Mome Wonderland


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(貴方様の望みを叶えましょう。)
(――落ちた。お世辞にも強靭とは呼べぬ足腰に鞭打ち、息を切らしながら駆け付けた森深く。まるで予め舞台を用意されていたかのように木々が開けた一画にて、月光のスポットライトを浴びて振り向く“彼女”の姿を目撃した瞬間、頭の天辺から足の先まで電撃が突き抜けた。麻薬のように強烈で、媚薬のように甘美で、劇薬のように致命的な衝撃。は、と吐息が砕け散る。言葉を奪われ立ち尽くしているうちに番人たるフクロウの鳴き声が響き渡り、抵抗する間もなく王城へと連行されたのはある意味で幸いだったかもしれない。仮に二人きりで彼処に取り残されたとして、如何せん適切な判断が出来るような状態ではなかったから。その後も夢幻に取り憑かれた男を差し置いて物語は目まぐるしく展開していく。城に辿り着いてからの顛末ははっきりと覚えていないが、ひとつだけ。“余所者”の帰還方法を調べるよう命じられた時、状況に反して不相応な喜びが肺腑を満たし、彼女が反応を示すよりも先に「承知いたしました」と頭を垂れた。果たして奇妙な歓喜の源泉は女王直々の理不尽極まりない命令か、はたまた期せずして一人の女性と運命を共にする事となった十四日間にあるのか。何はともあれ、こうして男の人生で最も濃密にして重大な夜が明け――翌朝。昨晩の騒動が嘘のように麗らかな朝陽と小鳥の囀りを携え、男は早速彼女が寝泊まりしているという家を訪ねに来ていた。)おはようございます。(控えめなノック音を三音連ね、まずは一歩下がって応答を待とう。扉が開けば恭しくお辞儀し、対面が叶わなければ扉越しに、細い三日月を象る唇が動く。痩身に猫背の今ひとつ冴えない佇まい。顔ばかりは前を向いているが、視線がかち合う事は恐らく無かっただろう。昨晩のシャツとズボンを纏ったごく普通の青年らしい出で立ちから一転、全身を覆う真っ青なローブのフードが、男の目元をすっかりと隠していた。)昨晩、貴方様を森で発見した者でございます。昨日の今日でお疲れかと存じますが、一度ご様子を拝見するために参上いたしました。(公文書を音読するかのように滔々と語りながら、肩から提げた小ぶりな鞄を指の腹でするりと撫でる。その手でフードを軽く持ち上げれば、赤色に揺らめく一対の瞳が日陰より浮かび上がった。)
ヨハネ 2020/01/26 (Sun) 09:23 No.8
(一夜の夢をみせるのは、胡蝶の領分ではなくて? ――ラピュタ王家の末裔の娘よろしく、ふわりと着陸することなど到底ない。彼女がしたたかに背中を打ち付けたのは、人間の上背を追い越すほど大きなキノコの傘の上だった。繊維状鱗片に覆われた子実体の肌に寒気を催しながら、よいしょよいしょと苦労して地上に降り立ったのである。傘の裏面にやや疎らに離生したひだの形が気持ち悪くて、「ぃやああぁ……」とか細く悲鳴を上げもした。全然綺麗じゃない。一体ここはどこ? 途方に暮れて仰いだ先の、青白い月。それも、スパンコールをあしらった暗幕に、円く切り出した銀紙を貼り付けたようだとしか思えなかったし、月光から想起できるのは、燃焼するマグネシウムの色ばかりだ。彼女は現実を知っている。重みを含んだ足音が地を踏み締め、近付いてくるから、反射的に振り返った――そこに佇む濡れネズミを、ひと目で不審に感じられないほど危機意識の薄い人間ではない。翌日もまた。)………………。(ノックの音に従って扉の前に立つ。後ろ手には木製の靴べら――さすがに金属製の燭台ではいざという時過剰防衛になってしまうので――が護身用の武器代わりにこっそりと握られていた。――昨晩。稚気た我が儘に裾を揺らすドレスの赤よりも、”彼”の瞳の赤をこわいと思った。可愛らしい女王陛下に思うのは、せいぜい、この国に摂政はいないのかしら?程度のものなのだから、半ばどころではなく状況に呑まれている。冷静に話を聞き届けているように見えながら、その実、指先に震えがくるほど動揺していたものだ。 たっぷりと沈黙を垂れ流したあと、意を決して扉を開ける。昨晩と同じ黒いエプロンドレスをしゃんと着込み、抜かりなく微笑もう。)……声で分かるわ。 おはよう、昨晩よりも少し、ミステリアスな雰囲気でいらっしゃるのね。神秘のヴェールがとってもお似合いの、素敵な殿方ですこと。(承知いたしました、と告げた彼の声を、姿を、記憶した。相違ない声調。だのに、記憶とは反して相貌を遮るローブ姿に、息を呑む。とろりと撓垂らした眦も硬直する。されど一瞬だ。すぐにでも油を飲んだように潤滑に舌は回り出す。あやしい殿方のお相手なんて、別に珍しいことでもないのだから。 私はこの通り、おかげさまで、とっても元気よ。お気遣いくださってありがとう。大変な事態に巻き込んでしまってごめんなさい。通り一遍の謝辞を並べたあとは、心ありげに色目を向けて、黙ってにっこりしていよう。もとい、暗がりから赤々と存在を主張する瞳に、言葉が打ち止めを食らっただけだ。)
ルカ 2020/01/26 (Sun) 13:03 No.12
(一夜が経った今でも邂逅の瞬間がこの網膜にまざまざと焼き付いている。月明かりが逆光の役割を果たし顔色までは読み取れなかったものの、振り向きざまの髪の動き、此方へ向けられた紫水晶の眼差しに、ある種の聖性を見出した気がした。あるいはそれも、二人を取り巻く天然の舞台装置や特異な状況ゆえの錯覚に過ぎなかったのではないかと疑いもしたが――果たして全くの杞憂であったと、すぐ後に知るところとなる。)、(幾許かの空白を挟み、やがて昨夜出逢ったその人が扉の向こうから姿を現した。瞬間、左胸に隠された心臓が大きく高鳴る。可憐な乙女らしさと瀟洒な淑女らしさが共存する佇まい。柔らかくも艶を帯びた眦に視線を縫い止められ、端正な微笑みを飼い慣らす唇に声で分かったと指摘されれば、それを知った喉奥が火照り、用意していた言葉もろとも熱によって絡め取られるような心地さえ覚えた。初めて目が合った時と同じ、あるいはそれ以上に決定的で、例えるならば失くしたと思っていたジグソーパズルの最後のピースが見つかったような、不思議な実感が其処にあった。)……憶えていただいて光栄でございます。昨晩は少々お見苦しい姿をお見せしてしまいましたが、見たところお元気そうで安心いたしました。(花唇が織り成す賛辞のあまりの甘美さに胸が震えた。 さりとて感慨をただちに露わにする事はない。口角を左右に引き、シンメトリーの微笑を形作ると、ひとまず当たり障りのない返事を述べるに留まる。さらには人畜無害を装った面持ちで、謙虚な相槌を二度三度差し挟んだ。それが僅かに変貌したのは、謝罪の言葉が耳朶を打った時の事。)――とんでもございません。むしろこのような大役を仰せつかり、私からすれば身に余る光栄でございます。どうかご遠慮なさらず、困った事があればこのヨハネにご相談下さい。(殆ど反射的に頭を振り、丁寧だが断固とした口調で言い切った。己の胸に掌を当て、ずいと前のめりに顔を突き出せば、繊維の奥に染み込んだ仄かな薬のにおいが彼女の鼻先に届くかもしれない。暗がりから相手を見つめる赤色は、それでも従順ななりをしているけれど。)……互いに伝えておく事や聞きたい事もございますでしょう。レディに立ち話をさせるのもなんですから、よろしければ何処かでお茶がてらお話がしたいのですが……如何でしょうか。(姿勢を戻し、何事も無かったかのように話を再開した。提案に対してもしも承諾がいただけるのなら、場所は街の適当なカフェか、もしくは彼女が今いる家の中か。いずれにせよ相手の選択に喜んで従うはずだ。)
ヨハネ 2020/01/27 (Mon) 04:10 No.37
(犇めき叢る樹木続きの緑の海で、ぽつん、というふうに立ち竦み、黙ってこちらを見ていた彼。女王陛下の御前でも、少しも取り乱したりしなかった彼。何を考えているのかまるで不明瞭で、相対していると余計に、無性に心細くさせられるのだ。麗らかな朝の光の下再び邂逅叶ったところで、そう簡単に第一印象は覆らないけれど――青いローブの下の相貌は、よくよく見ると割合若い。ローヒールの小さな背丈が幸いして、フードの奥を、そっと掬い取るような目つきで観察できるかもしれない。)そう、昨晩……付かぬことを伺いますけれど、どうしてあんなにずぶ濡れでいらっしゃったの? お風邪は召されてないかしら。(あまり不躾に見つめすぎるものでもない。折を見て、彼の目から眉間へと視線を逃がしながら、しなやかな曲線状の声で問いかける。片掌を頬に寄り添わせ、小首を傾げた。――彼は思いの外、物腰の柔らかい殿方だった。表情はあまり身じろぎせず、固い印象すら受けるというのに、あべこべだ。人物像を構成するパーツのひとつひとつが噛み合わないと、対面の相手は不安に思うものである。突然に顔を近付けられること。独特の、薬らしい匂い。それらもまた、他人を不安にさせるもの。化粧を施していない裸の瞼をつい瞠って、上体を後ろへと仰け反らせた。)…………ヨハネ……さま、っておっしゃるのね。ご親切な方、お心遣いに感謝します。……どうもありがとう。(突き出された先端にあった彼の目は、没批判の様相を呈していた。なぜかは分からない。彼が、面倒事を進んで引き受けてくれようとしている所以もまた、見通せない。 でも憶えた。彼の名前は、ヨハネ。――片掌を眼前へ翳し、パーソナルスペースを確保しながらゆっくりと元通り体勢を起こす。少し、戸惑って、ふいと足下に視線を落としながら、前髪の分け目を小指の先で直した。)そ……そうね。聞きたいことが山ほど……、(ここはどこなの、私の服やバッグやスマホはどこへ消えてしまったの、これから私、どうしたらいいの。逡巡は絶え間なく、「でも、」)まずは、ヨハネ様自身のことをお聞かせ願いたいわ。 ……ブレックファストはもう召し上がって? 私はまだなの。軽食とお茶が頂けそうなお店をご存知なら、案内してくださる?(「どこかへ落ち着いてから、私も自己紹介するわ」 昨晩は、寝られなかった。お蔭様で、幸か不幸か、退勤後まもなくから持ち越した営業用スマイルがまだ生きている。薄い唇の端をきゅっと締めつけ、小ぶりな微笑みと共に外出を促そう。今はとにかく、目の前の彼を頼る他ない。上手に取り入って助けてもらうしかない、だから、何よりもまず彼自身のことを知る必要がある。)
ルカ 2020/01/27 (Mon) 06:24 No.39
……ああ。それは私、あの時川を渡ってまいりましたので。 お気遣い有難うございます。しかし風邪などより、月から落ちてきたレディのご無事を確かめる方がよほど一大事でございましたから。(迂回すれば以前の住人が掛けたという橋もあったが、考えるまでもなく最短の経路を選び取っていた。死とは無縁の世界といえども、単なる体調不良と高所から体を叩きつけるのとでは具合が変わってくる。それに、重力に従って為す術もなく落下する人体を目にした瞬間、妙な胸騒ぎを覚えたのだ。不意に突き放された時のような、厭な種類の胸騒ぎであった。 肩甲骨の辺りから頭部にかけて急速にしなる背筋を差し引いても身長差は明白で、如何に慇懃な態度を心掛けようと必然的に相手を見下ろす形となる。日射しに後頭部を焼かれるのを厭ってかフードを外す気配は無く、しばしば青色が視界に被さる度に己の手で引き上げた。)……承知いたしました。(前髪を分ける小指の先の艶めき。曲線を描いて流れるような仕草の一つ一つがアクセサリーとなって、彼女という存在をことさら魅力的に飾り立てているようだ。フードの翳でうっそりと見蕩れたのも束の間、小ぶりな唇から提案が弾き出されると、命令に反応するゴーレム人形のごとく双眸を赤く煌めかせ。右足を後ろに引き、相も変わらず恭順な一礼を捧げる。)私も食事はいただいておりませんから、近くの町のカフェまでご案内いたしましょう。支度の方はよろしいでしょうか?(淡く首を傾げる動きに合わせ、目に掛かる長さの前髪がさっと揺れた。もし支度が必要であれば軒先で待たせてもらい、此処からそう遠くない城下町へと繰り出そう。平らに舗装された大通りは朝陽を迎えて早くも活気づいていた。様々な店が左右に軒を連ね、陽気な客引きや路地を駆け回る子供の声があちらからこちらへと飛び交う。彼女や男と同じヒトの形をしたものもいれば、そうでないものも。時折「薬師さま」と挨拶する住民に笑顔で応えつつ、店先に数組のテーブルと椅子が配置された店の前で足を止めると、「此方にいたしましょう」と赤い庇の扉を潜り中に入っていこうとした。こぢんまりとした店内には、カウンター席とテーブル、そしてパイやスコーンが並ぶショーケースがある。)こんにちは。プレーンとベリーのスコーンを一つずつ、それからコーヒーをお願いいたします。(ショーケースの奥の壁に掛けられたメニューボードを指さし、慣れた口調で赤毛の少女に伝えた。それから彼女にも「お好きなものをお選び下さい」と促し、本日の朝食を受け取ろう。それと引き換えに差し出すのは硬貨ではなく、お礼の言葉一つと、当たり前の顔をした微笑みのみ。)
ヨハネ 2020/01/27 (Mon) 18:17 No.41
(川を? ざぶざぶと? さして可笑しなことでもない、と言うふうな彼の、黒とも藍ともつかない睫毛は、自立した生き物のように思慮深く上下するものだから。そういうものかしら、と思わされる。少なくとも、投身自殺間際の現場に居合わせ、地上でスマホを構える野次馬根性とは一線を画すものであってほしい。「……優しい殿方は好きよ」 左様であれと遠回しに誘導する口つきで幕を閉じた。片頬に寄り添っていた手がするりと輪郭を滑り落ち、腰の後ろへと回る。)ええ、よろしくお願いいたしますわ。すぐに出られるから、平気よ。(下瞼をふっくらと持ち上げ微笑む裏で、ホワイトウッドのなめらかな木肌を握る両手には汗を掻いている。ローブの青と喧嘩し合って悪目立ちしている、赤い瞳が煌めくたび、まだひやりとしてしまうけれど――扉を閉じる間際、密かに、部屋の中に靴べらをペイッと放り投げた。 白紫色に華やぎ始めた朝日の下、不埒なことは起こらないでしょう。そう信じながらも、彼の斜め後ろを、一定の距離を保ちながら進む。おもちゃみたいに可愛らしい街並みを行き交う、住民たちの姿といったら、そのまんまシルバニア……みたいだった。ベタに頬を抓るまでもなく、昨日キノコの傘の上に打ち付けた肩甲骨が、鈍い痛みでもって覚醒を裏付ける。異形の姿に怯え、少なくとも人間であることは確かな存在を頼り、小走りで彼の隣に並んだ。赤い庇の扉をくぐる。肺腑の奥底に蟠っていた溜め息が、ほ、っと音になるのが彼にも聞こえたかもしれない。ちいちゃくてお茶目な店構えだ。卵やミルクのいい匂いがする。)ありがとう。ヨハネ様と同じものを頂きたいわ。(――部屋代や食事代は政府預金口座にでも後払いで振り込めばいいの?というのは、昨晩、お世話係のドードーに投げかけた台詞のひとつだ。ドードーは、はい?とか、え?とか言うばかりでほとんどまともに会話が成立しなかった。金銭授受という概念がないとは、今の今まで到底信じられなかったけれど、彼のそぶりを見る限りほんとうにそういうことなのかしら。お揃いのメニューを載せた木製のトレーを手に、見様見真似で微笑んで、「ありがとう」を告げながらも――無料サービスって却って落ち着かない。不慣れな風習に内心そわそわしながら、彼に従って席に着く。ここまでの出来事を介して、彼を頼る必要性を再確認した気がする。)……薬師様……でいらせられるの? ご立派なお仕事に就かれた殿方でしょうに、私ったら自己紹介も申し上げないでごめんなさいね。(コーヒーに口を付ける前に、膝の上へ両手を揃え、嫣然そうにひとたび頭を垂れた。)ルカです。 頭がこんがらがっていて、なにからお話していいか分からないの。ヨハネ様から質問してくださる?(引っかかりなく、穏やかな細流のように語らいながら、片手でひらりと彼の目の前の皿を指す。「お食事も頂きながら。ね?」)
ルカ 2020/01/27 (Mon) 20:46 No.45
(町の住民とも打ち解けて久しく、また他人の感情に存外鈍感である男には、よもや柔らかな笑みを象る瞳に己が不審にして油断ならぬ人物として映っているとは思いもよらず。途中まで不自然に空いていた距離を確かめるように振り返ったり、此方の歩みが速すぎるのかとブーツの足取りを緩めたりもしながら、店内に足を踏み入れたところでようやっと頭を覆う其れを外した。正面を向いていた虹彩がすい、と斜め下へ落とされたのは、小さな溜息の塊を耳朶が拾い上げての事。神妙な様子で俯いた口角は、されどもひと瞬きの間に蘇る。)いいえ、いいえ。とんでもないことでございます。私はあの森に棲んでいるだけの、つまらない男に過ぎませんから。(窓から丸テーブルを一つ隔てた壁際の席に落ち着くと、正面に座した彼女に対して胸の前で片手を振った。一貫して低姿勢ではあるものの、凪いだ眼差しは自嘲や卑屈を含まない。彼女の言う「優しい殿方」であるかは兎も角としても、あくまでもこれが男にとっての自然体である事は確かだ。それを当の彼女に信じてもらえるかは別の話だが。)……ルカ様。(甘いチョコレートを口に含むように、告げられた二音をねんごろに舌の上に乗せた。途端、胸の奥で何かがうっそりと花開く。笑みの形に細められた双眸が紫水晶を捉えた。長い睫毛に縁取られた黒目がちの瞳は、揺蕩う宵の夢のような色をしている。微睡む風であって暗に此方を見透かすような蠱惑的な眼差し。ぞくりと痺れるものを感じる一方で、穏やかな微笑を載せる仮面の造形は保ったまま。)私の方こそ申し遅れました。ヨハネと申します。先程も申し上げた通り、普段はあの――メディチナの森で暮らしております。そこで先代に教わった薬を煎じ、皆様に提供している次第です。(手始めに簡単な自己紹介を述べ「よろしくお願いいたします」と座ったまま会釈する。それから白い陶器のマグカップを片手で持ち上げ、まだ淡い湯気を生んでいるブラックコーヒーに口を付けた。そう大きくない一口分を喉の奥に流し入れ、マグカップをトレイの木目に起き直す。程なくして再び面を上げると、軽く曲げた人差し指の第二関節を思案する風に顎先へ宛がって。)私としてもお尋ねしたい事が多々ございますが……まず。ルカ様は、一体“どこ”から来られたのでしょうか。(彼女がこの世界の仕組みを何一つ知らぬように、男も彼女の事を知らない。把握しているのは、今しがた教えられた名前と、彼女が昨晩“月”から落ちてきたという事だけだ。興味深そうな視線がじ、と回答を待つ。)
ヨハネ 2020/01/28 (Tue) 01:23 No.56
さっき、「このヨハネに」って言ってらしたじゃない? もう、憶えたわ。お薬屋さん兼、お医者様といったところかしら。……きっとみんなに慕われているのね。(窓から差し出づる卵色の光が、フロアの床板に太い縞模様を描く。ふたつ並んだスコーンからカラメル化反応の副産物が香る。コーヒーカップを両手で柔らかく包むと、あったかくてホッとした。無為という贅沢な時間の過ごし方で溢れた空間。無意識に、造り物めいて微笑んでいた唇が綻ぶ。せっかく綺麗に焼けたスポンジケーキの角が、ほろりと崩れるみたく少し不格好に。「よろしくお願いいたします」とこちらもそっくりお返しして、彼がコーヒーを口に含むのを確認する。ルカもまた、カップのハンドルを指先で摘まむようにして持ち直し、一口のカフェインで喉を湿らせて――それから。)私は、日本の、東京から、来たの。(一語一語、句点を強調するような口ぶりで切り出した。)お仕事を終えて、ひとりで家まで帰るところでしたの。もう夜中で…………眠くて転んで頭を打って変になってしまったのかもしれないわ。自分では気が付いていないだけで。(スコーンにはまだ手を付けなかった。彼と同じメニューを頼んだのは、ミラーリング効果を期待したのがひとつ、そして、半ば彼に毒見をさせる目的がもうひとつ。見る限り無抵抗で無防備な彼を、いいように利用しようとすることに罪悪感を抱かないわけはないけれど……。彼が訪ねてくるより少し前、ドードーが朝食を支度してくれようと申し出たのをやんわり断ったのも、得体の知れない国の食事を口に運ぶのが憚られたからだ。斯様な心配は無用とばかりに、昨晩から数えて初めて胃の腑に落としたコーヒーは芳醇で、ほろ苦くって。急な安逸を連れてきてくれたかと思えば、元々そこにあったはずの不安は後ろから押し退けられて、外に出てきてしまおうとする。口元に未だ置き去りにしていたカップを、もう一度両手で包み込んだ。こっくりとした弾力を持つ黒い水面に目を落とす。)……どこからか「たすけて」って声が聞こえてきて、それで、こう……不気味だから、早く帰ろうって思って……あの、そしたら、地面に大きな穴?が空いていて、落ちたの。死んじゃうかと思った。すっごく怖かったし、それで目が覚めたら巨大キノコの上に載っかってて、背中打って、痛かったし、わけわかんない内にお城に連行されて、わ、わけわかんないし、(段々唇の際が戦慄いてくる。俄かに力んだ指先が白く変色する。捲し立てるような語調が、自らの耳に数テンポ遅れて反響した――ところで、はっと小さく肩を跳ねさせた。顔を上げ、瞬時にトレイの上へカップを戻し、片手で口元を覆ってオホホみたいな顔をする。興奮作用と疲労回復を同時に促すカフェインの効果も、中々どうして侮れないって思いながら。)しっ…………失礼しました、ごめんなさいね。少し、取り乱してしまって。……今の話、信じてくださる?
ルカ 2020/01/28 (Tue) 06:34 No.57
「ニホン」の「トウキョウ」……。(ぐり、と首の筋肉を伸ばすような塩梅で、頭を斜めに傾げてみせた。当然といえば当然だが馴染みのない地名だ。真似てみた響きも片言めいてぎこちない。ひとまず話を進めるべく視線を戻す。両手を膝の上に配置したなら、清聴の姿勢で暫し回想に耳を傾けよう。仕事帰りに何者かの声を聞いた事。突如として出現した穴が彼女を呑み込んだ事。気が付いた時には森にいて、其処で男と出会った事。――と、吐息を含有する声音に途中からさざ波が生まれ始める。波は徐々に高度と激しさを増し、堤防を破って溢れ出すすんでのところで、相手が我に返ったように顔を上げた。かち合ったバイオレットの水晶体に笑みの薄れた顔貌が映り込む。相手は即座に持ち直した様子であったが、男の顔色はすぐには変わらなかった。 不安なのだ。きっと。出方を見極める風に数秒間の沈黙を置いたのち、唇の隙間から二酸化炭素を細く吐き出して。)……ファンタスマゴリアは、どのような不思議な現象も起こりうる場所です。ルカ様のように外の世界から人が来るというのは確かに異例の事態ですが、決して考えられぬ事ではない……と、存じております。(初めて出された料理を注意深く吟味する時のように、両目を閉じておもむろに切り出す。情報が少ない現時点での率直な意見。一瞬迷った上で断言は避けたものの、前向きに締めくくって睫毛をゆっくりと持ち上げたなら、少しでも彼女の動揺を宥められるようにと努めて温和な微笑を口角と目許に灯そう。 彼女がカフェまでの道程で意識を新たにしたように、男もまた此処までの出来事を通し、彼女が奥底に隠し持つ孤独や恐怖を十分すぎるほどに痛感していた。ならば、この美しい異邦人に手を差し伸べるのが他ならぬ己の使命であると――まるで最初から決定づけられていたかのように、そう確信したのだ。)私は貴方様を信じますよ。しかし……少々厄介ですね。ファンタスマゴリアは周囲を高い壁で囲まれておりますので、外の世界の事は我々にも分からないのです。「ニホンノトウキョウ」がどこにあるのかも分かりません。(慎重な見解から一転、確かな首肯を一つ下したところで、再び片手を口唇の真下に添える。ローブの袖から清潔なシャツを纏った細い手首が覗いた。ひとまず経緯は把握したものの、今のところ解決に近づく手がかりは皆無に等しい。暫く思考を巡らせるように目線を水平方向へ逸らしていたが、途中でふと思いついたように向き直り。)反対にお尋ねいたしますが、ルカ様の元いた世界に似たような事例や言い伝えはございませんでしたか? 突然穴が出現したりですとか、誰かが別の世界に連れて行かれたりですとか、そういった話です。
ヨハネ 2020/01/28 (Tue) 20:47 No.65
(取り分け長躯なシルエットは、会話を交わしている最中も、首ひとつ傾げるのにも些か窮屈そうだった。相貌の半分ほども暗い陰影の中に隠してしまう青いフードが取り払われて、ようやっと澄明な状況下で彼を真正面から見据えることができる。店で使っている源氏名――有体に言えば”嘘”の名を、奇妙なほど丁寧に読み上げた時の、微笑み方。他人の身の上話に耳を傾けながら見せる、神妙そうな目色。彼は、しばらく黙っていた。それから、箸で豆を摘まむような口ぶりで、ごく慎重に話し出すものだから。)……言葉を選んでくださってるのね。(緩やかに湾曲する長い睫毛を、ぱちりと瞬く。気の抜けたような仕草だった。マットルージュネイルの裏側で、細く細く息を吐いて、吐き切る前の残滓で小さく、)ありがとう。(と、言った。今朝からもう何度も言ったけれど、多分、今が一番ほんとうだった。柔らかく握り締める形に造った五指を、相変わらず口元に翳しながら再び目を伏せる。当然のことのように差し出される信用が居た堪れなかった。彼はルカを信じてくれるのに、ルカは彼の話をいまだに、俄かには信じ難いことと断じてしまっている。反面、信じたいとも思ってる。ローブの袖口から覗く手首は少し骨張っていて、急に彼が生身の人間らしく感じられてくるから。)まさか。神隠し、とかって聞きますけれど、そんな超自然的なこと……普通、起こり得るはずがないわ。だからこわいの。この国全部が不気味に思えてしまって、(小さく首を横に振る。昨晩アップスタイルをほどいたっきりの髪の毛には、取れかけパーマの余韻ではない不自然な波状の跡がついていた。今日はメイクもしていないし、見窄らしい身なりをしているのは実はルカの方がよっぽどで、)……ごめんなさい。ヨハネ様からすれば、私の方がよっぽど怪しい存在に思われるでしょう?(その可能性も否めない。ぽつりと呟いてから、こほんと咳払いして、漸く彼の視線と再会する。顔を上げて、また俯いて、を数度繰り返す間に、ずっと逡巡に耽っていたのだ。)私からも、ヨハネ様にお伺いしてよろしくて?(膝の上に左右の指先をほのりと重ね合わせて置き、今までより少しだけ遠慮がちな声音で問いかけた。手入れを欠かさない柳眉の尾も、脆くたわんで垂れ下がる。 考えられるだけ考えてみた。昨晩、彼がわざわざ夜半の冷たい川を渡って、ずぶ濡れになってまで駆け付けてくれたこと。収入という概念がない世界で、薬師だなんて慈善活動を請け負う殿方――住人たちから慕われ、笑顔で応える姿を、斜め後ろから見ていた。カフェに行き着くまでの間、頻りにこちらを振り返り、歩幅を合わせてくれようとしていたのにも気付いてた。気遣わし気に微笑んだあたたかな目許を、もう少しだけ前向きに捉えてみてもいいのかもしれない。)
ルカ 2020/01/28 (Tue) 22:46 No.68
……さようでございますか。(藁に縋る思いで異世界に求めた突破口もぴしゃりと閉ざされる。微かに声が曇った。これでいよいよ八方塞がりというわけだ。黒い水面から立ち上っていた湯気は今や殆ど温度を持たぬただの水蒸気に成り果てていた。午前特有の薄く引き伸ばされたような時間が流れる中、うっすらと疲弊が浮かぶ顔ばせを労しげに静観していたが、)まさか。(口を衝いた三音は、まるで喉奥から研磨もかけず飛び出してきたかのように身も蓋もない響きをしていた。時折蛇のように細めるばかりで、他には目立った変化の見られなかった双眸が、この時初めて控えめながらに瞠られる。それから一転して眦を明確な意志の形に切り詰めると、椅子の上で背筋を伸ばし、)確かに外の世界からいらっしゃった方はこれまでに聞いた事がございませんでしたが、私は昨晩この目で月から落ちてきた貴方様を見たのです。自分の目が見たものを信じずに、一体何が信じられましょうか。(と、一文一文を殆ど一息のうちに言い切った。脇目も振らず語り続ける赤色の丸鏡には、机を挟んで向かいに座る相手の姿が現在進行形で映し出されている事だろう。無意識のうちに顔面が相手の側へと僅かにつんめのる。)女王陛下に命じられたからではなく、私が貴方様をお助けしたいのでございます。骨身を削る思いで解決策を探し出し、それでも何ともならないのであれば、私が貴方様の代わりに首を差し出す所存です。(告げるだけ告げ終えたところで、はたと両目を瞬かせた。催眠が解けた時のように表情の消えた容貌を一瞬晒してから、「失礼」と小さく呟き元の体制に立ち直る。相手を一丁前に労わってやれる身分ではない。熱が入るとたちまち視野狭窄に陥るのは昔からの悪癖だ。美しき異邦人の心情にいたく共鳴し、寄り添わんとする心の動きが、一際厄介な形で発露した。失態を打ち払うように緩く頭を振り、コーヒーカップに再び口を付ける。どうにか平静を取り戻した手でのろのろとバタースプーンを握ると、上下に割ったスコーンの内側にオレンジ色のジャムとクロテッドクリームを盛り、片手を受け皿代わりに添えながら口許へ運んだ。サクッと軽やかな音を立てて齧れば、まろやかなクリームと甘酸っぱいジャムが口の中で調和する。優しい口当たりのスコーンに黙って舌鼓を打っていた時の事。)……なんでございましょう。(きっかり二十回目の咀嚼を経て嚥下すると、食べかけの朝食を皿に置き直し、改めて花顔へ向き直った。その面差しに宿るのは、普段のヨハネの無害な笑みだ。)
ヨハネ 2020/01/29 (Wed) 04:18 No.72
(我が事のように意気消沈する彼の姿を目にして、ルカの方は寧ろ、我が事以上に申し訳が立たないような思いに苛まれていた。しゅんと小さく音が鳴りそうな仕草で項垂れる。話術を巧みに操ってこそのキャバ嬢なのに、これじゃほんとうにお役御免ね、とすら場違いに考えさせられるほど。陶器のカップのハンドルを、所在なげに、するりと中指の腹で撫で下ろし――ていたのも束の間。「まさか」。バネで弾いたように、急に歯切れの良い発語がルカの耳を打つ。俄かに気圧されるほど、妙に力んだ声であったように思う。はっきり驚いて、手元へ落としていた視線を彼の双眸に向かって持ち上げる。背面に押し倒された起き上がり小法師が、反動でぐんっと顔を上げるのと似た要領だった。ルカの瞳も大概零れ落ちそうに瞠られたものだけれど、対峙したスカーレットもまた、今までより少し精彩を増してこちらを見据えている。)っ、そんな、……(私の代わりに首を差し出すだなんて。どうして? そんなの、とんでもない。とは、まったく口を挟む隙がなかった。癖なのだろうか、息急き切る様子で話し続ける最中に近付いてくるかんばせ。その中央の一対に、ひどく狼狽した撓垂れ眉が映り込んでいる。反射的に背を反らし、距離を取ろうとする。椅子の背凭れに阻まれた。代わりに両掌を”どうどう”または”まあまあ”の形にして、顔の前に突き出そうとしたその直後――スイッチが切れたように、彼は淡白な断りと共に佇まいを正すのだった。)…………。(戸惑いの域を軽々と超越し、ぽかーんとどっかに飛んでっちゃったみたいな感覚だ。戻ってくるまでに暫しの時間を要した。)――どうしてそんなにまで、私に良くしてくださろうとするの?(何故か、少し怒っているような、それでいて、気を揉んで顧慮するような声になる。)女王陛下のご命令だから?って伺おうとしていたのに、先に言われてしまったわ。でも、そうでないなら、ヨハネ様は規格外の……言い方は悪いかもしれませんけれど……お人好しでいらっしゃるの……?(今正にスコーンの毒見をさせられているとも露知らず、その目で見たものすべて信じてしまうと言うのなら、自分がとんだ悪党に感じられて肩身が狭く、情けなくなる。そしてひどく心が痛むのだ。眉を捻じ曲げ、まごつかせ、屡々口ごもる。つい数分前まで、いざという時は不審者から我が身を正当防衛しようと武器を握っていた両手は、今は胸の前で居た堪れなさそうに人差し指の先と先とを突き合わせていた。)……私……そんなにご親切にしていただく資格ないわ。……部屋の前でお会いした時も、変な人だったらひっぱたいてやろうと思って構えていたの。後ろ手に……く、靴べらを……。
ルカ 2020/01/29 (Wed) 06:36 No.73
(八の字に弛んだ柳眉や行き場を失った両手が決して視界に入っていなかったわけではないのだが。如何せん所謂“ゾーン”に突入してしまったがゆえに、少なくとも一方的な演説を繰り広げている間は、眼前にありありと描かれた「唖然」の二文字を読み取る事すら叶わなかった。 そして束の間の冷却期間を経て、嵐は再び訪れる。)……そのような事でございましたか。(もどかしげな口つきの心理を推し量り損ねたように、意外そうな瞬きが弾ける。従順な子供のごとく口を噤んだまま、鏡合わせの爪先を見つめ――その後、笑った。些末な問題だと言わんばかり、涼やかに。口直しも兼ねて水分を補給し、軽く居住まいを正したならば。)確かにこのヨハネ、人のお役に立つ事をこの上ない喜びとしておりますが……それだけではございません。(付け根の関節が浮き出た手を胸に、きわめて冷静な口調で話し始める。と、途中で言葉を切った。口許に充足した弧線を引いたまま、一対の夕闇を真正面から捉え直さんとして。)貴方様に――一目惚れをしたためでございます。(と、言った。)国中の宝石を掻き集めても敵わぬ美貌、爪の先まで洗練された所作。一目見て貴方様に我が身を捧げたいと――いえ、むしろ。 この私が、貴方様に奉仕するために生まれてきたのだと! そう確信いたしましたとも!!(生き生きと輝く双眸。回転速度を増す弁舌。遠くから押し寄せてきた波のようにクレッシェンドの一途を辿るご高説はついにクライマックスへと差し掛かり、椅子の弾かれる物音と共に目線が座高の分だけ跳ね上がった。悩ましげに瞼を閉ざし、眉間へ指を押し当てたのも束の間、やにわに両目を開けると晴れ晴れしい笑顔を眼下へ向ける。其処に浮かび上がるのは、祝福にも近しい、慶び。)ひっぱたく? 靴べらで……? そんなの……最上の褒美ではございませんか! その美しい手で叱責していただけるのでしたら、狼藉の一つでも働き申せば良かったッ!(明瞭な声で言い放てば、悔恨に燃える目を伏せ、ローブの胸元を鷲掴みにしながらきっぱりと嘆く体たらく。かくして男は「一目惚れをした」女性の前でひとしきり一人芝居を繰り広げ――ふと、動きを止めた。突然糸が切られた操り人形よろしく、椅子を引き直してその場に音もなく着席する。)……とまあ、簡単に説明させていただきましたが。ご納得いただけましたでしょうか。(――本日二度目の大演説、終了。せめて此度が最後になると信じたいところである。さて、何事も無かったかのように手を膝に置いたなら、改めて彼女の反応を窺おう。尤も彼女が自分の席から避難していたり、この男と対話する意思を失っていなければの話だが。)
ヨハネ 2020/01/29 (Wed) 19:12 No.75
(ここがコメディーの世界だったなら、たった今、コーヒーを口に含んでいなかったことこそがルカの尊厳を守ってくれたに違いない。瞼も唇も、なにかの入り口みたいにぱかんと大きく開け放たれてしまう。)~~ちょぉ、う、うぅっ……お、落ち着いて なるほど、ソッチ系の……!(驚愕の一亜種としては、見知らぬ殿方に突然連絡先を渡されただとか、はたまた店の常連客に相場を一桁上回る贈り物を頂いただとか、そんな類にも似ている。似ていながらにして、まるで非なる新種のようでもあった。殿方に一目惚れを宣言されたのは初めてではない。水割りを作りながら軽く聞き流せるくらい、口説き文句も耳タコだ。にも拘わらず、虚を衝かれるだなんて不覚だった。キャバクラとフェチ系風俗店は完全に非なるものなので、SM女王様をご所望とこられるとちょっと話が別である。 説明不能の圧力に、身じろぎを封じられたようにただただ硬直する。起立までして熱弁を振るう彼を呆然と見仰ぐこと暫し、両手はわけもなくアーメン、の形状にぴたりと掌を合わせ、口元に宛がわれていた。)簡単に……っ? 納得、うぅん納得、し、……したかしら、ちょっと、わかんないわ……。勢いがすごくて……追いつかないわ……。も、もうしばらく待って……、(温度差で風邪引く、とは正にこのことだ。溌溂と躍っていた語気はやがて細り、彼は録画映像の巻き戻しボタンを押したみたいにそっくり元通り着席する。燦ッッ々、というくらい笑っていた相貌も鳴りを潜め、恍惚……としていたそぶりの余韻も残らない。見事だった。それが余計にルカの混乱と当惑と半ば戦慄を煽る。豊かな茶髪に両手の指を差し込み、つむじから肩口へ向かって梳き下ろすようにいじってみたり、頬や額を頻りに掌で覆ってみたり。冷や汗の”冷や”の部分で顔色が蒼白となり、”汗”の部分で一気に紅潮する。信号機みたいにちかちかと表情を変えながら、小さな咳払いと共に体勢を立て直すまでに更に数分を消費した。「……ヨハネ様」)……そ……それでも私、ヨハネ様のお気持ちに甘えて、タダで助けていただこうだなんて考えないわ。すごく有り難いとは思いますけれど……ご厚意には、対価をお支払いしなくては落ち着かないの。だから……ヨハネ様からも、私に望むものをひとつ呈示してくださる?(意識的に眉尻を少し上げ、自分のペースを取り戻そうと試みる。毅然として見返した彼の瞳は、今は煌々と熱した金属の色のようにも思えた。彼からの好意が嬉しいだろうか? 売り物に等しかったそれにはもう慣れ親しみすぎて、今のルカには判断が付かない。ただ、彼がちょっと、大分、ネジのすっ飛んだ殿方だということはわかった。妄信的で献身的だということも。そして、危険思想や特殊性癖を持っているのかもしれない、はっきり言って”変な殿方”だけれど、)私を恋しく想ってくださっているのでしょう? きっとご希望に添えますわ。なんでもおっしゃって。(私に”変なこと”はしない、そんな気がする。 わざと煽動するように首を竦め、顎裏をすうっとなぞるような上目遣いで彼を試した。)
ルカ 2020/01/29 (Wed) 21:52 No.80
(「では待ちましょう」と即答したきり、男は椅子の上で静止した。オブジェよろしく微動だにしない。対する彼女は頻りに自らの髪や頬に触れたり、赤くなったり青くなったり随分と、目まぐるしい。其処に婉然とした座しているだけでも目を離せない魅力があるが、これはこれで幾ら見ていても見飽きない反応だった。尤もその様子を不躾に愉しんだり、そわそわしく凝視しすぎる事は無い。何故なら現在の男は、己が主人と定めた淑女に“待て”を命じられた大型犬と似たようなものであったから――。 彼女が花唇を開き直したのは数分後の事。口角が微かに下がったのは、何物にも見返りを求めぬファンタスマゴリアの世界において、「対価」の二文字が引っかかったためであった。)……それは 、(口を開きかけて黙る。黙らされた、と言った方が正しいだろうか。言葉ばかりは奥ゆかしく疑問の形を成しているが、眉の角度に有無を言わせないものを感じた。さらに蠱惑的な誘いが鼓膜を擽れば、術にかかったかのように当惑と陶酔が胸中で綯い交ぜになり、眉を歪め睫毛を震わせる。己より幾らも小柄である筈の彼女に、上から顎先を持ち上げられるような感覚。何かを堪えるように片手で口許を覆い、幾度か呼吸をして、それから。)……、承知いたしました。……では、こういたしましょう。(視線をちらと斜め下に落とした後、おもむろに手を下ろし、相手に向き直った。さらに短い逡巡を挟み、ようやく切り出す。)一日に一人、ファンタスマゴリアの住民にご挨拶をなさってみて下さい。出来れば、一度もお話をした事がない方に。(なるたけ落ち着いた口調で話しながら、胸の前で一本指を立ててみせる。もし宵の彩と目が合えば、どうかご容赦下さいと伝えるかのように弱々しく微笑んだりもして。)一度交流すれば、ファンタスマゴリアの住民がみな素敵な方々である事をご理解いただけると思います。異国の地で何かと不便な心中はお察しいたしますが、私が愛するファンタスマゴリアを、是非ルカ様にも好きになっていただきたいのです。(「もしくはしなやかな御御足で踏んでいただいても……」冗談とも本気ともつかない顔で付け足された一言はさておき。再び反応を窺わんとして向けた眼差しは何処と無く頼りなげだ。誰かの要望に応える事は得意だが、反対に何かを要求する事にはとんと慣れていない。挑発的な上目遣いにぞくりと痺れるものを感じたのは逃れようのない事実だが――その滑らかな肌を恣にしようなどという不届きな欲望よりも、彼女自身のために尽くしたい願望の方が今は遥かに大きいものだから。移動の最中、様々な色形の住民を見る彼女の緊張した眼差しを思い出し考案した「対価」が、彼女のお眼鏡に適うといいのだが。 赤い瞳が未だ手つかずの朝食を見遣る。)……朝食が冷めてしまいましたね。私としたことが、少々お喋りが過ぎました。申し訳ありません。 店員の方に焼き直していただく事もできますが……いかがなさいますか?
ヨハネ 2020/01/30 (Thu) 20:04 No.88
――……わかったわ。(意に違った、でも、思った通りの、無欲な望みだった。安堵したようにも、なにかに得心したようにも深く頷いて、ひととき睫毛を伏せる。急に、微笑ましがるにも似た呼気がまろぶ。煙るように長く黒々としたその翅のあわいから、瞳を凝らせば、彼のかんばせはなんだか弱ったような調子。少し、幼くも見えた。 額を斜めに遮る前髪の下、窓からの明かりに青く透けて覗く眉。長らく平坦だったそれに、懊悩のような色が表れている。口元を隠す仕草が表すのは、緊張、不安、自己防衛、隠し事――異性としての好意。一目惚れだなんて、たまたま狂ったPEAの大量分泌による脳の錯覚、勘違いだと思っていた。でも不思議。ほんとうに私のこと好きなのね。そう、ありありとわかった。)いいえ、こちらこそ。私、コーヒーやスコーンはひんやりしてても好きよ。ヨハネ様は、お嫌い? ――……そうね、でも、(ふと、つむじの上に電球マークが点ったような具合で表情を明らめる。こぢんまりとした店内には、軽食のショーケースの前に立つ赤髪の少女の他にもうひとり。ウェイターらしき金髪の少年を、ひらりと手を振って呼び寄せた。)お手間をお掛けしてごめんなさい、少し温め直していただいてもよろしいですか?(自分の分と、望むなら彼の分も。両手でスコーンの皿を指し示しながら願い出れば、ウェイターの少年はちっとも面倒がらずに「もちろんです」と首肯してくれる。まだ少し気兼ねした様子ながらも「ありがとう」を欠かさずに告げたあと……、”ご挨拶”を続けてみよう。今日初めて、こちらのお店へお邪魔しましたの。雰囲気が良くって、すごく気に入ったわ――。 巻き毛の天使のような少年が笑う。月並みな賛辞にも拘わらず、皿を持って去っていく姿はスキップをするような足取り。)……ヨハネ様。(すぐに宿題に取り掛かったのを褒めてもらいたがるような――大したことを成し遂げたわけでもないのに、ちょっと偉そうな顔をして彼へ向き直る。口角の動きに同調して、柔らかい白パンみたいに両頬がふっくらと持ち上がった。)……あなたのこと、頼りにしているわ。信用するわ、だから約束して。 あなたは、"狼藉"を働いてはだめ。常に私のためを思って行動するの。そうしたら、相応のご褒美はきちんと差し上げましょうね。よろしくて?(いつ私の脚がしなやかと見て取ったのかしら、案外お目がやらしくていらっしゃるの?とは、真正面から指摘しない。代わりに、テーブルの下、真新しいストラップパンプスの底で、彼の爪先を戯れに踏んづけた。 斬首を賭けた世話役と”ご挨拶”とじゃ、ほんとうは少しも釣り合いが取れていない。だからこそだ。現時点では、希望的観測として、彼のことを”いいひと”と判じることにする。そう決めた。)
ルカ 2020/01/30 (Thu) 22:18 No.93
(此方が提示した条件はあくまで最低限のものであるから、“ご挨拶”の程度も当然彼女の匙加減に依る。例えばたった一言、挨拶の定型文を適当な相手に投げ渡してノルマクリアとするならば、それはそれで一向に構わなかった。 だが呼び寄せた少年に要望を告げた後、自然な素振りで重ねられたやり取りを受け、意表を突かれたような眼差しが彼女と少年の間を往来する。蝋燭が灯されたようにポッと明らむ童顔。何より賛辞を贈る彼女の優しい横顔に、目を奪われた。二人分の皿を両手に厨房へ引っ込む少年の軽やかなステップを見送ったなら、男の目の前で見事に宿題をこなしてみせた女性の顔ばせに向き直る。魔性の声がゆっくりと己の名をなぞれば、男の中のセンサーが性懲りも無く反応しそうになるけれど。)……さすがでございます。(ぽつりと感想を落とす。口許に、眦に、柔い喜色が滲んでいた。)早速の“ご挨拶”に加え、相手の方にも幸福をもたらすお言葉……少年の笑顔が、先ほどよりもさらに明るくなったように見えました。 ルカ様は、人を喜ばせる事に非常に長けていらっしゃいますね。(少年に対する“ご挨拶”も、これまでに男自身が賜った台詞の数々も。彼女が操る言葉の殆どが相手を喜ばせ、心を開かせるように出来ているかのようだ。そして損得勘定が成立しないファンタスマゴリアに住む男は、それを“社交辞令”だとは解釈しない。 空気が変わる。天使の微笑みから、女王の顔へ。ドレスを脱ぎ着替えるように、呼吸一つで変化する美貌を、神々しいと感じた。)――承知いたしました。(息を呑み、深々と頭を垂れる。主人に忠誠を違う従者か、あるいは今から洗練を受けんとする信者にも似た敬虔さで。)これより先、十四の陽が沈むまで。いついかなる時もルカ様の事を専一に考え、ルカ様のために行動する事を御約束いたします。この身も、心も――全て、貴方様のご随意に。(胸元に両手を畳み乗せ、聖書を読み上げるかのごとく一言一句を丁寧に連ねていく。――ここに契約は交わされた。こぢんまりとしたカフェのテーブル席は、誓約の舞台と称するには些か不相応であったけれど。ステンドグラスではなく円形の窓硝子を隔てて差し込んだ朝日が、二人の間に一筋の光芒を投げかける。この瞬間、男は幸福に満ちていた。彼女の信頼を得られた事は勿論、「常に」彼女のために行動するのだと命じる口調のしたたかさ。誓いを一語一語囁くごとに、自分という存在が確実に彼女に服従していく感覚。爪先を甚振る“ご褒美”に苦悶と恍惚の入り交じった表情を浮かべ「はっ、ぃ……」と上体を小さくのけぞらせた瞬間は、せめて厨房から出てきた無垢なウェイターに見られていなければいい。)……料理が温まったようです。此方の卵とミルクをふんだんに使用したスコーンは絶品でございます。是非ごゆっくりお召し上がりください。(少年に再び礼を告げ、作りたてさながらに温もりを取り戻した皿の中身を掌で示した。一つはこんがりと焼き色がつき、もう一つにはルビーのような赤い果実が練り込まれている。お召し上がりの際にはクロテッドクリームとお好みのジャムをたっぷりと乗せて。時間は限られているからこそ、まずはゆっくりとファンタスマゴリア式の朝食を囲むところから始めよう。勿論スコーンを腹の中に収めても、体が勝手に大きくなったりはしないので。)
ヨハネ 2020/01/31 (Fri) 19:20 No.104
(他人の不幸は蜜の味、とは言わないまでも、他人の幸福を心から祝福できた記憶は、ルカにはあまりない。彼はきっとそうではないんだろう。口畔を、眦を、欣然と緩ませる姿に、そう思う。また少し自分自身に恥じ入って、小さくかぶりを振る。さっきのは、社交辞令ではないけれど、「さすが」と賛美してもらえるほど気の利いた会話ではなかった。ほんとうに恐縮した様子で淡くはにかんで、右耳と右肩をくっつけようとするみたいに傾げ合う。)お褒めに与り光栄ですわ。でも、買い被りよ。 私、言葉遣い、おかしいでしょう。普通のことしか申し上げられないものだから、雰囲気で誤魔化してるだけなのよ……、(最後の方は、細い糸がこちゃこちゃに絡まったみたいな小声で、彼にはほとんど聞き取れなかったかもしれない。 巻き毛の天使は、賛辞を賜ればその贈り主がだれであろうと、一本調子に小躍りして喜んでみせてくれたことだろう。そして、信仰心に厚いスカーレットは、月から落ちてきた異邦人ならだれでも、ルカではなくても、きっと一目で見初めていたのだろう――。魚心あれば水心、落花情あれども流水意無し、どちらでもない。決まりきった無償の奉仕。求めれば与えられ、捜せば見出し、門を叩けば開けてもらえる、やさしいワンダーランド。筋書き通りのハッピーエンドみたいに、なにをするでもなく最初から決まっていることって嫌いじゃない。保障された将来と同じ安心感と充足感を得られる。「ヨハネ様、」――ヨハネ様、何度も、何度も、慰撫する指の先みたいな声音で刷り込んだ。彼がこの福音を憶えて、呼んだらすぐ駆けつけてくれるように。)私……殿方から熱烈にアプローチしていただく機会は、これまでにも少なくありませんでしたけれど……身も心も、なんておっしゃられたのは、あなたがはじめてよ。(お手本のようにお辞儀して、胸元へ大事なものを抱くように両掌を重ね合わせる彼の様子は、たかがキャバ嬢とは比べ物にならないほど……よっぽど美しく、崇高だった。造り込まれたお芝居を眺めているみたい。ワンダーランドの住人然とした姿に感服、もしくは観念して、眉が元来の勾配を取り戻す。唇は、軽やかに折り曲げた五指の関節を宛てがわれながら、くすくすと妙に無邪気な笑い声をその汀に寄せたり返したりしていた。)ご自身がおっしゃられたこと、ゆめゆめお忘れにならないで。可愛らしい殿方。(スキップで戻ってきた天使には内緒で、彼の爪先に、あえかな靴底の重みが釘を刺す。一目惚れは、プレッシャーだ。彼女はきっと素敵な人に違いない、これからどんなに自分を魅了してくれるだろう?と期待される。ならば、能う限り希望に沿う向きで善処しよう。身も心も捧げるに足る女王と、彼に夢を魅せられるように。頼まれてもいないのに、気負ってしまうたちなのだった――常に、って、終わりのこない円環を口約束に上らせたのも、憶えて、忘れないでと自ら束縛を希ったのも、あなたに夢を見せるため。その代わり、胡蝶が翅を休める、ファンタスマゴリアの止まり木になってもらう。 先ほどまでの躊躇それ自体が嘘かのように、彼女の手がすんなりと皿の上のスコーンへと伸びた。)おいしいわ。……すっごく。(クロテッドクリームってちょっとお値段張るから、だなんて、採算は一切合切知らんぷりして、アプリコットジャムと一緒に齧った卵とミルクの味。なるほど、彼の言うことに間違いはなかった。とろけるような会心の笑みを涙袋の辺りに湛えて、機嫌良く食事を進める様子は――まだ付け焼き刃の女王、プロトタイプ。)
ルカ 2020/02/01 (Sat) 04:53 No.111
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