(此方が提示した条件はあくまで最低限のものであるから、“ご挨拶”の程度も当然彼女の匙加減に依る。例えばたった一言、挨拶の定型文を適当な相手に投げ渡してノルマクリアとするならば、それはそれで一向に構わなかった。 だが呼び寄せた少年に要望を告げた後、自然な素振りで重ねられたやり取りを受け、意表を突かれたような眼差しが彼女と少年の間を往来する。蝋燭が灯されたようにポッと明らむ童顔。何より賛辞を贈る彼女の優しい横顔に、目を奪われた。二人分の皿を両手に厨房へ引っ込む少年の軽やかなステップを見送ったなら、男の目の前で見事に宿題をこなしてみせた女性の顔ばせに向き直る。魔性の声がゆっくりと己の名をなぞれば、男の中のセンサーが性懲りも無く反応しそうになるけれど。)……さすがでございます。(ぽつりと感想を落とす。口許に、眦に、柔い喜色が滲んでいた。)早速の“ご挨拶”に加え、相手の方にも幸福をもたらすお言葉……少年の笑顔が、先ほどよりもさらに明るくなったように見えました。 ルカ様は、人を喜ばせる事に非常に長けていらっしゃいますね。(少年に対する“ご挨拶”も、これまでに男自身が賜った台詞の数々も。彼女が操る言葉の殆どが相手を喜ばせ、心を開かせるように出来ているかのようだ。そして損得勘定が成立しないファンタスマゴリアに住む男は、それを“社交辞令”だとは解釈しない。 空気が変わる。天使の微笑みから、女王の顔へ。ドレスを脱ぎ着替えるように、呼吸一つで変化する美貌を、神々しいと感じた。)――承知いたしました。(息を呑み、深々と頭を垂れる。主人に忠誠を違う従者か、あるいは今から洗練を受けんとする信者にも似た敬虔さで。)これより先、十四の陽が沈むまで。いついかなる時もルカ様の事を専一に考え、ルカ様のために行動する事を御約束いたします。この身も、心も――全て、貴方様のご随意に。(胸元に両手を畳み乗せ、聖書を読み上げるかのごとく一言一句を丁寧に連ねていく。――ここに契約は交わされた。こぢんまりとしたカフェのテーブル席は、誓約の舞台と称するには些か不相応であったけれど。ステンドグラスではなく円形の窓硝子を隔てて差し込んだ朝日が、二人の間に一筋の光芒を投げかける。この瞬間、男は幸福に満ちていた。彼女の信頼を得られた事は勿論、「常に」彼女のために行動するのだと命じる口調のしたたかさ。誓いを一語一語囁くごとに、自分という存在が確実に彼女に服従していく感覚。爪先を甚振る“ご褒美”に苦悶と恍惚の入り交じった表情を浮かべ「はっ、ぃ……」と上体を小さくのけぞらせた瞬間は、せめて厨房から出てきた無垢なウェイターに見られていなければいい。)……料理が温まったようです。此方の卵とミルクをふんだんに使用したスコーンは絶品でございます。是非ごゆっくりお召し上がりください。(少年に再び礼を告げ、作りたてさながらに温もりを取り戻した皿の中身を掌で示した。一つはこんがりと焼き色がつき、もう一つにはルビーのような赤い果実が練り込まれている。お召し上がりの際にはクロテッドクリームとお好みのジャムをたっぷりと乗せて。時間は限られているからこそ、まずはゆっくりとファンタスマゴリア式の朝食を囲むところから始めよう。勿論スコーンを腹の中に収めても、体が勝手に大きくなったりはしないので。)
ヨハネ〆 2020/01/31 (Fri) 19:20 No.104