のチェーンに、一粒のブルーハイアライトオパールがきらめいている。昼と宵のあわいに透けそうな淡いラベンダーブルー。過日の夕映えを思わせる柔らかな彩を抱いている。その隣に寄り添っていたのは星のチャームだ。青空と夜空を繋ぐ明星を彷彿とさせるそれは、控えめでありながら、彼女の首元を華やげる助けになるだろう。ひとまず彼女の掌にそっと差し出そう。絹のように白い肌にも相応しい。そう思った。)ちょうど今の装いにも似合いそうだ。気に入ってもらえるといいんだが。(落ち着いた物腰で呟いたくせ、ほんの少しだけ声が裏返りそうになる。そんな自分が可笑しくて、男は敢えておどけるように口の端を上げる。)俺はリアを憶えているし、リアも俺を憶えていてくれる。……そのしるしみたいなものがあったらいいって思ったんだ。もらってくれたら嬉しいよ。(鏡を抜けた先に見出した光をかたちにしたい、そんな小さな我儘を滲ませて、彼女が受け止めてくれるのを待っている。祈りのような願いがあった。彼女が笑顔であればいい。出来るのならば、その様を隣で見ることが出来ればいいという、凡庸でひたむきな願いだった。)
イディオ 2020/02/06 (Thu) 21:13 No.81
うふふっ、恐れ入ります。昨夜ドードーちゃんに仕立ててもらったばかりなの、早速着てみて良かった。(今日も街の中心部からか、風に運ばれたメロディを背景として華やぐ声。何でもないことのように軽やかに、それでも確かな喜びを運んでくるのは彼が有する才能だろうか。喜色は素直に面へ出してしまって、空の色より深い青をまっすぐに見つめ返す。似合うと見做してくれた贈り物、そう切り出されて心を躍らせない生娘など居ない。慧眼の持ち主がしなやかな指で為す先、追いかけていた眼差しはほどなく瞬いて光を宿した。)まあっ……!(ささやかに添えた指の隙間から、心底からの感嘆を示したソプラノが零れる。あおい夢の畔へ連れられた折に似て、然れどもっと特別に。ブルーの眸を釘付けにしたのは玻璃に似た透明感と、陽光を受けて繊細に移ろう彩のうつくしい一粒。傍らに揺れる星斗の煌めきも相俟って、淡い月が顔を出し始めた夕空――或いは、宵に先んじて存在を示す月そのもののように。綻んだくちびるからは凡庸な形容動詞ひとつふたつが、紛れもない感動と幸福感に彩られて落ちてゆこう。)素敵だわ、とっても綺麗。きっとお気に召す方が沢山いらっしゃるでしょうに、貰ってしまっていいの?……ふふっ、いいのよね。ありがとう、嬉しいわ!(遠慮めいた文言を口ずさみながら、その実受け取りを控える気など毛頭なかったなんて可笑しな話。ネックレスそのものの麗しさもさることながら、差し出された彼の厚意がなにより喜ばしいものだから。両のてのひらを重ねて大切に受け取ると、そのまま徐に金具を外して首の後ろへ。かちりと留まる音が小気味良く鳴ったなら、金鎖から繋がる月星はレースのラウンドネックの中。丁度鎖骨の辺りで、此処を居場所と定めたように煌めいている。)如何かしら。似合っている?(そんな少々厚かましい問い掛けも、彼の前でなら赦してもらえる気がした。耳に心地良い声がいつもと何ら変わりないようでいて、なにか張り詰めているように届いたのは思い過ごしだろうか。悪い意味での緊張感ではなく、対峙する心の内側まで初々しい指先でくすぐるような。予感が淡い期待に、ひいては過ぎた自惚れに変わる前に、率直な言々へのみ意識を向けた。)大切にします。(シンプルに音を繋げた一言は、神聖なる誓約めいて朝の空気に響く。夢のようなワンダーランド、ファンタスマゴリア。此処から現実世界に何かを持ち帰れるものなのか、或いは文字通りに記憶だけを“大切に”携えてゆくこととなるのか。未だ不透明な部分はあれど、その本心ばかりは確固として紡がれていた。)私が貰ってばかりだと不公平じゃないかしら……なんて、今は思っても言いません。此処に居る間は多分、ずっとこの子と一緒だろうから……見ていてね。少しでも長く、隣に居させてね。(形として返せるものが浮かばない今。返礼にも満たず渡すのは、真心と半々の身勝手な願いであった。)
リア 2020/02/07 (Fri) 00:28 No.87
(口先三寸で美辞麗句を連ねることには慣れている。しかし彼女の前で紡ぐ言葉は取り繕うこともなく、有りの儘のかたちで呈されている。やはり彼女の傍は呼吸がし易い。どうしてそう感じるのか予期していないわけではない。だがそれに丁寧に蓋をした。今ふたりの前に横たわる優しい空気を損ねたくなかった。己が振る舞いに戸惑いが波紋を広げるものの、溢れぬうちに堰き止める。微かに奥歯で空気を噛んで、湛えた笑みは穏やかだ。彼女が微笑みを咲かせれば、幼子のように頬が綻んでしまう。単純に安堵の色も孕んでいた。つい吐息が零れる。)よかった! いいものだっていうのは俺が保証するが、リアに気に入ってもらえなきゃ意味がないからさ。ああ、勿論いいとも。遠慮なんか必要ない。(自分の心裡を扱いあぐねているというのに、彼女が喜んでくれれば自然と声も軽やかに滑り出る。彼女が実際に身に着けてくれたなら、最初から其処に在ることが当たり前だったと錯覚してしまうくらいに馴染んでいる。実感の籠った声音で告げた。)すごく似合っているよ。やっぱりリアに贈りに来てよかった。なあドードー、こんなに似合っているんだ。お前も見て御覧よ。(上機嫌に水を向ければ、首肯と同時に娘のおさげが揺れる。「素敵です」と本心と共に目を輝かせる様に、何となく自分も誇らしい気持ちになった。鎖骨の地平にきらめく月星。レースを漣と見立てれば湖面に在ると喩えたほうが正確かもしれない。大切にするとの言葉に、何となしに頭を掻いてしまった。誰かに喜んでもらうことが好きだ。誰かに笑顔でいてもらうことが好きだ。──その『誰か』は、今だけはたったひとり。先般の鏡の森の件が脳裏に過り、彼女を苛んだ憂いを思い出して僅かに眉根が寄る。)そんなことないほうがいいし、ないと思いたいが。……もしこれから哀しみに溺れそうになったとしても、ひとりじゃないって思い出してくれたらいい。今後とも帰り方を探しつつ出来るだけ傍にいようと思うが、四六時中ってわけにもいかない。俺がリアのさいわいを願っていることも、憶えていてもらえたらいいなって素直に思ってる。(そこまで言いながら、不意に思い至って息を詰まらせる。そう、彼女がファンタスマゴリアにやって来てから七日が経過していることに気付いたのだ。ちょうど半分。折り返し。彼女は何時か彼女のいた世界に帰るひとだ。青色輝石を標にしても、月が見えなくなる時が必ずやって来る。最初からわかっていたことだった。指先にちりりと焦げ付くような感覚があって、宥めるように擦り合わせる。彼女の言に小さく噴き出した。)言っているじゃないか、敵わないな。別に俺が渡してばかりなわけじゃないよ、俺はリアに優しい気持ちを貰ってる。(直截的に言ってしまえば気恥ずかしくて、眦が赤くなるのは見ないふり。)……隣にいてくれたら、俺は嬉しい。(嘘偽りのない事実を、真心を籠めて囁いた。)
イディオ 2020/02/07 (Fri) 21:21 No.95
あら、気に入らない訳がないじゃないの。ディオは私の歓ぶものを、私以上によおく知ってくれていると思うわ。(あけぼのを迎える天明のように、共に見ていた夕空のように。かのひとの存在は隙間風を吹かせていたはずの心を、やさしく美しいものばかりで満たしてくれる。皆の信頼を勝ち得る商人としてではなく、個人としての贈りものである事実が喜ばしくて。色好い返事を期待していた癖に、実際お墨付きを頂いてしまうと微かなはにかみが滲むのは女心か。後方の彼女が愛らしい反応を見せた折は「ありがとう、ドードーちゃん大好きよ」なんて、末尾にハートマークでも付きそうな口舌にウインクのおまけを付けて飛ばす。友誼、親しみ、隣人愛。あらゆる好感情を臆面もなく恥ずかしげもなく、表に出すことは生来得意であった。相手の照れを誘ったところでお構いなしとばかり、受けた光を惜しみなく返し広げる性質ゆえに。ならば今、内から溢れんとする想いの表出を躊躇うのはなんの故であろう。僅かに映った愁眉の原因が、過日の出来事にあるとは察せられた。)思い出すかどうかは……。……だって、忘れないもの。ひとりの時間も独りじゃないって、誰かさんが教えてくれたもの。(幸福の輝石に指先を添えながら、選ぶ隻語は図らずして遠廻りになった気がする。彼の声、もしも話からはじまる率直な所懐。その一音一音に籠もる温情が、とびきり澄み渡っているものだから。真摯に砕かれる心に、しあわせを感ずる一方でせつなさの荊棘が刺しもする。月が消えるまでと、短き縁であるのだと、はじめから言い渡されていたことなのに。)優しい気持ち。……ほんとうに渡しているのだとしたら、それはディオがそうさせているのよ。(謙遜でも何でもない存意を音にして、いつもの笑顔を映すセレスティアル・ブルーが柔く細められる。笑む直前のような、湖面が揺らいで差し含むような、光を眩しがるような雰囲気で。まじりけのない本音がなにより胸に響み、ひとたび思考を絶えさせる。敵わないのは、一体どちらだと思っているの。)私の方から、あなたの傍を離れるなんて決してしないと思うの。――安心してちょうだい。邪魔だと思われてしまうくらい、ずっと隣に居るわ。(彼は自分の存在を邪険になどしないと、図々しくも承知しているからこその確りとした口調。精悍な眸の端が染まるさまを目にすれば殊更に、芽吹きは覆いを取り払われる心地であった。曲がりなりにも一度経験した身、白旗を揚げるのも早いもので。“この想い”に関しては、理屈で歯止めも抑制も利きやしないと分かり切っていた。ただの七日、されど七日。女はきっと、もうずっと前から観念していた。明確にはじき出された答えからごく単純に、甘い自覚をかみしめる。与えられてばかりのようでいて、いっとう大切なものは彼の手にゆだねてしまったこと。One day, moon heard romance footsteps――ひとつしか持たない心をすっかりと、ひとりに奪われてしまったこと。)
リア 2020/02/08 (Sat) 20:08 No.101
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